「あ、の……船長、あの、そろそろ、痛いんです、けど」 「黙れ」 「……アイアイ」 アルコールを染み込ませたガーゼで執拗に唇を拭ってくる船長にダメもとで苦言を呈すも解放してくれる気配は微塵もない。 逆にガーゼを強く押し付けられて泣く泣く口を閉じた。 船長に猫を煉瓦の破片とシャンブルズされた挙句引きずるようにして船に連れ戻されたおれは、現在頭部のみを船長に抱えられて『消毒』されている真っ最中だ。 ちなみに首から下は下着姿でシャワールームに放置されており、猫の黒い毛が大量についたつなぎは当然のように破棄された。 別にそこまでしなくてもと抗議したのだが船長曰く「野良猫が危険な病原菌を持っていたらどうする」とのこと。 確かに猫とはいえ野生動物に対して過剰なスキンシップをとったのは考えなしな行動だったけれど、それにしたって過剰に反応しすぎじゃないだろうか。 まるで、猫に嫉妬でもしてるみたいだ。 そんなことあるはずないとわかってはいるが、大切な宝物についた汚れを一生懸命落とそうとする子供のような真剣な表情を見ているとどうしても期待が膨らむのを止められなかった。 猫に向けて言ったことはすべてあなたに向けたものだと伝えたら、船長はどうするだろう。 怒るか呆れるか気味悪がるか、それとも。 「アルバ」 「ふぁ、い……!」 唐突に呼ばれた名前に返事をしようとして開いた口の中にアルコール独特のなんとも言えない味が広がった。 実際にはありえない『もしも』の想像に集中しすぎて忘れていたが、おれの口はガーゼによって塞がれていたのだ。 あまりに間抜けな返事をしてしまったことに落ち込むおれを、船長がのぞき込むようにじっと見据える。 話しかけるなら離してからにしてくださいと目で訴えると船長は小さく鼻を鳴らしてガーゼを床に投げ捨てた。 口元から離れた一瞬ガーゼの内側に見えたのは滲んだ赤色。 船長は気に留めていないようだが出血するまで消毒行為を続けるなんて、さすがにただ事ではない。 まさか本当に、と目を見開く先で硬い表情の船長が再度おれの名前を紡いだ。 「アルバ、お前は猫を甘やかすのが上手いな」 「は、猫……ですか?」 口を動かすとアルコールが揮発し乾いた唇がびりびりと痛む。 思わず顔をしかめたおれを見て船長の冷たい指が唇をなぞった。 キスするのかと思ったのだが、残念なことにそのつもりはないらしい。 何かを確認するように唇に触れながら船長は淡々と会話を続けた。 「さっきの猫だ。撫でられて喜んでただろう」 「ああ、あれはあの猫が人慣れしてるからできただけで。大抵の場合は威嚇されて諦めるから撫でることなんて滅多にないですよ」 「……威嚇されたら、触らねェのか」 「そりゃ、無理やり触ったって可哀想なだけですし」 こんな状況ですらなければただの世間話で済ませられるやりとりなのだが、そうかと呟いた船長の表情はどことなく暗い。 伏せられた船長の瞳に影が差すのを見ておれはハッとした。 今ならいける。 これはそういう雰囲気だ。 自然な感じでいちゃつける千載一遇のチャンスなのにどうしてこんなときに限って船長を抱きしめるための腕がないのか。 もちろん船長にバラされたせいである。 おれが涙目になるのと同時、遠いシャワールームで首のない身体がガクリと肩を落とした。 |