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 頭がずっと霞みがかっている。どのくらいかというと、ずっとというのが数時間なのか数日なのか数ヶ月なのか判断がつかないくらいにだ。
 感覚は鈍いし思考も働かない。わかるのはここが病室で、おれは怪我をしていて、その怪我は白ひげ海賊団との全面戦争で負ったものだということだけだった。
 大変な戦争だったな、と他人事のように、ほんの一部とはいえ自身もそれを作りあげる一端を担った地獄について病室の白い天井を見上げながらぼんやりと考える。
 おれの若い頃の海は、そりゃあ化け物のような連中はもちろんいたがそれでも今よりはずっと平和だった。海賊王に唆されたクズどもがのさばっていなかったというだけでなく、そのクズどもの相手をしなくていいぶん大規模な訓練に時間を割けたのでひよっこがひよっこのまま死ぬことが少なかった。味方であるはずの化け物に揉まれて死にそうになりつつ、それでもおれみたいな小粒が着実に成長してここまでこれたのだから、おれは時代に生かされたといっても過言ではない。
 しかしそうして青臭いひよっこ時代をなんとか生き延び手に入れた経験という名の武器ですら白ひげ海賊団との全面戦争ではなまくら刀のように感じられた。
 消耗し、削られ、体はどんどん重くなるのに敵は減らない。そのうえ四方八方から敵か味方かもわからない化け物どもが放った攻撃の流れ弾が飛んでくる。自分の力だけでは回避できない。殺したやつが殺したそばから生き返ってるんじゃないかと疑いたくなるほど無限にわいてくる敵を無心に斬りふせながら「当たってくれるな」と祈るばかりの時間が延々と続く。
 地獄としか形容できない戦場でおれの目がとらえたのはそこかしこで起きている爆発や炎とは違う、遠く離れていてもなおまばゆく輝く光だった。
 それを見た瞬間、あいつは違うんだなといまさらかつ当然の事実が頭をよぎった。
 あいつにとってこの地獄は地獄ではない。おれとあいつは同じではない。
 比べることすら烏滸がましいと理解していたはずの同期の友との生物としての格差を目の当たりにして、おれはこのまま死ぬかもしれないけどあいつは散歩してきたくらいの感じで普通に生きてもとの生活に戻るんだろうなと考えた。考えて、周囲の音が消えたように静かになった頭でそういえばと思い出した。
 あいつあのとき、すごく嫌そうな顔してたよな、と。

「アルバ?ぼんやりしてどうしたんだァ〜い?」

 どのくらいぼうっとしていたのか、唐突に声をかけられいままさにあの戦場にいるかのようなリアリティのある回想がぷつりと途切れた。それと同時に死体と死体予備軍ばかりの地獄から静かな病室にシーンが切り替わる。さきほどまで誰もいなかったはずのベッドの隣にはぼろぼろのおれと違い傷一つないきれいな姿のボルサリーノが立っていた。
 ボルサリーノ。同期の友人。味方のほうの化け物。全面戦争を前についに死ぬかもしれないと怖気付き長年隠し通してきた恋情を押し付けた相手。
 友情とは違う好意を告げたおれに目を見開き、直後心底不快そうに顔を歪ませて「縁起の悪ィこと言うんじゃねェよォ」と吐き捨てた男は今日だったか昨日だったか数日前だったか、この病室を訪ねてきて以来まるで愛おしい者を見るような目でおれのことを見つめてはにこにこと笑っている。「あいしてる」と言えばいつだって幸せそうな声で「うれしい、わっしも」と返される。全身に負っているはずの怪我の痛みもない。ここはあの地獄の戦場の地続きにあるとは思えないほど、本当に穏やかで心地のいい世界だった。

「……あのときのこと、考えてた」

 ぬかるみにはまってそのままずぶずぶと沈んでいきそうになる意識を気合いで繋ぎ合わせ、ゆっくりと息を吐いた。そうして真っ白な空間のなか、相槌を入れることもなく静かに佇んでいる黄色い男ではなく自分自身に向けて言葉を紡ぐ。

「ボルサリーノに告白したとき、すごい嫌な顔してたなって。それを、おれは戦場で思い出したんだ」

 嫌な顔はされたが気色悪いとは言われなかった。ただ、その嫌な顔というのがこれまでに見たことがないくらい本気の嫌な顔だったから、返事もなしに去っていくボルサリーノの背中を見てああ嫌われたんだなと思った。
 もとより期待はしていなかった。フられるのは大前提だったからボルサリーノに想いを告げた時点で心残りといえるほどの心残りはなくなっていた。
 未練はない。けれど戦場で一秒後には死んでいてもおかしくないという状況のなか、この戦争が終わったあとのことーーおれが死んでボルサリーノが生きている未来を想像したとき、おれはふと一つの可能性に思い至った。
 『戦いの前にこれを口にすると死ぬ』といういくつかのジンクスがある。縁起の悪いことを言うなという言葉からして、もしかするとボルサリーノはそのジンクス通りの結末を忌避したのではないか。つまりあの人生一番に輝いてもおかしくない心の底からの嫌そうな顔は、おれの死を、ジンクスレベルで嫌ったがゆえの悪態だったのではないかと。

「まあ、おれの勘違いかもしれないが」

 それでも、可能性があるなら起きなければならない。
 そう、起きなければ。
 ぼんやりしていてもわかることはある。この世界はおかしい。おれにとってあまりにも都合が良すぎる。
 ボルサリーノは辛辣なやつだ。おれの愛の告白にあんなふうにしおらしい態度をとるなんてありえない。平和な時分に再度告白しなおしたとしても鼻で笑われるのがせいぜいだろう。
 でもそんなやつでもこのままおれが目を覚まさなかったら、もしかしたら少し、悲しむかもしれないから。

「おれは起きるよ、ボルサリーノ」

 心地いい夢の世界を捨ててまで過酷な現実を選ぶなんてと呆れているんだろう。馬鹿な男だというふうに苦笑したボルサリーノーーおれの脳内が作りだした、おれの恋情の塊ーーが「そうかい」と返す。
 引きとめの言葉はなかった。ボルサリーノを悲しませたくないのはもちろん、罵倒されたとしても偽物ではなく本物に会いたいという惚れた弱みに恋情が否を唱えられるはずがないのは当然のことだった。

***

 一瞬の浮遊感のあとずりしと身体が重くなり今度こそ間違いなく現実で自分の瞼が開く。すると夢となんら変わり映えのない病室の白い天井が見え、次いで目玉を少し動かしたところで見慣れた黄色いスーツが視界にとびこんできておれは思わずぽかんとした。
 つられたようにぽかんと目を見開いているボルサリーノは夢と同じく無傷のようだったがその目は充血して潤んでいるし鼻の頭なんて真っ赤になってしまっている。
 どう見ても泣いていたようにしか見えないのだがなんで、いやそんな、まさかそこまで?

「…………アルバ?」
「あ、うん、おはよう」
「おは、な、おま、ッほかに言うことあるだろォ〜……!」

 死にかけるなんて馬鹿じゃねェかとか容体が安定したのになんでいつまで寝こけてるんだとか縁起の悪い告白したあげく死に逃げなんて許さないとか散々おれのことを詰りながらもぼろぼろ涙をこぼすボルサリーノにまだ夢の中にいるような不思議な気分で「愛してるよ」と言ってみたら能力もクソもない普通の拳で肩パンされた。
 それが普通に痛くて、赤くなったボルサリーノの耳が可愛くて、おれは起きてよかったと心から思ったのだった。