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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -




 好きな人がいない。相澤が告げたその言葉に一瞬動揺し、次いで微妙な、それでいて無視しづらい確かな違和感を覚えて眉を寄せた。
 相澤の言葉を明確に嘘だと思ったわけではない。ミッションを知ったときに様子がおかしかったのもいまこうして真っ青なまま俯いているのも自分が足かせとなって部屋から脱出できない未来を想像しパニックになってしまったからだと思えば説明がつく。こんな異常事態だ。相手が相澤でなければきっとなんのひっかかりもなく納得しただろう。

「好きな人がいないってのは、これまで一度も誰かに対して恋愛感情を抱いたことがないって認識で間違いないか?」

 とりあえず持ってきていた水入りのグラスを手に握りこませるように渡してそう尋ねると、相澤はグラスに固定された視線をあげずにただ一つこくりと頷いた。
 肯定を表すその仕草を見て確信する。やはりおかしい。なにがおかしいってあの相澤が、俺ですらすぐに思いついた『ラブではなくライクの好き』という可能性を考えもせず思考停止してしまっているのである。
 他者からのフォローを期待できないぶん些細なミスが命取りになりやすいスタンドアローンのヒーローにとってパニックにならない、また万が一なってしまった場合素早く仕切り直せる冷静さは武器であり必需品だ。
 学生のころから一人でやっていくことを想定して訓練を積み、洗練させ、常に冷静かつ合理的に物事をこなしてきたはずの判断力や分析力に人一倍長けている相澤がどうしていまこの状況で混乱状態から自らを立て直すこともできないまま恋愛という考えに固執してしまっているのか。
 おかしい。絶対に何かあるとしか思えない。

「好きな人、ねぇ」

 なにかあると思いつつもどう切り出せばいいかわからず、ぽつりと呟いて頬をかく。
 俺もこの部屋における『好きな人』の定義はおそらく恋愛限定だろうと思ってはいる。それ以外の好きが許されるなら閉じ込められたのが俺と相澤である意味がわからないからだ。
 この人選には悪意がある。しかし悪意があると思うのは俺が相澤への気持ちを隠しているからであって、そんな前提のない相澤にとっては相手が俺であることに意味も悪意も感じられないはず。
 それなら恋愛感情以外でもいけるのではないかと、家族でも友人でも生徒でも片っ端から試してみようと思うのが自然な思考の流れではないのだろうか。
 俺と相澤が二人で部屋に閉じ込められたのも好きな人を教えるというミッションも相澤の違和感も全部偶然、全部気のせいだと言えばそれまでのこと。けれどどうしても気になってじっと考えていると、ほんの少しだけグラスの水を含み唇と舌を潤わせた相澤が顔を上げた。

「市井さん」

 名前を呼ばれ引き寄せるように袖をひかれる。ようやく合った目には先程より強い光が宿っていたが、冷静と言うにはどこか切羽詰った、妙な迫力があった。

「抱いてください」
「…………突然だな。理由は?」
「抱かれて、前後不覚になってる最中なら、市井さんの名前で出られる可能性があります」

 硬い声の対案になるほどと小さく頷く。たしかにセックスと恋愛では分泌される神経伝達物質が同じだと聞いたことがある。
 ロマンの無い話だが身体だけの関係のはずの相手に情を抱いてしまったというのはよく聞く話だし、理論的にはあながち間違いじゃないのかもしれない。
 あくまで理論的には、だ。

「なあ相澤。お前これまで抱かれてきて一度でも俺を好きだと思ったこと、あるか?」

 じっと見つめ返してそう問うと相澤は意味がわからないといったふうな顔のあと、しばらくして俺の言いたいことを理解したのか言葉を失ったように沈黙した。
 自分で言うのも悲しいが相澤は俺が相手なら抱かれても恋だのなんだの勘違いのしようがないからセフレに誘い、その想定が正しかったからこそいままで破綻することなく関係を続けてきたはずで、それがいまさら一度や二度抱いたところで覆るとは残念ながら到底思えない。
 ついでに言うとせめて抱いている間くらい幸せな勘違いをしていたいと恋人のように優しく抱く俺を気味悪がって全力で拒否するような男を一時的にでも落とせるテクニックがあればとっくの昔に実践している。自分で言っていて本当に悲しい。

「なら、他にどうすればいいんですか」

 相澤の中では真剣に考えた結果これしかないと思った妙案だったのだろう。唯一の可能性にケチをつけられ途方に暮れたような声をあげた相澤に、途方に暮れたいのは俺の方だと思った。
 真意はどうあれ好きな人がいないと言われてしまった以上、先に相澤に好きな人を言わせて後からライクを装い相澤の名前を口にするという方法はとれなくなってしまった。これで本当に親兄弟友人がダメなら残る手段はガチンコのみだ。
 俺は相澤に告白するしかなくなるし、相澤にいたってはまず好きな人を作るところからはじめなければならない。
 そう考えて、はたと気づいた。
 相澤は好きな人を作らなければならない。そしてきっとその相手として一番有力なのは、この場にいる俺だ。
 現にセックスによる錯覚を利用してではあるが相澤は俺を『好きな人』にすることで外に出ようと考えてくれた。つまりこの現状なら相澤は俺に恋をしようと積極的に頑張ってくれるわけである。
 これはもしかして、最悪だほぼ詰みだと思っていたが逆にまたとないチャンスなのでは?

