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 先輩刑事である真下悟がセクハラで免職になったと聞いたとき一番に口をついて出た言葉は「え、パワハラじゃなくて?」だった。
 嘘だぁ、とは言わなかった。嘘なのは前提だからだ。わざわざ指摘する必要もない。ただあの人の性格からしてパワハラのほうがまだしも真実味があるのになんでセクハラにしちゃったのかな、と。
 まあその疑問の答えも少し考えれば自明だった。大方嫌がらせのためにより名誉を傷つける内容にしたかったとかそういうくだらない理由だろう。あの人本当に敵が多かったからなぁ。
 真下先輩は実際嫌われて当然という感じのクソみたいな言動とふてぶてしすぎる態度の人だった。けれど同時に自分の中の正義というか、芯を曲げることは絶対にしない人だ。生き方が不器用どころの話ではない。取り繕わないのはただの馬鹿だ。そして俺は先輩のそういう馬鹿なところが実のところ大好きだったので、先輩が消された原因であろう事件の捜査を引き継ぐことにした。
 そうしたら案の定免職だ。こそこそすることなく堂々と過去の資料を請求したから当然といえば当然だが素早いお仕事ご苦さまと嫌味の一つも言いたくなるスピード処分。ちなみに真下の犬だなんだと揶揄されることはあっても特段嫌われ者というわけではなかった俺の免職理由はもらした覚えのない情報漏洩である。やっぱり真下先輩のときのセクハラは人格を貶めるための嫌がらせだったのだろうと再確認し先輩どんだけ嫌われてたんだよと改めて笑ってしまった。
 警察という組織が嫌になってしまって、でもただ辞めるんじゃ面白くないから当てつけをしてやった結果の免職なので悔いはないがさてこれからどうするか。
 警察をクビになったという経歴ではまず間違いなくまともな就職はできなくなる。それでも金がなければ生きていけないのだから働くしかないのだが、バイトで日銭を稼ぐにしろ実家の神社に戻って予定より早く他人には信じてもらえないようなオカルトな世界に足を突っ込むにしろ先は明るくないだろう。
 そう考えると自分の一連の行動は間違いなく遠回しで緩やかな自殺だった。希望のない未来に唾を吐きながら歩み寄る、そんな自殺だ。
 真下悟が好きだった。
 はなから実らせるつもりはさらさらなかったけれど、実家の業のおかげで生まれる前から薄暗いことが確定していた人生にはじめて鮮やかな色を与えてくれた大切な恋だった。それを強制終了させられたのだからそりゃあ自棄にもなろうというものだ。
 そう、実家の業。あのまま刑事を続けていようがバイトで茶を濁そうが親父が死ねば俺は神社を継がねばならない。継がなければ死ぬ。それがいつだか知らないご先祖さまから続く業であり呪いだ。
 ちなみに宮司になって死を回避したとしても体に流れる血が誘蛾灯の役割を果たしているせいで神社にはバケモノ関係の避けられない依頼が定期的に舞い込んでくる。子供のころ親父の仕事を何度か手伝ったことがあるがバケモノ退治は命懸けだ。ほんの少し準備が不足していたり判断をミスするだけで簡単に死ぬ。現に親父の協力者は俺の目の前で死んだ。あまりにあっけなく、笑えるほど理不尽に。親父も俺もいずれああやって死ぬのだと子供心に刻まれた瞬間だった。
 真下先輩の傍若無人さを心地よく感じるのは自分が生を諦め死に向かって生きてきたせいだろう。真下先輩自身は別に俺を元気づけても癒してもくれないがあの人が悪態をついているのを見ると自然と心が軽くなる。
 だからずっとそのままでいてほしくて、自己中なくせに自分を大切にしない先輩が心配で、睡眠やら食生活やらタバコの吸いすぎやらに口出しして鬱陶しいと吐き捨てられてでもなにかあると一番に名前を呼んでくれるのが嬉しくて。

「そばにいられるだけでよかったのになぁ……」

 俺も真下先輩も免職された時点で警察の寮を出ており引越しに際して家の電話番号も変わっている。携帯の番号は警察で支給されていたものしか知らない。どこでなにをしているかもわからないし、職場という接点がなくなった以上もう二度と会うことはないだろう。
 二度と会えない。先輩がいなくなってから何度考えたかわからない事実を噛み締め、いつも通り「会いたいなぁ」と無意味につぶやいた。
 そのとき、突然来訪者を告げるチャイムが鳴った。あまりのタイミングに驚きで体が跳ねる。
 そこそこ夜も遅い時間だというのに新聞かテレビか訪問販売か。宗教勧誘だったら間に合ってるぞと思いながらのそのそ腰を上げ、玄関の覗き穴から外を見る。と。

