『我々は宇宙に在り!!』 彼の声はきっと鼓膜でなく脳に直接響くのだろう。 広場で拡声器を使って弁を揮う軍服の男を見ながら俺はぼんやりと考えた。 極卒の演説は人を狂わせるという噂を耳にしたことがあるが(噂を流した奴はもうこの世にいないはずだ)それは本当だったらしい。 御国の為と言いながらどこか不安げだった周囲がいつの間にか異常な熱気と統一性を持って演説に集中する姿はまさに異常である。 いや、この場で一人異常を感じる俺こそ今の世の中異常なのかもしれないが。 ここにいるのは国のため、愛する者のために集まった者ばかりなんだろうけど残念なことに俺は違う。 死ぬのが素晴らしいことだとは思わない、しかし一人逃げ出すような根性も持ち合わせていない故俺はここにいるのだ。 原稿を一切見ないのは全て覚えているからなのだろうかとか拡声器を使っているとはいえすごい喉だとかそんなことを思いながら演説台を見上げていると極卒の目がじぃっと俺を映した。 皆が拳をつきあげて相槌を打つなかただただ突っ立っているだけの俺は完全に孤立状態だ。 演説に水を差してはいけないと思い周りに合わせて腕を上げる。 「御国の為に!」 「御国の為に!!」 「敵を葬れ!!」 「刃向かう者は皆殺しだ!!!」 そこから先できる限り声も出したし動作も合わせたのだが、それでも、極卒のぎょろりとした瞳が俺から離れることはなかった。 ほろ、ほろり 「きょひょっ随分と澄ましていたようだったが、僕の演説はそんなにつまらなかったかねキミぃ」 「まさか滅相もない」 まったくもってまさかだ。 訓練を終えて兵舎に帰ろうとしたところをいきなり車に押し込まれて立派な建物の前へ放り出されたと思ったら極卒様の御出迎え。 直々に案内されたのはこれまた立派な、おそらく執務室であろう部屋。 積まれているのは重要な書類だろうにこう簡単に一般人をいれてもいいのだろうか。 ノリが悪かったから反逆罪なんてことにはなるまいし、どうして呼び出しなど受けたのか本気でわからない。 「ほろほろ、まあ楽にしたまえよ」 なんというか、演説のときも思っていたのだがこの人は瞬きというものをしないのだろうか。 ずっと見つめられていると真っ黒な瞳と青みがかった白眼のコントラストが非常に不気味だ。 「佐崎ジン、徴兵されてからの成績は中々優秀。先の戦いでは指揮官の死亡後逃走することなく隊をまとめ敵を打ち倒した上での帰還。いやはや素晴らしい」 「恐れ入ります」 椅子から立ち上がってカツカツとこちらへ歩み寄り歌うように俺の経歴を語る獄卒。 その視線から逃れたくて俺は深く頭を下げた。 戦場で生き残れる可能性はごくわずか。 優秀といわれる成績はそのわずかな可能性を少しでも大きくしようと必死で足掻いた結果である。 こんな時代に生まれてしまった以上戦場で死ぬのは覚悟しているが、できることならもう暫しの間生にしがみ付きたかった。 「キミは生きているが、友は死んだようだな」 「はい、皆誇りを持って戦場で散りました」 その内一人は塹壕に避難する前に大砲で足を吹き飛ばされ、砲撃が終わった後俺の腕の中で死んだ。 目も当てられないような酷い状態なのに国を讃えて死んでいった彼はとても満足気だったのを覚えている。 「誇りを持って、か」 何が面白いのかくつりくつりと喉を鳴らして笑う獄卒に、こんなときになんだが俺はいたく感心した。 獄卒様、普通に笑えるんだな。 「その友人の“誇り”はすべて僕が刷り込んだ紛い物だと言ったらどうする?」 「はあ……あ、いや、失礼しました」 まったく別のことに気を取られていた俺は思わず生返事をしてしまった。 だがしかし、どうするといわれてもどうすればいいのだろう。 「どうした?ん?怒ったり喚いたりしないのか〜?」 ぬぅっと顔を覗きこまれて思わず後ろに仰け反る。 「……申し訳ないのですが、一体どういう反応が正しいのでしょうか」 「くぅい、友の覚悟を踏みにじる発言をとか友人は御国の為にとかあるだろう」 「なるほど」 そんなこと欠片も思わなかった自分は友に対して薄情なのかもしれない。 