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「#幼馴染」のBL小説を読む
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辞表を提出し一人歩く海軍本部の廊下、ふと前を見るともう会うこともないと思っていた男が仁王立ちで道を遮り、パーカーと目深にかぶった海軍帽の下から真っ直ぐにこちらを見据えていた。
討伐任務を課せられ遠海にいるはずの男がなぜここにいるのか。
そんな疑問を持ちながら、焼きつくすような熱の渦巻くその視線に耐えきれず手で額を覆う。
握りしめられた拳とギチリと軋む革の手袋に、まるで無言で責められているようだという考えを事実責められているらしいと訂正し苦笑した。
何も告げず、全ての責務を放り出して立ち去ろういうのだから当然といえば当然だ。
一旦止めた歩みを再び進めて距離を詰めると、よほど怒っているのか明らかに人間から発せられるべきではない熱を感じて背中を嫌な汗が伝う。

「サカズキ中将、遠征からの帰還は三日後と聞いていたが」
「……予定を、繰り上げました」

努めて穏やかな声を出したおれに男――サカズキが唸るように答えた。
まだシャワーも浴びていないらしく、コートから漂うのは血と汗と硝煙と、掻き消されそうに微かな潮の香り。
以前は嗅いだだけで吐き気を催したというのに今や己に染みつき慣れてしまった、この世界の香りだった。
鼻腔を擽るそれを振り切るように頭を掻き、わざとらしく「まいったなァ」と口に出すとサカズキがピクリと目元を引き攣らせる。
これだけ近づいてなお用件を切り出さないということは、ただ苦言を呈するために帰ってきたわけではないはず。
おそらくは考え直すようにと引きとめにきてくれたのだろう。
サカズキはおれにとって特別な、思い入れのある人間だ。
だからこそ、サカズキに求められて海軍に残るという選択はありえなかった。

「駆けつけてくれたとこ悪いが、おれの退役はもう決めたことなんだよ」
「アルバ少将、そりゃあ」
「少将じゃない、ただのアルバだ」

ようやく肩の荷が下りたと言わんばかりにぐるぐる腕を回す。
ニヤリと笑えばおれの言いたいことを理解したのか、サカズキは決まり悪そうに「アルバさん」と呟いた。
それはまだおれが若く、人命を蔑ろにするサカズキを変えてやろうと躍起になっていたころ上官命令で強要していた砕けた呼び名だ。
本当に懐かしい。
なかなか集団になじまないからと理由をつけてはまだ二等兵だったサカズキを構い倒して鬱陶しがられていた日々。
結局そんな馬鹿げた苦労もむなしくサカズキはサカズキのまま、今も徹底的な正義のもと海賊を容赦なくマグマの海に沈めている。
全てを諦めた今となっては下手に原作のサカズキから乖離しなくてよかったのだろうと思えた。
そう思わなければやりきれない。

「アルバさん」

すべては原作のまま。
そうやって薄暗い安堵に身を委ねたおれを神様が嘲笑うかのように、再度おれの名を呼んだサカズキの顔がぎゅうと歪んだ。
え、と思う間に帽子のつばが下げられサカズキの表情は窺えなくなった。
が、あれはまるで。
まるで、泣くのを我慢してるみたいじゃなかったか。
そう考えてほんの少し足が後ろに下がった。
いやまさか、そんなはずがないだろう。
あの未来の赤犬が、最高戦力の一角となる男が、いくらかつての上司だからといってしがない一少将のリタイアに心を煩わせるなど、そんな。

「わしの下で動くんは、そんなに腹に据えかねますか」

馬鹿な。

喉を絞められたように聞き取り辛く、微かに震えた声。
怒っているというにはあまりにもあまりな言葉。
不意打ちで頭を殴られたような衝撃をうけ呆然としつつも、おれはどこか冷静に納得していた。
おれはこの期に及んでまだ理解できていなかったのだ。
この世界は漫画じゃなく現実で、それならサカズキがキャラクターではなく生きた感情を持つ人間なのもわかりきったことのはずだったのに。

「……違う。おれが海軍を辞めるのは」
「わしが中将になったからっちゅうて聞きました」

嘘をつくなと先回りで言葉を潰され、返答に窮す。
確かに決意するきっかけになったのはサカズキの昇格だがそもそもの理由は遠く薄れつつある原作の記憶、オハラのバスターコールだ。
大航海時代が始まり、サカズキが中将になったということは近いうちにオハラは消えることになる。
バスターコールで先頭に立つのは五人の中将。
生憎自身が中将になることはできなかったが、もしサカズキの指揮する船に配置されれば民間船への攻撃を防ぐことは不可能ではない。
不可能では、なかった。

「おれは」

おれは、逃げたのだ。
語る正義も無く何が悪かもわからず、多くの人が無意味に死ぬとわかっていながら目を逸らすことを選んだ。

「……そんな目で見てくれるな」

いつの間にか顔を隠すことをやめ縋るようにこちらを見つめていたかつての部下。
その肩に手を置いて「安心しろ」と言ってやることも、もうできない。
なにもかもが中途半端で、情けなくて滑稽で。
だから。

「お前はおれの希望だったよ、サカズキ」

どこまでも己を貫けるお前が眩しかったと告げれば、ついに透明な雫がサカズキの頬を伝った。