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 思えば八木さんについて知っていることなんてほとんどなかった。
 早朝の散歩コースがかぶっているおかげで存在を認識し、挨拶して、会話して、そのうち一緒に歩くようになった男の人。陽気でお茶目で家が近所にあるらしくて怪我だ病気だかの影響であまり食事をとることができない。ガイコツみたいな見た目のせいでいまいちよくわからないけど年齢はたぶん俺よりけっこう上。
 情報が少なすぎて解像度めちゃ低だが、それでも俺は間違いなく八木さんのことが大好きだった。へにゃりとした笑顔がとにかくかわいい人だったから。
 八木さんと談笑しながら散歩している最中、一度ヴィランに出くわしたことがある。
 新聞の三面記事にしかならないようなちゃちなヴィランで、すでに誰かが通報していたのかヒーローも駆けつけていたから特別危険な状況ってわけじゃなかったけれど戦闘向けの個性もないビビリな俺はこわくてこわくてただ八木さんを庇いながらバタバタと格好悪く逃げるしかなかった。
 ──ビビリなりに安心させたくて「あなたは俺が守りますから」なんてヒーロー気取りのこっぱずかしいセリフを吐いたときのことを思い出しながら呆然と見つめるテレビ画面の中には馬鹿みたいに強くて恐ろしいヴィランに立ち向かって勝利し、ボロボロの姿でこちらを指差す八木さんの姿があった。
 正義の象徴。弱体化。オールマイトの真の姿。
 目にしたものの意味を理解し、咀嚼して飲み込んだ瞬間あまりの恥ずかしさに乾いた笑いが漏れた。
 知らなかったとはいえあの日の俺はなんてとんちんかんなことを抜かしてしまったのか。よりにもよってヒーローの中のヒーロー、オールマイト相手に「守る」だなんて。
 きっと八木さんと散歩をする機会は二度とないだろう。漠然とそう思ってぽっかりと穴が空いたように感じる胸に手を当てる。
 これから時間をかけて八木さんのことを知っていけたらと思っていたが、住む世界が違うなんて情報、こんな形で知りたくなかったな。