青く輝く真っ昼間の海に放り出されたのは仕事帰りにコンビニへ寄ろうと家までの最短ルートから逸れた瞬間の出来事だった。 飲み込んだ塩水で肺がカッと熱くなり、水面から顔を出そうともがくたびに沈んでいく。 死ぬのか?溺死?そんな馬鹿な。なんでなんでなんで―― 「おい、人が昼寝している横で何を騒いでるんだあんた」 水飛沫がかかって鬱陶しい。 そう言って眉間に皺を寄せながらも助けを求めて突き出した手を取り船に引き上げてくれた金髪の青年が、おれには天使のように見えた。 ***** そんなこんなで昔集めていた漫画の過去と思われる世界に紛れ込んでしまって早三年。 記憶喪失を偽り酒場のおやっさんに住み込みの仕事を貰ったおれは、あのとき溺死の危機から救ってくれた金髪の青年レイリーにすっかり骨抜きになっていた。 貢物の酒瓶片手に口説きに行ってはのらりくらりと躱され最終的に酒だけを奪われて店に帰る、穏やかで停滞した毎日。 そんな『いつも通り』は今日で終わる。 自分なりに頑張った。 振り向いてもらえるよう努力した。 けれど結局、おれは『流れ』に逆らうことができなかったのだ。 「こいつを船に乗せてやることにした。明日の朝ここを発つ」 「……そうか」 レイリーの後ろには満面の笑みを浮かべる麦わら帽子の青年。 名乗られてはいないが彼がゴール・D・ロジャーで間違いないだろう。 おれが知っている通りならいずれロジャーは海賊王に、レイリーはその右腕になる。 そうなってしまえば漫画を読んだことがあるだけのしがない一般人に入り込む余地などありはしない。 だから阻止したかった。 レイリーがロジャーについていかないことで原作にどれ程の影響が出ようとも、おれは、レイリーにこの島に、おれの傍に残ってもらいたかった。 それだけ本気の恋だったにもかかわらず広い海の向こうへレイリーを連れ去ってしまうロジャーのことを憎いと感じないのは、きっと心のどこかでこうなることを望んでいたからだ。 ロジャーとの冒険は決して楽しいだけのものではないだろうが、それでも原作の年老いたレイリーは幸せそうだったから。 おれにそれ以上の幸せを約束できる自信はないから。 憎くはない。 レイリーと肩を並べて生きられるロジャーが、ただただ羨ましかった。 「それなら今夜は宴だな。海賊ってのは宴が好きなんだろう?おやっさんに頼んでいい酒用意してやるよ」 しんみりした空気を払うようにニヤリと頬を持ち上げるとロジャーが歓声をあげた。 どうやら海賊が宴好きというのはどの時代でも変わらないらしい。 未成年でも飲酒が許される世界とはいえ明日からの航海に支障がでるといけないからロジャーには酒より食事を勧めるつもりでいたのだが、このぶんだと止めても耳を貸してもらえなさそうだ。 二日酔いで船に乗ったら辛いだろうな。 まァこの世界の人間は酒にも船にも強いやつが多いし、そう簡単にくたばりはしないと思うが。 「酒ーッ!肉ーッ!」 「ったく……おれの給料前借りして食わせてやるんだからその分しっかり気張るんだぞ。レイリーにばっかり苦労させたら承知しねェからな」 「……アルバ」 麦わら帽子を押さえつけるようにしてロジャーの頭をぐりぐり撫でていると突然レイリーがおれの腕を掴んできた。 痛いというほどではないが結構な力だ。 どうかしたのかと首を傾げれば微妙な顔をしたレイリーが少し躊躇う素振りを見せた後ゆっくりと口を開いた。 「……他に、言うことはないのか」 「他って?」 「だから…………、何かあるだろう」 反応の鈍いおれに焦れたようにレイリーがこちらを睨みつけてくる。 しかし何やら引き出したい言葉があるらしいということはわかったが肝心の言葉にまったく心当たりがない。 元気でな、とか、身体に気を付けて、とか? そんなのいま言う必要があるのか? 「あんなァ、レイリーはお前がついてきたがるはずだから、そうしたら連れてくって言ってたんだ。素直に離れたくないから一緒に来てくれって言やァいいのにな」 「……は?」 「ロジャー!」 予想外のことに唖然としているおれをよそにレイリーが眉を吊り上げてロジャーを怒鳴りつける。 普段飄々としているレイリーの感情的な姿はそれに怯むことなく下手糞な口笛を吹くロジャーの様子も相まってまるで長年の友人同士がふざけあっているようだ。 一緒に。 この二人と一緒に海へ。 そう考えてあまりの現実味のなさに苦笑した。 そんなこと、実力的にも感情的にも無理に決まっている。 「おれは行かないよ。ついていっても足手まといにしかならないだろうし、世話になったおやっさんへの恩もある」 なんとも格好悪いありふれた理由で乗船を断るとレイリーの顔がギシリと強張った。 ありがとうな、と微笑みながらおれの腕を掴んだままだった手を外す。 おれが行きたいと言えば本当に連れていってくれるつもりだったんだろう。 理由はどうあれレイリーが共に行くことを望んでくれたというその事実だけで満足だ。 おれの想いは、充分すぎるほど報われた。 ***** 幸せな気分で宴に臨んだおれはなぜか隣に陣取ったレイリーに潰れるまで酒を飲まされ、挙句太陽の光を感じて目を覚ましたら簀巻きにされて大海原を航海していた。 ロジャーの笑い声が二日酔いかつ船酔いの頭に響く。 戸惑いこそ人生という誰かさんの名言を借りるのであれば、おれの人生はここから始まったのだ。 |