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「お、もう帰ったんか。思ったより早かったのう」

宿の扉をくぐった途端かけられた言葉にアルバはきょとりと目を瞬かせ、次いで「ああ」と苦笑した。
帽子の下から覗くカクの丸い瞳が悪戯っぽく輝いている。
どうやら女と二人きりで消えたことで下世話な想像をされていたようだ。

「期待を裏切るようで申し訳ないけど彼女とはなにもないよ。ルッチの治療費を援助してくれたお礼に少し付き合っただけだから」
「治療費……なるほど、どこかで見た顔じゃと思っとったが、あのときアルバがひっかけた金持ちの娘さんか」

ひっかけたとは大層な言いぐさである。
あの雨の日、アルバがとった行動はただ一つ。
富裕層の家を狙って扉を叩き、びしょぬれの哀れっぽい姿で「友人が酷い怪我を」と泣いて見せただけ。
自分の整った顔が世間、特に女性から高く評価されることも、筋肉のしっかりついたバランスのいい身体を小さく縮こませれば庇護欲をいたく刺激することも知っている。
だがそれを受けて金を出すかどうかは相手の自由にまかせたのだから、今回の件はあくまで女のほうが勝手にアルバにひっかかったのだ。

「本当になにもしとらんのか?」
「ショッピングのあと舞台をみて食事して……可愛いデートだろ?金を貰った以上多少優しく扱いはしたけど、それだけだ」

妙に食い下がるカクにアルバは肩をすくめて答えた。
まるで浮気の言い訳みたいな内容だが、すべて真実である。
大体ルッチの意識も戻らずいつ追手がくるかもわからない状況で女を欲するほど飢えてはいない。
話はこれで終わりかと視線でカクに促すと、それを受けたカクが態とらしく声を大きくした。

「なんじゃ面白くないのう。アルバが珍しく『ジャブラに関係ない女』に色目を使っとったから、これはと思って待っとったのに」

ジャブラ。
その名前を聞いた瞬間アルバの口元から頬笑みが消えた。
反応を見てにやりと唇を歪めたカクに、これが本命かと苦々しい思いで息を吐く。

「聞きたいことがあるならハッキリ言ってくれ。別に隠すつもりはないし回りくどいのは好きじゃない」
「ほう、そりゃ話が早い。なら率直に聞くがアルバ、お前なんでジャブラを避けとるんじゃ?」
「……その理由、カクは気付いてると思ってたんだけど」
「なに、答え合わせのようなもんじゃ」

なんでもない顔をしているがこれはなにかあるな、とアルバは目を眇めた。
その場のノリというならまだしもわざわざいつ帰ってくるかもわからない相手を待ってまでちょっかいをかける性格でないことは十二分に理解している。
どちらにせよアルバの傷を抉る行為には違いないので趣味の悪さに変わりはないが。

「面白い話じゃないよ?」
「面白いかどうかはわしが決めることじゃ。隠すつもりがないなら勿体ぶらずにキリキリ吐かんか」

確かに隠すつもりはない。
だが、いざ口に出そうとするとうまく話がまとまらないのだ。
どう説明したものかと頭を掻き、話しだそうとしては止まるのを何度か繰り返した後アルバはようやく先ほどのカクの言葉を借りて話を始めた。

「……俺が『ジャブラに関係ある女』に色目使って遠ざけたところで、ジャブラが誰かを好きになるのは止められないだろう?」
「ギャザリンか。今更じゃろそんなもん」
「うん、今更だね」

ジャブラがエニエス・ロビーの給仕であるギャザリンに想いを寄せていることはずっと前から知っていた。
本人の口から聞いたし、なによりジャブラは、アルバがギャザリンに近づくのを本気で嫌がっていたから。
気まぐれでもなんでもなく心の底からギャザリンのことが好きなのだと理解して、それでも諦めきれずにせめて二人がうまくいくことがないようにギャザリンと接触し続けた。
妨害目的なのは当然ながら、普段アルバに対してすげない態度ばかりとるジャブラがギャザリンと一緒にいるときに限り、怒りとはいえ百パーセントの感情をぶつけてくるのがうれしかった。
その結果ギャザリンから「私はルッチさんが好きなの!あなたも結構イイ線いってるけど、ごめんなさいね!」と告白したわけでもないのに振られたのは未だに納得のいかない思い出だ。
ギャザリンは男の趣味がおかしい。
けれども悔しいことに、ギャザリンは基本的にジャブラとその他大勢という大雑把な括りしか持たないアルバがなんの打算もなく気安い会話を交して、楽しいと感じるくらいにはいい女で。
つまり、ジャブラの女を見る目は確かなのだろう。

「ジャブラがギャザリンに振られたって聞いたときには弱ってるところにつけこめないかとかそんなことばっかり考えてたんだけど、それからすぐ麦わらたちとの戦闘が始まってバスターコールが発動して政府に追われる身になって……そしたらさァ、急に思ったんだ」

ジャブラに、幸せになってほしいな、って。

するりと唇から漏れた言葉にカクがうんざりしたように顔を歪めた。
表情から察するに惚気話に胸やけがしたとか、そんなところだ。
事実これは惚気である。
面白くない話だと事前通告したにもかかわらず、引かずにつっこんできたカクが悪い。

「幸せになってほしいからジャブラのこと避けとるんか」
「うん」
「ジャブラのことは、もう諦めたんか?好きだったんじゃろう?」
「今でも好きだよ。大好きだ。だからはやく諦められるように新しい恋を探してる」

ギャザリンの例でわかるようにジャブラにはきちんと女を見る目がある。
アルバがなんの邪魔もしなければ、ジャブラはすぐにでも素敵な女性と出会ってその女性を愛し、愛され幸せになれるのだ。
だから、邪魔をしないためにもアルバはジャブラを諦めなければならない。
今はまだジャブラを視界に認めるだけで胸が締め付けられるように痛むが、諦めることさえできれば以前と同じように振舞えるはずだ。
ジャブラへの恋心を過去にするために一番手っ取り早い方法は、新しく恋をすることだろう。
今日治療費の援助のお礼という名目でデートした女性はあくまでその対象ではないが、次に恋するならああいう人がいいとは思う。
アルバが微笑むだけで幸せそうに笑い、触れれば照れて真っ赤になるような、愛情のわかりやすい人。

「お前が自分に笑いかけんだけでイライラして他の女に触ったらこの世の終わりみたいな顔する男はどうじゃ」
「それ誰の……なに、俺今カクに熱烈に口説かれてる感じ?」
「アホか」

もういっていいぞと手を払うカクに結局何がしたかったのだろうと思いながらアルバはクマドリの元へ向かった。
風呂の前に買い出しにいってもらった着替えを受け取らなければ、とそれだけを考えて。

二階へと続く階段の下に潜んでいた存在には、最後まで気付かないまま。