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 五条悟と吾郷亮介の出会いは呪術高専入学前の三月末、桜並木の下でのことだった。らしい。
 自分の身に起こったはずの出来事なのに『らしい』なのは当事者である五条本人がそのときのことをすっかり忘れてしまっているからだ。
 思い出せる限りの範囲で、五条にとっての吾郷との出会いの記憶は四月の末。
 入学直前になって親と揉めたとかで一人だけ数週間遅れで編入してきた吾郷は教室に入ってきて五条の顔を見るなり「あ」と間抜け面で声を上げた。
 指をさされずとも見開かれた目の視線ははっきり自分一人に向いていたので、ああ俺のこと知ってんだなと思ったが、夏油に「悟、知り合い?」と聞かれてもまったく覚えはなかった。まあよくある話だ。夏油のような一般家庭の出自ならともかく呪術師の家系で生まれ育って五条悟の存在を知らない人間がいたらもぐりと言っても過言ではないのだから、たぶんこいつもそういうやつだろう。
 内心でそうあたりをつけたのにどうやら実際は事情が違ったようで、夏油と同じく一般家庭の出であった吾郷は「知らない、もしくは覚えてない」と言い切った五条に対し「一回会ったとき下手なナンパみたいなこと言って気味悪がられただけだから覚えられてなくてよかった」と気負いなく笑い、五条に覚えられていなかったことを不満がる様子もなくあらためてよろしくと自己紹介に移った。まるで一度目の出会いなどどうでもいいと言うように。
 ーーそのときはなんとも思わなかった吾郷の言葉や態度が喉に引っかかった魚の小骨のように気になり始めたのはそれからしばらくの後。じめじめとした空気が鬱陶しい梅雨のはじめの頃だった。

「亮介ってさぁ、俺のことナンパしたんでしょ」
「ナンパ……ああ、初めて会ったときのことか?」
「それ、前になんか俺が気味悪がってたーって言ってたじゃん。なんて声かけたの?」

 夏油は泊まりがけの任務で休みをとっており、家入が来るまでは時間がある。
 二人きりの教室で湿気で重くなった空気にのしかかられているようにぐでんと机の上に顔を伏せつつ喉に魚の小骨が発生してからというものずっと気になっていたことを尋ねると、吾郷はなんで今更というふうに不思議そうな顔で目を瞬かせた。
 たしかに吾郷にとっては今更かもしれないが、しかし五条にとってはまったくもって今更でもなんでもない。
 どうでもいいやつにナンパされたことなんて記憶に残るべくもないどうでもいい出来事だが相手が吾郷なら話は別だ。そんなふうに思い始めたのがわりと最近のことなのだから、今更もクソもなかった。
 そう、どこで会ったのか正確な場所も聞いていないし何を言われたのかもわからないが自分はこの男にナンパされたはずなのである。
 だというのに態度が塩すぎる。好意をもっているならもっとこう、なにかあるだろうともやもやしてしまうほどに。
 もしかしたら初めて出会ったときにナンパじみたことを言ったというのは嘘だったのかもしれないと思いサングラスの隙間からじとりと吾郷を見やると、吾郷はその視線を懐かしむように目を細めて少し湿った白髪を撫でた。
 少し気の知れた相手に対し吾郷は簡単にこういうことをする。特別なようでいて特別でも何でもないスキンシップは、それでも五条に多少の充足感をもたらした。あまり汗をかかない体質らしい吾郷の手はこの時期でも硬く乾いていて素直に心地いい。

「桜並木の下で花びらが舞ってるなか五条が立っててさ、それがすごいきれいだったもんだから思わず見とれてたんだよ。そしたら目があって、なに?って聞かれたから素直に桜に拐われそうだと思ったって言ったら『そういうの間に合ってるんで』ってドン引きされた」
「あー……」

 覚えてない。けれど、あらましを聞いた瞬間それが間違いなく自分と吾郷のエピソードであることを五条は確信した。
 現実の五条は人を拐おうとする桜の呪霊が出てきたとしても幼児が作った砂場のおやまを踏み潰すくらいの感覚で桜並木ごと吹き飛ばしてしまえるが、それはともかく見た目だけでいえば人並み外れた美しい容姿をしている自覚はあるし、吾郷は普段塩なくせ時折ふいうちのように砂糖を練り込んだ蜂蜜をぶちまけてくるやつだ。こいつはそういうことを言うし自分はそういう対応をするだろう。
 たやすく想像できる出会いの場面を思い浮かべて本当に下手なナンパだなと納得した五条の目をじっと見つめた吾郷が「本当にきれいだったんだ」と大切なものを思い出すように笑うものだから、なんだよこいつやっぱり俺のこと好きなんじゃんともやもやが薄れるのを感じた。

「つまり亮介はそのとき俺にヒトメボレしちゃったってわけだ」
「はは、一目惚れっちゃ一目惚れかもなぁ」
「好きなら隠さなくていいのに」

 俺に気味悪がられたから遠慮してんのかなと思った五条が珍しく気を遣って「いまだったら引かねぇよ」と伝えてやると吾郷は少し目を瞠ってからくしゃりと顔を崩し「そりゃいいこと聞いた」とまた笑った。
 いい雰囲気。と、その瞬間教室の扉がカラカラと耳につく音を立てて開いた。

「おはよー」
「おはよう家入。今日は早いな」
「空気が湿ってると煙が重くて不味いんだよね。で、なにやってんの?」

 湿気た煙草が気に食わず早めに朝の喫煙タイムを仕舞いにしたらしい家入がスタスタと近づいてきて常より近い二人の距離感に気づき首を傾げる。
 湿度の高い空気のなか、吾郷のにおいに混じってヤニのにおいが鼻先をくすぐった。
 別に不快というわけではないが間が悪い。もう少し二人だけで過ごしたかった。煙草が不味かったからって早く来る必要はないだろうに。

「大人し〜。五条すごい懐いてんじゃん」
「かわいいだろ。今日から良きにはからわせてくれんだってさ」
「それ朗報?」
「さぁなァ、たぶんそうなんじゃないか」

 適当なことを言って自慢するように撫でる手の動きを大きくした吾郷に「お前の人生最大の朗報だからもっと喜べよ」と頭を擦り寄せる。
 寒い口説きかたした相手とこんなふうに馴れ合えるなんて本当に奇跡なんだから、俺がもやもやしないようにもっと喜べ。