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 好きな人がいた。
 厄介な性格の相澤に対し出会ったころから終始変わらず好意的で、そのくせ親しくなろうと踏み込んでくるわけでもなく心地良いが歯痒くなる距離感を保ち続けるおかしな男だった。
 誰にでもそんなふうなのかと思って観察してみれば自分だけが特別な扱いを受けているのは明白で、それを嬉しいと思ったのだから素直になればよかったのに、素直になれず反発というのも微妙ないやみったらしい態度を取り続けてしまった。
 素直になっていれば別の道もあったのだろうかといまになって考える。
 ヒーローだって人間だ。ハメと道を外しさなければプライベートをどう充実させようが勝手である。まして自分のような、ただの学生時代の後輩に口出しする権利などあるはずもない。
 あるはずもないのに、いかがわしい雰囲気を纏った男に誘われて動揺するでもなくいなしている慣れた様子の市井を見た瞬間怒りと焦燥と、欲が湧いた。
 市井の特別がほしい。
 特別がいい。いままでよりもっと特別に求められたい。
 その場で詰め寄って男が対象なら自分だってと喚いてやりたかったがこれまでの己の行いを鑑みれば告白したってなんの冗談と笑いとばされるのがオチだろう。それでも市井を他の男に奪われるのは嫌だった。女相手ならどうしようもないと思えただろうに、実際にはありもしない可能性をほんのわずかでも感じとってしまったせいで気持ちの収集がつかなくなったのだ。
 だから半ばヤケクソで提案した。受け入れられるとは思っていなかったのに、市井はじっと相澤の言い分を聞いたあと見慣れた笑顔を浮かべてその屁理屈に賛同を示した。
 それからの市井との関係はまるで地面を掘って地球の裏側を目指すような、諦められないから続いているだけのクソみたいなものになった。
 口説かれているのを見たときの直感通り市井は男を抱くのに慣れているようで、経験のない相澤の身体を至極簡単に、恐ろしいほど優しく丁寧な手つきで蕩かせてみせた。嫌だやめろと拒否しても恋人のように甘い言葉をかけられキスとセックスで頭を真っ白に塗りつぶされ、一時の極上な幸せのあと自分がただのセフレにすぎないことを思い出して絶望する日々。
 セックスフレンドにならないかと提案したとき市井は「さすが相澤、合理的だな」と笑っていたがそれは嘘だ。合理性なんて欠片もない。未来も生産性もない。なにもかもが不毛だ。
 全部わかっていた。あのときほしいと思った特別はこれじゃないし、本当に望んだものはこんな方法じゃ手に入らない。
 身体の繋がりなんて園芸用の小さなシャベルみたいなもので、頼りない道具ひとつあったところでブラジルへの穴は開通しない。理性ではわかっていて、それでも自分には他に方法がないから、せめて寄越されたシャベルが取り上げられてしまうまではと駄々をこねるように地面に突き立て続けた。自分から終わらせることなんてできやしないのだからこの恋の終わりは市井に切られるときだと本気でそう思っていた。市井に本命ができるかその前に飽きられるか、理由はどうあれ市井のほうから「もうやめよう」と告げられて、建前にした合理性ゆえに縋ることもできず、希望と称するのも烏滸がましいシャベルを自ら手放してそれでようやく納得できると。
 それなのに、これはなんだ。
 突然放り込まれた『出られない部屋』という理不尽。好きな人をお互いに教える?そんなもの、どちらか片方でも好いている相手がいなければ一生条件を満たせないではないか。おかしいだろう。理不尽だ。
 必死にながらえさせていた恋に自ら止めをささなければならない理不尽な状況に追い込まれ、そんな理不尽をなんでもないことのように市井が受け入れたという二重の動揺で吐き気がした。
 市井には好きな人がいる。それに対して隠す必要を感じていないし、相澤も同じだと思っている。
 相澤にも好きな人がいた。ずっとずっと好きな人がいる。口に出してしまったら過去形にしなければならなくなる、好きな人が。
 視点の定まらない目を凝らして市井が置いていったメモを見つめるが新たな発見もなければ内容が変わるわけでもない。
 素直になっていれば。そんなことを考えてももう遅い。
 もうすぐ市井が帰ってくる。無駄に広いとはいえ家探しで稼げる時間などあってないようなものだ。近づいてくる市井の足音とタイムリミット。ひどくなるばかりの吐き気に、相澤は胸と口を押さえて背中を丸めるしかなかった。

***

「おう、戻ったぞ〜……って相澤、お前顔色悪化してないか!?」
「先輩」
 
 ぼんやりとしたまま縋るように口にしてしまった昔の呼び方に気づいて軽く唇を噛み、市井さんと言い直す。そう呼んでいたころに戻れたらとどれだけ悔いたところで理不尽な現実からは逃げられない。
 いま自分ができるのは悪あがきすることだけだ。

「市井さん。俺は、好きな人がいません」

 心配そうな市井の顔を見ていられず、差し出されたグラスに視線を固定して嘘を吐く。締めつけられているような感覚に反してすんなり喉から滑り出た言葉が余程予想外だったのか市井の手の中でグラスの水が大きく揺れた。
 ごめんなさい。困らせてごめんなさい。
 嘘つきで、ごめんなさい。