「酒になんぞ仕込んだか」 「まさか、おれがそんなことをするわけないだろう。自分の飲み過ぎを人のせいにするもんじゃないよサカズキ」 「ふん、おどれ以外なら疑いもせんわ」 「それが本気だとすればお前には危機感が足りなさすぎると言わざるをえないね……ほら、もっとしっかり掴まって」 どこからか虫の音が聞こえてくる夜道。 サカズキは汗とアルコールの臭いを滲ませながらも常と変らない胡散臭いほどの爽やかな調子で皮肉を返してくるアルバに眉を顰め、再度鼻を鳴らして目を伏せた。 この歳になって自分の限界もわからないほど馬鹿ではない。 現在の状況が、単に許容量を超えた飲酒によって引き起こされたものであることはサカズキも重々理解している。 しかしアルバに言ったことは本気だ。 否、本気『だった』。 サカズキは長い間、他の誰でもないアルバであればそのくらいのことはするはずだと疑い、警戒して過ごしてきた。 それこそふらつくサカズキを支えるために腰に回された手が下心など微塵も感じさせない気安いものだと気づいても胸の内から疑心を捨てられずにいたほどに。 「まったく、わからないなァ……なんでサカズキはそんなにおればかり警戒するんだ?」 苦笑交じりの問いかけに返す言葉を酒臭い息とともに飲み込み、酔いに足をやられた己に肩を貸して暗闇の道を進むアルバの首を肘でグッと絞めあげる。 数十年の付き合いの中で初めてともいえるサカズキからのスキンシップに対してもアルバは「苦しいよ」と騒ぐだけでリラックスした様子を崩すことはない。 傍からは気心の知れた長年の友人同士が酔ってじゃれあっているように見えることだろう。 疚しさの欠片もない、純粋な親しさがそこにはあった。 「…………命が」 「ん?いまなんて、」 「命が、惜しゅうなったか」 タップされてようやく腕の力を抜いたサカズキがそう零した瞬間、アルバは瞠目し、地面を擦るように足を止め、そしてまたゆっくりと歩みを再開した。 何事もなかったかのように流れだした時の中、先程までとは打って変わった身体に纏わりつくような嫌な沈黙が続く。 腰を抱え直した手が微かに強張っているのはサカズキの言葉が正しく核心を突いたからだろう。 どうやらサカズキのアルバに対する警戒心は、少なくともまったくの的外れというわけではなかったらしい。 「……いったい、誰から何を聞いたんだ?」 「何も聞かんわ。おどれがふざけたことを抜かしたその場に居合わせただけじゃ」 足掻くように紡がれた言い訳の芽をキッパリと両断すると、アルバはああそう、と小さく呟き手で額を覆って天を仰いだ。 その仕草にほんの僅か、胸が軋む。 アルバは忘れていなかったのだ。 サカズキを抱けるならマグマに焼き尽くされても構わないと、そう言って笑ったときのことを。 サカズキとアルバがまだ二人揃って下から数える方が早い地位にいた頃、優秀な海兵が揃った隊の中で誰より早く昇進を果たしたサカズキに一つの噂が立った。 サカズキが上官に抱かれているという馬鹿げた噂だ。 聞いた者のほとんどが呆れ、失笑した出来の悪い噂は「あのマグマ人間を抱いた奴がいたとすればそいつはもうこの世にはいないだろう」という結論を伴い瞬く間に部隊内外へ広まった。 ひそひそと囁かれる自身の名前は耳障りだが反応するほどの価値もない。 そう考えてサカズキが無視を決め込んでいた、そんなある日。 「おれとしては、もし彼を抱けるような奇跡が起きたならマグマに焼き尽くされても本望だけどね」 まさか当人に聞かれているとは想像もしていなかったのだろう。 しかし現実として、どこぞ誰かと雑談に興じていたらしいアルバのいつになく熱っぽい声を、サカズキの優秀な耳は一言一句逃さず拾い上げてしまっていた。 笑いを含んではいるが冗談というには真剣過ぎるアルバの声。 それを聞いてサカズキが抱いたのは、全身を虫が這うような嫌悪だった。 同性だからという問題ではない。 馴れ合いを嫌いながらも唯一存在を認め、心を許しかけていた男がサカズキの与り知らぬところで自らに欲を募らせていたのだ。 それはサカズキにとって許しがたい裏切りに他ならなかった。 その日から今日まで、サカズキはアルバのことを生娘のように警戒し続けてきた。 親身を装い、油断を誘い、そうしていつか身勝手な覚悟をもってサカズキを裏切るつもりなのだろうと。 そんな昔のことをと言われれば仕舞いだが、アルバの言葉はそれだけ強く絶対的なものとしてサカズキの中に残り続けていて。 ――言葉を変えるのであれば、サカズキは信じていた。 疑いは期待、警戒は信頼の裏返しだった。 サカズキはアルバの愛は永遠であると、なんの根拠もなく信じきっていたのだ。 「……命まで賭けておいて心変わりか」 「いや、心変わりというか、ね……まあ、欲が出たんだよ」 不快だろうけど聞いてくれるか、という問いに何も返さずにいると、それを是と捉えたらしいアルバがぽつりぽつりと自身の心境を語りはじめた。 海兵なんてどうせ長生きはできないだろうから、死ぬなら海賊や海よりサカズキに殺されたいと思ってたこと。 サカズキの傍にいたい、役に立ちたいと足掻いてるうちにしぶとくここまで生き延びることができたこと。 好かれてないのはわかってたけれど、それでもサカズキに殺されるよりもっとサカズキを見ながら共に生きていたくなったこと。 神に懺悔するような声色で身勝手なことを並べ立てるアルバにどんどんサカズキ顔が厳しくなっていく。 それを知ってか知らずか、サカズキを視界に入れないよう前だけを見て歩み続けるアルバの表情は憑き物が落ちたように穏やかだった。 「それに、無理やり手を出すにはお前が大事になり過ぎたっていうのもある。もうお前を傷つけるような真似をするつもりはないし、家の前まで送ったらすぐ帰るから安心してーー」 「馬鹿が」 「ぐっ!?」 言いたいことを言ってスッキリしたといわんばかりに先程以上の爽やかさでにっこり笑いかけてくるアルバの首をサカズキは思いきり締めあげた。 あまりに淡白な反応を受けて最早自分には興味がないのかもしれないと不安を抱いていたというのに、まさか決して誘いに応じなかったサカズキがアルバと二人きりで酒を飲んだ理由を、自分でも呆れるほどのアルコールを摂取した理由を、こうしてわざわざ家まで送らせている理由をここまできて理解していなかったとは全くもって恐れ入る。 「……死ぬときゃァわしが焼いちゃるけェ、黙って寝床まで連れていけ」 ぽかんと口を開けて間抜け面を晒すアルバに「おどれの粘り勝ちじゃ」と告げるとアルバから漂う汗の臭いが一気に強くなった。 顔も赤みを増している気がするが、そこはもとより酒に酔っていたため判断がつけ辛い。 そしてそれは恐らくサカズキにしても同じことだろう。 自ら送り狼を誘い込む羞恥を酔いの熱で誤魔化し、サカズキは静かになったアルバと二人、縺れる足を前に運ぶ作業に意識を集中した。 |