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妙な肌寒さと強張った身体、そして何か温かいものがもぞもぞと動いている感覚。
いくつかの違和感で目を覚ましたおれは、自分の腕の中にすっぽりとおさまっている存在を確認した瞬間寝起きでしょぼしょぼとしていた目を見開いてガチリと固まった。

「船、長……?」

いや、そんなはずがない。
だって船長だ。
ドライで気位が高くて警戒心の強い、路地裏で出会ったあの懐っこい黒猫より余程猫らしい性格をした船長なのだ。
ピロートークのときにすらおれが伸ばした手を弾いて睨みつけてくる人がこんな無防備に抱きしめられて眠っているなんて、そんなの絶対ありえない、ありえるはずがない。
そうやって脳内で否定を続けるも腕の中で寝息を立てている船長はどこからどう見ても船長そのもので、そっと撫でてみた髪の感触も潮の香りに混じる消毒液の臭いもとても夢とは思えないほどリアルである。
夢か現か判断しかねてきょろきょろと周囲を見渡すと、おれが甲板で船長の帰りを待ち始めたときにはまだそこまで傾いていなかった太陽はもう半分ほどが海に沈んでいた。
これが現実だとしたら、おれはいったい何時間眠りこけていたのだろう。

「……格好悪いなァ」

すれ違いにならないよう起きて船長を待っているつもりだったのに、夢であれ現実であれ寝落ちしたのは確定だ。
船長もきっと甲板で爆睡するおれを見て呆れたに違いない。
あまりの失態にため息を漏らし、次いで吐いたぶんの酸素を取り戻すように息を吸い込む。
するとふと、普段から嗅ぎ慣れているものの、この場には似つかわしくない鉄錆のような臭いが鼻をついた。
血だ。
船長から、微かではあるが血の臭いがする。
まさか出先で喧嘩にでも巻き込まれたのか。
船長は戦闘スタイルからして返り血を浴びるタイプではないし圧倒的な強さゆえに怪我をすることだって滅多にない。
そんな船長に血の臭いをつけるだなんて、一体どれほどの強敵がいたというのだろう。
顔を引き攣らせつつ船長の右手に目星をつけ、ぞんざいに巻かれているだけの布を慎重に緩める。
そうして布の下から現れた真新しい傷に、おれは思わず目を瞠った。

「これって……もしかして猫のひっかき傷?」

鋭利な刃物で切ったような一筋の傷痕は爪を処理していない猫に引っ掻かれたときにできるものとよく似ている。
しかしいったいどうして船長がこんな傷を。

「……ん、」
「え、あっ、船長?」

困惑して首を傾げていると腕を動かされて目が覚めたらしい船長がふるりと睫毛を震わせた後ゆっくり瞼を持ち上げた。
いつもの意志の強さが感じられない、どこかぽやんとした表情でこちらを見つめる幼げな船長が可愛らしくて胸をきゅんと高鳴る。
目が離せなくてじっと見つめあっていると、しばらくして薄い唇が小さく開いて、船長が、

「にゃあ」

と、鳴い、


た?


「………………へ?」

目が覚めたときとは比にならない衝撃に唖然としていると、不満そうに目を眇めた船長がもぞりと動いておれの胸に額を埋めた。
寝ぼけている。
絶対に寝ぼけている。
それはわかるけどでも何がどうしてこんな寝ぼけ方になったんだ。
船長がおれに擦り寄ってきて、にゃあなんて、そんな馬鹿な。
混乱して「ええ、」と声を漏らしながらも、とりあえず何かを訴えるようにごつごつと額をぶつけてきている船長の頭を撫でてみる。
すると、ふん、と満足げに鼻を鳴らした船長はゆるゆると髪を梳く手に誘われるようにして再度眠りについてしまった。
なんだこれ。
なんかおれいま、すごい、甘えられてる?

「まさか、本当に猫に嫉妬してくれてたとか……?」

昼間、消毒の最中に思いついてすぐありえないと切り捨てた可能性が再度真実味を帯びて蘇る。
もしそうなのだとしたら。
船長は。
もしかして、おれは。

「……もう少しくらい、己惚れてもいいのかもなァ」

緩んだ頬を隠すように船長の頭に埋めて、ニヤニヤとだらしない笑みを漏らす。
どこからともなく猫の喉の鳴る音が聞こえたような、そんな気がした。