「━━━━うん。よし。口説くか」
「は?」

 万が一だがライクの意味の『好きな人』でミッションクリアになる可能性もある。扉が開けばもう俺を好きになる努力はしてもらえない。
 相澤には悪いが、賭けるなら相澤が『好きな人』を恋愛限定だと思い込んでいる今だ。
 リスクと保身、失うものと得られるかもしれないもの。僅かな可能性を天秤にかけて覚悟を決め、俺は改めて相澤の目をしっかりと見つめて口を開いた。

「俺の好きな人は相澤消太、お前だ。学生のころからずっと好きだった。どうせ好きになるならセックス中じゃなくてシラフの状態で好きになってほしい」

 相澤はぽかんとした顔で再度「は?」と繰り返した。そりゃあこれまで眼中になかったセフレから突然迫られたらそうなるだろう。
 というか、口説くとは言ったものの実際は口説くのを通り越して完全に告白だ。好意を伝えず口説く方法なんてわからないから仕方ないとはいえこれで断られたらもう笑うしかない。

「……それは、」

 しばらくの沈黙のあと短く紡がれて途切れた言葉の合間、笑い声か吐息かわからない音が相澤の口から漏れた。
 絞り出すような掠れた声。見開かれた目のまま唇の端だけが小さく持ち上がる。
 どうにかして冗談に、笑い話にしたい、と思っているようだった。

「それは、口説かれてその気になって俺も市井さんのこと好きですって、伝えて。あんたが好きだったってことを教えてそれで、そのあとで改めて先輩の、市井さんの本当に好きな人を聞かされるってことですか?好きだって言わせておいて?そんな、それは、さすがに」

 ひどい。

 口元だけしか笑っていない不恰好な笑みを浮かべ、最後の方は掠れきってほとんど聞き取れなくなっていた声で相澤がそう言った瞬間キィと音を立ててそこそこの勢いで部屋の扉が開いた。
 緊迫した雰囲気を粉々にするポルターガイストじみた現象に活きのいい魚みたく体が跳ねあがる。悲鳴を上げなかったのは奇跡だった。心臓が痛い。やめてくれ、ホラーは苦手だ。
 思わず扉を見て、慌てて相澤を見て、また扉を見て相澤を見る。相澤も驚いたようで握ったままだったグラスの水が少しこぼれていた。

「なん、えっ、扉……いま開いたのここだけじゃなかったよな?」
「音、はいくつか重なって聞こえてましたね」

 それだけ言って二人して黙りこむ。たぶんお互い気になっていることは同じだと思うが、信じがたくて確認しようと言い出せない。
 いやでも、ものすごく信じがたいがタイミングからしてこれは。

「…………あー、ちょっと確かめたいんだけど相澤。なんか俺に嘘ついてることないか」
「う」
「確認すればわかることだ。でもできればちゃんと、相澤の口から聞きたい」

 ハッタリだ。本当は確認したってわからない。
 扉の開いたタイミングやこれまでの相澤の態度、先程の、聞きながら「まるで告白されてるみたいだ」と思った言葉からしてたぶん、ほぼ間違いなくそうなんだろうと思う。
 相澤は俺と同じ前提を持っていた。人選に悪意を感じたからこそ『好きな人』を恋愛限定だと決めてかかって、失いたくないから気持ちを知られたくなくて、どうにかして俺の名前で扉が開いても不自然じゃない状況を作ろうとした。そう考えればスジは通る。
 だがそのスジはあまりにも俺に都合が良すぎるというか。
 セフレになって以来いまのいままでずっとどうでもいい寄りに嫌われているとしか思っていなかったから、もしこれで確認した出口の扉が開いていたとしても相澤から直接きちんと話を聞かない限り信じられそうになかった。

「相澤」
「あ、」
「好きだ」
「…………っ!」

 視線に耐えかねたようにバッと腕で顔を隠した相澤に顔を寄せ、できるだけ穏やかに「好きな人、いないんじゃなかったのか」と尋ねる。興奮はまだ抑えて、優しく、けれど絶対に逃さないように。なんだか尋問と迷子への声かけの中間のような妙な気分だ。

「おれ、は」
「うん」
「俺は……合理的に考えるなら、セフレなんか作らずに一人で処理するほうが、よっぽど手っ取り早くていいと思います」
「……あー、なるほど。そっか、うん、そうだよな。お前はそういうやつだよなぁ」

 恥ずかしさで死にそう、死ねないなら舌を噛みちぎっていますぐ自ら死を選びたいとでもいったふうに唸って震えて、それでもなんとか答えらしいものを返してくれた相澤はこれまでの顔色の悪さが嘘のように血色良くなってしまっていた。
 大きく息を吸って、長く深く息を吐く。
 そうだ。わかっていたはずだった。相澤は高級ホテルの一室と寝袋を比較して寝袋で十分と言うようなやつなのだ。
 常に冷静で合理的に動いて可愛げがなくて。そしてこれは知らなかったことだが、相澤はせっかくの武器であるそれらを『好きな人』相手には放り出してしまうような可愛げのあるやつだった、らしい。

「相澤、好き」
「……ミッションはもうクリアしてますよ」
「わかってる。言いたいだけ。好き」

 情は理詰めで動かせるものではない。
 俺が相澤に知らしめたくて逆に思い知らされたそれを俺より早く理解していたらしい相澤に、これまで言わずにいたのを詫びるつもりで好き好きと繰り返す。
 傷つけたくてセフレになったはずなのにいざ相澤を傷つけていたと知ったら申し訳なくてたまらなくなるのだから現金なものだ。
 顔を隠し、たまに鼻をすする以外動かなくなった相澤から「おれもすきです」という消えいりそうな声が返ってきたのはそれからしばらく後のことだった。