「は……、あ?は!?真下先輩!?」

 ドアの前に立っているその姿を確認した瞬間あり得なさすぎて幻覚かと思いながらも手はすでに鍵に伸びていた。チェーンをかけていたことを忘れてドアを開いてしまい、咎めるようにガシャンと鳴った鎖に慌てて一旦閉め、チェーンを外してまた開ける。
 そこにいたのはうっすらと隈の浮いた目元にヤニ臭い緑のコートの男。幻でも見間違いでもなかった。本物の真下先輩だ。

「遅い。扉ひとつまともに開けられんのか」
「うっわあ口悪い!相変わらずですね先輩!」

 キラキラしているであろう俺の顔を見て先輩がチッと舌打ちした瞬間先程までの無気力が完全にふっとんだ。真下先輩セラピーである。たぶん俺にしか効果はない。

「どうしてここが?警察には引越し先知らせてなかったはずですけど」
「安岡の婆さんだ。知ってるだろう」
「安岡さん?占い師の?」

 安岡という名の老婆と聞いて思い浮かぶのは一人しかいない。安岡さんは先代の神主である祖父と行動を共にしていたことがあるらしく、いまも家族ぐるみでの付き合いが続いている。親には警察をやめたことや新しい住所を知らせていたから実家経由で安岡さんに、安岡さんから真下先輩に情報が渡ったということだろうか。

「話がある。部屋にあげたくないなら車に来い」

 親の個人情報に対する認識が甘過ぎることを嘆くべきか安岡さんの顔の広さに驚くべきか悩んでいると真下先輩が顎で外を示した。
 言外にいつまでも立ち話をさせるなという強い圧。たしかに気が利かなかったと慌ててドアを開いたまま半身を避ける。

「え、ああすみません。上がってください。もうメシ食いました?ちょっといろいろ切らしてて調味料とビールとツマミしかないですけど」
「……貴様、人の世話を焼く前に自分の生活をどうにかするべきじゃないのか?」

 呆れたように言って玄関にあがり、靴を脱ぎがてら押し付けられたビニール袋を見ると中には紙袋に包まれたまだ温かいコロッケが二人分相当入っていた。
 懐かしい。以前張り込みの最中にどうしてもほしくなって購入したものの食べるとき車内にパン粉をぼろぼろ落としてしまって真下先輩にガチギレされた思い出の一品だ。
 ここのコロッケ大好きなんですごめんなさいと必死に謝ったのを覚えてくれていたらしいことも土産を用意してくれたことも嬉しいが、でもこれ、車で話をすることになってたらどうするつもりだったんだろう。

「先輩、水とビールどっちにします?」
「ビール」

 即答。車で来たうえに突然の訪問なのに泊まる気満々だな先輩。別に予定なんかないし俺にとってはただの役得だから全然構わないけど。

「で、今日はどういうご用件で?」

 面倒くさくて荷解きしていなかった段ボールから座布団を探している間にとても自然にベッドに腰を下ろしてくれていた先輩の前に机を寄せ、その上に冷蔵庫から出した冷たいビールとツマミ、そして土産のコロッケを並べて理由を尋ねた。
 安岡さんからたまたま俺の話を聞いたのか真下先輩のほうから安岡さんに話を振ったのかは知らないが用もないのにわざわざ訪ねてくるとも思えない。
 もしかして免職の原因のH小学校の事件についてなにかしらの助力を求めているのかと思い尋ねてみると先輩は「その件は解決済みだ」と鼻を鳴らした。いけすかないけど様になっているところがまた腹立たしい最高の先輩仕草に相好が崩れる。

「さすがですね!おめでとうございます」

 権力によって握りつぶされたとはいえ、逆を言えば握りつぶさなければならない人間までたどり着けていたのだから先輩の執念深さならいずれ真相にたどり着くだろうとは思っていた。だがそれにしてもすごいと素直に驚嘆を表すと先輩はひくりと目をすがめた。

「……聞かないのか」
「聞くってなにをです?」
「貴様にとっても警察を追われるきっかけになった最後のヤマだろうが……!」
「あー、はい。そうですね」

 先輩と違って免職前提の当てつけで手を出しただけの事件だから気になるか気にならないかと言われたら、申し訳ないがまったく気にならない。
 無関心にもほどがあるぞと唸る真下先輩になんかすみませんと謝りつつ俺は首を傾げた。
 親には警察を辞めたとだけ伝えていた。免職だの冤罪だのの汚い話は直接会ったときに時間をとって話す気でいたし、それだって詳しい事情については伏せるつもりだった。関わった事件について口にしたらそれこそ『情報漏洩』になってしまうから他の誰にも話していない。誰にも話していないはずのそれを、俺より先に警察を去って一般人になった真下先輩がどうして知っているのだろう。

