「あァ、そうだな。確かにそうだった」 黴臭く薄暗い資料室の中、それもわからなくなるほど密着したアルバからサカズキを肯定する言葉が漏れるのを聞いて溢れる喜びと苦々しさに思わず顔が歪んだ。 アルバは昔から身内に甘い。 そこに付け込まれるほど馬鹿ではないが根本的に頼られると無碍にできないお人好しなのである。 弱っている相手にはそれが特に顕著で、アルバと親交を持つ者の間では「慰められると自分は彼にとって特別なんだと思わずにいられない」ともっぱらの噂だった。 己を憐れんで愚痴を溢すしか脳のない海軍の恥共がアルバの善意を歪めて解釈するなど許しがたいと秘かに憤慨した記憶は今でも鮮明だ。 意識して考えたことはなかったが、その怒りにはアルバの特別は自分だという愚盲な自負が少なからず混じっていたのかもしれない。 しかしその想いの根源はあくまでアルバへの純粋な信頼で、だからこそサカズキはアルバを罵りたくて仕方がなかった。 弱味を曝け出して慰めを乞うような無様な真似をしなかったがゆえに現在に至るまで身をもって経験することのなかったアルバの『慰め』は、間違いなく異常だ。 気遣いや同情に縁遠いサカズキですら断言できるほど甘すぎる。 ただでさえ弱っているときにこんなふうに撫でられ抱きしめられキスされて、そんなもの、誤解しないはずがないだろう。 泣き止みなさいと正論を口にするくせ聞き分けのない子供のような駄々に耳を貸すその態度もいけない。 我儘を受け入れて甘やかしてくれるのだと思ってしまうではないか。 現にサカズキの頭にはこのまま矜持も体裁もかなぐり捨てて泣いて媚びて縋りつけばもしやという浅はかな希望が芽生えてしまっている。 サカズキが犬であればとっくに尾を振り腹を見せているに違いなかった。 傷口から毒を塗り込まれて、じわじわと理性を駄目にされていく感覚。 突き放すなら期待など持たせるなと心の中で詰っているのに口を開いた瞬間失わずに済むなら何でもするからと懇願しそうな自分が恐ろしく、更にはそれを聞き入れられた先、アルバの足元に侍る妄想の甘美さにゾクリと肌が粟立った。 「あー……参ったなァ、サカズキお前、可愛いこと言いやがって。こんなときじゃなきゃ家に連れて帰って滅茶苦茶に甘やかしてるところだ」 「……どうせ、誰にでもそげんことを言うちょるんでしょう」 噛みしめていた唇を硬い指先で無遠慮に抉じ開けられた腹いせに嫉妬じみた憎まれ口を叩く。 お前だけだよ、なんて、信じられるわけが。 「そうだサカズキ、いいものをやろう!」 難しい顔を崩さないサカズキに暫く思案していたアルバが閃いた、というふうにニコリと笑ってポケットの中を探り出した。 背中に回されていた腕が離れて心許なさを感じるのと同時にアルバの言う『いいもの』に対する警戒で身体がグッと強張る。 煙草や葉巻の煙より飴を転がすのを好むアルバは常に持ち歩いているらしい色とりどりの飴玉を半ば無理やりサカズキに押し付けてくることがあった。 「デスクワークが続くと頭が疲れるだろう」というのがその際の常套句だ。 それ以外の、つまり、今のように「いいものをやろう」と言って差し出されるものは悉くサカズキにとって『悪いもの』ばかりだった。 例えば誰かと二人きりで遠出した後の土産だったり、女から貰ったという手作りの菓子のお裾分けだったり。 その程度はまだマシなほうで、笑いながらアルバの隊を異動になる辞令を渡されたときなど肺腑の抉れる思いがした。 悪いのは意地と虚勢で感情を誤魔化し続けた自分だとわかっている。 けれど。 けれど今になってそれと同じ仕打ちを受けるというのは、さすがにあんまりではないか。 「そんなに警戒するなよ。ほら」 「な、ん…………紙?」 「そう、紙だ。勿論ただの紙じゃあないがな」 余程悲壮な顔をしていたのかアルバの声に一層優しさが増す。 目の前に掲げられたトランプほどの大きさの紙がくるりと裏返され、漸くその正体に気づいたサカズキは大きく息を飲んだ。 見慣れた海軍のマークとアルバの名前が浮彫で描かれているその紙は、少将以上になると作成して生死判断のために本部で保管することを義務付けられている生命の紙、ビブルカード。 本来は千切って複数人の相手に渡すはずの子紙が丸々、どこも欠けることなくサカズキの手に乗せられる。 「他は誰も持ってない。サカズキだけ特別だぞ。そんなに泣かなくたっておれの時間ならいくらでもやるから、な?」 「、あ」 ――――嗚呼。 駄目だ、と頭に声が響く。 たぶん、きっと、もう駄目だ。 手に入れた。 手に入れてしまった。 もう、絶対に手放せない。 「っアルバ、さ……アルバ、さん……!」 「うーん……これでも泣き止まないかァ」 幾つもの言葉が浮かんでは消え、必死に名前を呼ぶとアルバが呆れたように唇で涙を攫いはじめた。 そんなふうに言わずもっと心を砕いてほしい。 サカズキが壊れて中身が溢れ出すまで注ぎ続けたのは、他ならぬアルバなのだから。 |