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「なんか落ちたけど……なにこれ」
「ん?ああ、ありがとう。貰いものなんだ。リップバームって言うんだと」

煙草を取りだしたときにうっかりポケットから落としてしまったらしい小さな缶。
いかにも若い女性に人気がありそうな可愛らしい見た目のそれはクザンの大きな手の中にあると一層小さく見えて自分のようないい年をした男には不釣り合いだと思わざるを得ない。
しかしそれでもひと塗りするだけで長年の悩みだった唇のひび割れが劇的に改善するものだから、使えるものは何でも使えの精神で毎日携帯させてもらっているのだ。

「……貰いものって、誰から?」
「いつも行ってるパン屋の娘さん」
「…………へェ」

明らかに拗ねた様子でぶすくれているクザンににやりと笑いかけ、「お前にも塗ってやろう」と缶の蓋を開いて壁際に追いつめる。
ちょっと、と慌てたような制止を気にも留めずに人差し指で抉った固形の軟膏を肉厚な唇に押し当てるとリップバームは体温ですぐに溶け始め、唇の上をぬるりと指が滑った。
途端に身体を硬直させて押し黙ったクザンをしり目にぬる、ぬる、と塗り広げ仕上げに耳元で息を吹き込むように「これを塗るとキスしたくなる唇になれるらしいぞ」と囁く。
瞬間大きく身体を震わせてその場にへたり込んでしまったクザンは、能力の暴走か微かに冷気を漏れ出しているくせに顔ばかりは熱くて堪らないといったふうに真っ赤になって、その動揺具合は今にも心臓の音が聞こえてきそうなほどだ。

「…………しねェのかよ」
「キスを?したいならしてやろうか?」
「、ッ!!」

くつくつと喉を鳴らしながら身体を離し当初の目的である煙草を銜えようとしたおれに恨みがましく漏らされた独り言。
それをきっちり拾い上げて意地悪い調子で返してやると、ついに足元にパキリと薄氷が張った。
てらてらとした唇をきゅっと噤んで俯いたクザンから返事はなかったが、商品の謳い文句の通りなら『キスしたくなる唇』になっているらしい二人が口付けを交わすのは当然の流れと言えるだろう。