「もしかしてそれも安岡さんから?」
「そんなわけがあるか。仕事で警察関係者に探りを入れたときに聞いてもいないのにぺらぺら教えてくれるやつがいたんだよ」
「ほう、なるほど……?」
「わかっていないのにわかったふりをするのはやめろ。馬鹿が余計に馬鹿に見える」

 息をするように暴言を吐いて「貴様は俺に懐いていたから嫌がらせのつもりだろう」と意図を教えてくれた真下先輩に再度なるほどと頷いてみせる。
 別件の情報収集で元同僚をつつきにいったら「そういやお前を慕っていたやつがお前の二の舞で職を失ったぞ」というむねの嫌味を言われたわけか。真下先輩に好意で内部情報を流してくれる友達がいると言われるよりはよほど納得できる説明だ。

「しかしなんというか、的外れですね。俺が一方的に先輩に懐いてるからって別に先輩への攻撃材料にはならないでしょうに」

 先輩は一瞬虚を突かれたように目を見開き、ついで苦虫を何匹噛み潰しているのかと問いたくなるようなそれはそれは苦々しい顔つきで「そうだな」と俺の言葉に同意した。無駄に整った綺麗な顔が台無しである。

「……同じ事件で人生を狂わされたよしみにことの顛末を教えてやろうと思ったのがここにきた理由の一つだ」
「あっそうなんですか。うまいことリアクションできなくてごめんなさい」
「まったくな。当てが外れた」

 ビールを手に取りため息を吐く真下先輩にもう一度ごめんなさいと特に心のこもっていない謝罪をしてコロッケにかじりつく。うまい。でも一口で半分以上なくなった。かなしい。

「もう一つ、本命の理由はこちらだが━━貴様、怪異を知っているだろう」

 さくり。
 せっかくのコロッケを二口で消費してしまうのがもったいなくて小さめにかじった瞬間ぶっこまれた本題に空気の硬度が変わった、ような気がした。
 正確には変わったのは真下先輩の周りの空気だけだ。俺は安岡さんの名前が出たあたりからなんとなく予想していたから怪異という明らかに不穏な話題を持ち出されても「ああやっぱりか」という感じだった。
 軽く調べただけでもわんさか出てきたH小の不穏な噂にどういう繋がりかわからない真下先輩と安岡さんの交友関係、解決したという事件と俺を尋ねてきたタイミング。つまり先輩も何かしら、少なくともこの世の非常識を信じざるを得ないレベルのホラー体験をしたのだろう。

「怪異。バケモノのことなら、はい。知ってますよ。その感じだとたぶん安岡さんからいろいろ聞いてますよね」
「いろいろと言っても神社や家の歴史についてくらいだがな」
「充分です。それで、まさかオカルトな秘密を共有するためだけに来たってわけじゃないんでしょ?」

 口の中のコロッケを咀嚼して味わって飲み込んで、残る一欠片を口に入れ箸を置く。
 普通の人なら知ってしまった異常な世界に不安をおぼえて同じ知識を持つ者と意味もなく群れようとするかもしれないがそこは真下先輩だ。真下先輩は一匹狼というわけではないが意味のない群れは作らない。群れるのは狩りの成功率を上げるためだ。

「探偵業をはじめた。安岡の婆さんのせいでそういう依頼が山積みだ。暇なら手伝え」
「了解です」

 お願いではなく命令系の予想通りな要請に、それなら答えは決まっていると即断で頷いて返す。
 さきほどの当てが外れたというセリフからして本来であればH小の事件の真相を手伝わせるための交渉材料にするつもりだったんだろう。別にそんなことしなくたって言ってくれれば喜んで手伝うのに。

「…………命の危険があるんだぞ」
「知ってます。でも俺の場合実家に戻ってもそれは同じですし、あと暇ですから」

 自分から言い出したくせに俺が迷うことなく了承したことに怒りを覚えたらしく牙を剥くように口元を歪めた真下先輩ににっこり笑って「コンビニバイトよりいい給料出してもらえるならやりますよ」と指で円マークを作ると心底腹立たしいといった様子で手を払われた。
 命賭けの仕事を手伝えと言うくせに命を軽視する素振りを許せない。いかにも先輩らしい理不尽さだ。

「死ぬなら好きなようにやって後悔なく死にたいんです。先輩だってそうでしょ?」

 先輩と一緒にいられるなら命なんて、とは言わない。そんなことを言えば俺が本当に死んだとき後味が最悪になる。それは本意ではない。俺は先輩にいつだって、俺がいたっていなくたって変わらず健やかに悪態をついていてほしいのだから。

「お給料、よろしくおねがいしま〜す」

 先程払われた手で払った手を取り強引に契約成立の握手をする。
 手の中の体温とへらへらと笑みを浮かべる俺を見てため息をつく真下先輩に、俺は充実の余生が戻ってきたことを実感した。