アルバが「死ねと言えば死ぬのか」という問いにすら即答したものだから、もしかすればこのくらいなら。 愛してくれじゃなく、嫌わないでくれと望むくらいなら許されるんじゃないかと夢想した。 結果として、返ってきた答えはイエス。 約束を違えるような男ではないからいま口にした望みはすべて、嫌うなというものも含め間違いなく叶えられるだろう。 これからはアルバが船を降りようとすることもなくなるし、指輪だっていままで通りアルバの机の上に置かれることになる。 毎朝「おはようございます」と挨拶されて、くだらない雑談をして笑いかけられて笑い返して。 きっとそういうふうに過ごせるはずだ。 アルバがおれを嫌っていない日常はとても穏やかで、想像するだけで心地いい。 ……少なくとも、表面上は。 だが内心は違う。 おれが死を望むなら死ぬと躊躇いなく言い切ったアルバが「嫌うな」という望みの返答に間をつくった理由など一つしか考えられなかった。 好悪のコントロールというのは覚悟でどうこうできないぶん死を選ぶより難しいのだ。 また期待したのか、と頭の片隅で嘲笑が響く。 昨日嫌というほど思い知っただろう。 気まぐれに与えられた温もりに希望を抱いて前を向けば、何の救いもない現実を眼前に突きつけられる。 嫌われていることなんてわかっていた。 わかっていたからこそいつだって、遠まわしな言い方で逃げ道をつくり想いに気付かれて拒絶されても誤魔化してしまえるよう直接ぶつかることを避けてきたのに。 いまさら。 「わ、ちょ、船長!?」 急に焦ったような声を出したアルバに「泣かないでください」と言われて初めてぼろぼろと零れる涙に気がついた。 部屋に入ってきたときみたく大丈夫ですかと聞かれ、大丈夫だと返したいのに口がうまく動かせない。 だって、大丈夫なわけがないんだ。 胸が痛いのも苦しいのも息ができないのも昨夜や今朝よりずっと酷い。 貰ったばかりの本も握りしめていた右腕もアルバに嫌われているとはっきり認識してしまった現状では拠り所になりえなくて途方に暮れた。 鼓動が速まるたび抑えつけるように胸にやっていた手を動かす気力もなく、ただ喘ぐように呼吸を繰り返す。 心臓が動きを止めれば楽になれるのだろうか。 酸素が足りず段々とぼんやりしてきた脳内でそんなことを考えていると突然アルバが大声をあげた。 「あーもう!ちょっと貸してください!」 貸すという言葉に反応できないでいると本を持つ手に触れていた左手が離れていって、弛緩して力の抜けた手中からするりと右腕が奪われる。 急速に失われていくアルバの体温にこれ以上はないと思っていた心臓が握り潰されたような痛みを発し、とてつもない喪失感にガチガチ歯が鳴りだした。 まて、駄目だ、駄目だやめろ。 アルバがおれを嫌っていても、あの優しさが気まぐれでしかなくても、おれはもう、それが。 それがないと。 「ぃ、いや、だ……か、」 痺れた舌が「かえして」という単語を紡げないまま、ぼやけた視界のなかアルバが右腕を接合して具合を確かめるように指を動かすのを金縛りにあったようにただ見つめる。 望みをかなえてくれるんじゃなかったのか。 それがないとおれは駄目なのに。 大丈夫じゃないのに、なんで。 手元にあったときとは別物にすら見える右腕がこちらにむかって伸びてくるのを呆然としながら眺めていると強い力でぐいと手を引っ張られ、ベッドから転げ落ちるようにして柔らかい温もりに包み込まれる。 取り残された本がシーツにひっかかって床に落ちる音がした。 拘束するように背面に回る左腕と頭を押さえながら髪を撫でる右手。 何が起きたのか理解した瞬間、全身からぶわりと汗が噴き出す。 「船長の望みはわかりました。全部、ちゃんと叶えます」 脳に直接吹き込まれているかのような声の近さに耳朶に触れているものの正体を知り硬直した。 唇。 アルバの唇が、耳元で動いて。 「だから次は、おれの話とお願いを聞いてもらえますか」 叫び出しそうなほどの緊張と混乱で震えるおれを落ちつかせるように髪を梳きながら少しカサついた唇がそう告げる。 「聞いてもらえるだけでいいんです、叶えるかどうかはお任せするんで」と言い募るアルバは、願いを聞くというのがどれほど残酷なことなのかわかっていないのだろう。 アルバが船を降りると口にするたびにおれがどんな思いをしていたかなど、鈍感なこいつにわかるはずがない。 腹立たしさと虚しさを感じると同時にアルバの腕の強さが増して、小さく呻き声が漏れた。 泣いているから苦しいのか、それとも抱きしめられているから苦しいのか。 どちらにしろ結局アルバのせいに変わりはない。 なにもかも全部アルバのせいだ。 アルバの体温に侵食されるようになんだかもうなにもかもどうでもいいという投げやりな気分が芽生えてきて、流されるままがっしりとした肩口に顔をうずめた。 その甘えた行為を否定されなかったのをいいことに、つなぎの襟に涙を滲みこませるようにぐりぐりと頬を押しつける。 二度期待して二度とも裏切られた。 そして二度あることは三度ある。 優しくされたあとに待つのは絶望だけだ。 けれどどうせ嫌われていることはわかっていて、それ以上の悪報なんてありはしない。 だったら、少しでも長くこうやって抱きしめてもらえるなら、願いを聞くくらいいいだろう。 傷つくとわかっていながら目の前にぶら下げられた釣り針に喰らいつく愚かしさに自分を嘲笑い、アルバの声が鼓膜を震わすのを瞼を閉じて待った。 何を言われたところでもう驚くことはないと高を括ってアルバの温もりを享受する。 そう。 驚くことなどないと思っていた。 「おれは 船長のことが好きです」 背後から気配もなく殴りかかられたような酷い不意打ち。 なんの気構えもなく、ひたすら無防備な状態を襲われ、おれは本気で心臓が止まるほどの衝撃をうけるはめになったのだ。 |