しかしもともと彼らの愛国心は植えつけられたものだと理解していたので今更といった感じだ。 「私の個人的な意見ですが」 「ん〜?」 「同じ死ぬなら、刷り込みだろうが紛い物だろうが大切な物のために死ぬほうがいいと、そう思います」 現に腕の中で死んだ友を俺は羨ましいと感じた。 なぜ自分には洗脳が及ばないのだろうとも。 洗脳によって死への恐怖を捨てられれば最期の時も心安らかだろうに。 「……彼らの死の原因が僕だとは思わないのか」 「はい」 「出撃を命じたのは僕だぞ」 「話が大きすぎて私には想像も及びません」 そもそも知識の浅薄な庶民にそんなことを聞くこと自体おかしな話だ。 戦争責任を問いたいのなら専門家に審議させるべきである。 「ひょっ ひょーっひょっひょっ!!!」 うひょひょ、と奇妙な笑い声をあげてステップを踏み出した極卒に唖然とした。 威圧感が完全に消え失せた極卒は妙に子供っぽくて逆に不気味に感じる。 先ほどまでも変人であったが、今の様子は狂人といっても相違ない。 「極卒様」 「僕の声を聞いても正気のまんま、それもマトモでとっても賢い!素晴らしい、素晴らしいよ〜!」 声をかけた瞬間手を取られて踊りに巻き込まれる。 なんだこれは。 「キミみたいに僕の演説を聞いても洗脳されない奴がたま〜にいるんだがね、そういうのに限ってみんな僕が悪いと怒りだすんだ。気に入った、気に入った!うけけけぇ佐崎、キミを僕の直属の部下に任命するよ!!」 暗く澱んでいたはずの極卒の瞳がキラキラと、確かな光りを宿していた。 どこをそんなに気に入ったのか知らないがそれにしても楽しそうである。 しかし。 「極卒様、素晴らしい御話ですが」 「何だ貴様まさかこの僕の誘いを断るつもりか〜?言っておくが拒否権はないぞ!」 一瞬の動作でどこからか取り出した銃を額に突きつけられる。 その格好は演説中の姿と似ていたが、彼には銃よりも拡声器の方が似合っている。 「拒否はしません、ただ私なぞをそんな重要な地位に置いてよいのですか」 洗脳されていない者に反逆思想を持つ人間が多いならあれだけの会話で俺を傍に置こうというのは軽率すぎる判断だ。 一国の代表として問題だろう。 若干諌めるような口調になってしまったのは見逃していただきたい。 「うひょっ馬鹿に付け入る隙を与えると思っているなら逆だぞォ?これは監視であり拘束であり軟禁だ。お前がスパイなら逆に好都合」 芋蔓式に引きずり出してやる、そう言って銃越しの極卒がにやりと口を歪める。 といっても、向かい合って今まで一度も笑顔以外の表情を見ていないのだが。 「そのようにお考えがあってのこととは知らず、出すぎた発言を致しました」 「当然だ、僕はとぉっても偉いんだからねぇ〜」 すいと銃を引いて踏ん反り返る極卒は正しいことを言っているのにちっとも偉いように見えないから困った。 どちらかというと、親に褒められて得意になっている子供のような。 「ほろほろほろ、お前が僕みたいに偉くなれるようぜ〜んぶ直々に仕込んでやろう!」 「……失礼は承知で一つよろしいですか」 「なんだ」 「そんな暇ないでしょう」 きっぱり告げると獄卒の頬が僅かながらひきつった。 「……………暇っていうのは作るものだ」 「差し出がましいようですが、暇が作れるのならお休みになったほうがよろしいのでは」 財政外交軍事、国のすべてを一手に負っている極卒が個人に裂く時間などあるはずがない。 あったとしてもよほど限られた短い時間になるだろう。 聞いた話によると分刻みのスケジュールで動いているらしいし今こうして話をしていること自体不思議な存在なのである。 「くうぃ!うるさい!僕は偉いんだ、できるといったらできる!!」 地団太を踏んで暴れる国家元首、そしてこれから自分の上司になる人物を前に俺は小さくため息をついた。 |