そうだ、旅に出よう。 そう思い立ったのは海の向こう、かすかに見えるドレスローザという国に君臨している恋人の誕生日が近づいた三日前のことだった。 なにせ去年の誕生日は散々だった。 明確な約束こそしていなかったけれど「当日に会って祝いたいな。ケーキ用意して待ってるから」と言ったおれにドフィは機嫌よさそうにフフフと笑って、だから当たり前のように訪ねてきてくれるものだと思って馬鹿みたいに浮かれてでかいケーキと自分一人なら一生飲まないだろう高い酒を買ってごちそうを作り部屋の飾りつけまでして、そうして結局日が暮れて真っ暗闇になって日付が変わっても扉が叩かれることは一度もなかったのだ。 ドフィがおれの家に訪れたのは誕生日から二週間も後のことで、どうしてきてくれなかったのかと恨み言をぶつけたら聞き分けのない子供をなだめるような声で「国とファミリーを優先するのは当然だろう?」と告げられた。 誕生日を祝うものの中で唯一残っていた高級酒を受け取って「いい趣味じゃねェか」と一言褒め、それですべて終わりにしたドフィには、もう少し待っていれば来てくれるかもしれないと空腹を我慢して冷めたごちそうを食べずにいたときの気持ちも、傷んでしまったでかいケーキに無意味にろうそくを灯して吹き消したときのあの煙の匂いも、誰の目にも触れることのなかった飾りつけを外してごみ箱に捨てた虚しさもなにも理解できないのだろう。 おれとドフィは恋人といっても対等ではないし大切な物の順位もまるで違う。 おれは小さな島のしがない工芸師でむこうは国と海賊団のトップなのだから仕方のないことなのだと納得できるまでに一年かかった。 納得して、それでも家にいると勝手に期待して後で恨んでしまいそうで、だったらいっそしばらくの間旅に出て家を空けておいたほうが精神的にいいだろう。 思い立ったが吉日と少しの着替えと食料をまとめ、それから少し迷ってペンを握った。 書き置きなんか残したって誰も読みやしないだろうが。 「−−−−よし」 『素材の買い出しに行ってます しばらく帰れないと思うから適当にくつろいで 誕生日おめでとう』 工芸品の素材調達のために一、二週間家を空けることなら間々あるし、これで万が一ドフィが家に来ておれの不在を知ったとしてもおかしいとは思わないに違いない。 あとは紙の切れ端に後日プレゼントとして渡すために買っておいた去年と同じ高級酒を置いて完成だ。 去年とは一転して簡素な誕生日の準備だったがこれで心置きなく家を空けることができる。 そうして意気揚々と行く当てもない小旅行に出かけたおれの目論見は、果たしてドフィの誕生日当日に崩れ去ることとなった。 おれの住んでいる島とそう変わらない小さな秋島の港でおれを取り囲んできた強面の集団が土下座する勢いで「どうかお戻りください!」と懇願してきたのである。 すわ命の危機かと身構えてからの予想外の展開に目を白黒させ、事情を聞く間も無く捕らえられてスタート地点まで連れ戻され、渋々家の扉を開けると住み慣れた我が家は廃墟か強盗に荒らされたかというほどめちゃくちゃになっていて、部屋中央のテーブルには置いてあった酒とメモの代わりに見慣れたピンクのコートを羽織った恋人が行儀悪く腰を下ろしていたというのが現在の状況。 扉を開けた瞬間から鼻についていたアルコール臭はドフィの足元で粉々に砕け散っている元酒瓶が原因らしい。 おれの一月の稼ぎよりずっと高いものなのに、なんてこった。 「あー……これはどういう状況だ?なにがあった」 「なにがあったか、だと?」 どう見ても恋人がやったようにしか見えないがいきなり決めつけるのもどうかと尋ねた言葉にドフィがぴくりと反応して顔を上げる。 鬼のような形相というのはこういうのを言うのだろう。 「恋人の誕生日に留守にしてまで買い出しとは、てめェの工芸品の素材はさぞかしいいモノなんだろうなァ」 「……メシのタネなんだ。なくなったら買いに行くのは当然だろ」 「おい、しらばっくれてんじゃねェぞ。いつも余裕持って管理してんだろうが。たかだか数週間しのげねェとは言わせねェぞ」 詰られて咄嗟に出た言い訳を「誕生日の前か後に買い出しをずらすことは難しくなかったはずだ」と論破され、たじろぐおれに青筋を浮かべたドフィが手を伸ばした。 一瞬の筋肉が硬直するような違和感のあと、意思に反して身体が動くという何度か経験したことのある不思議な感覚でもって瓶の破片を踏みつけながらドフィの目前まで勝手に歩みを進められる。 「……去年は来なかったじゃないか」 「去年は待ってたんじゃねェのか」 「プレゼントは置いておいたのに」 「酒一本で満足して帰れって?馬鹿にするのも大概にしろよ」 「でも去年はそれで喜んでた」 「誰がいつでも手に入れられる酒だけもらって喜ぶんだ?あァ?おれのためにてめェが尽くした結果だろうが」 そう言って胸倉を掴んで凄むドフィは、つまり去年おれが祝おうとして色々準備していたのが嬉しかったから今年はわざわざ他を後回しにして祝われに来てやったのにどういうつもりだと怒っているのだろう。 そんな理由で部屋を荒らされ、稼ぎより高い酒をいつでも手に入れられるとのたまわれ、なんて身勝手なと思うより先にかわいいと思ってしまったからおれたちはやっぱり対等ではない。 事情を理解して溜息を吐き、自由になったらしい身体を少し動かし仲直りのキスをするとドフィはふんと鼻をならして胸倉から手を離した。 「夜までになんとかしろ。でなきゃ残しておいてやったベッドもぶっ壊すぞ」 「……できる限り頑張るからそれはやめてくれ」 今からでは去年のような特注の大きなケーキは買えないし手の込んだごちそうも作れない。 部屋だって飾り付けるより掃除が先だしプレゼントに至っては贈られるはずだった本人の手で見るも無残な状態にされてしまっている。 残された時間の中でできることはあまりにも少ないが、このままではせっかく二人きりで過ごす夜がお預けになってしまうらしい。 とりあえず部屋をかたずけておれが一番おいしいと思うケーキを買って、ドフィが好きだと言っていた料理を作って。 あとは、花屋で一番きれいな薔薇でも選んで愛の言葉と共に捧げてみるとしよう。 |