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桜の花弁が風に乗ってひらりひらりと舞う庭先で、幾年か前その花弁を掴もうとして転んで顔面を強打した馬鹿な男がいたことを思い出してふと斜め後ろに視線をやったサカズキは当然のように目に映った薄暗い空間に馬鹿馬鹿しいと首を振りつつ小さく唇を噛みしめた。

互いに大きな責任を伴う立場になり、すれ違うことが多くなった。
職場で顔を合わせる機会はそれなりに多くとも休日が重なることはほとんどない。
去年も一昨年も一昨々年も桜の時期には会えずじまいで、今年も、また満開になるのを見計らったかのようにぽかりと空いたサカズキの予定に代わるようにしてアルバは遠征に行ってしまった。
お前の家は隠れた絶景だから二人で花見をしようと一方的に取り付けられたのはいつの日のことだったか。
約束は果たされないまま。
おかげでサカズキの中の桜の風景は未だに何年も前の、顔を鼻血で汚したアルバの馬鹿面で止まったままだ。
ふん、と鼻を鳴らして手酌で酒をつぎ足し一気に呷る。
別に一人だろうが二人だろうが自然の美しさに変わりはない。
別に。
別に、アルバなど。

「…………アルバ、」

呟いた言葉の続きを飲み込むようにまた酒に口をつける。
勢いをつけすぎたせいで酒盃に落ちた花弁を誤飲してしまい喉に張り付いた小さな異物にゲホゲホと咽こむが、そんなサカズキを、間抜けな自分を棚に上げて「馬鹿だな」と笑う声はどれだけ耳をすませても聞こえることはなかった。








「なんだサカズキ、こんなところで寝たりして」
聞きなれたような、そうでないような声にふっと途切れた意識が浮上し、しかし短い髪を優しく撫でられる感覚に起き上がるのが億劫になったサカズキはうっすらと目に入る光を遮るように顔を覆った腕に力を込めた。
「あーあ、こんなに飲んで……帰還予定が繰り上がったから驚かせようと思っておれもいろいろ買ってきたのになァ」
ガチャガチャと音がするのは何かを片付けている音か。
よくわからないが、害意は感じない。
ならば放っておいても問題はないだろう。
「サカズキ、起きねェの?このまましばらく寝る?」
呆れと心配を含んだ声に頷くどころか身じろぎもせず沈黙していると、しばらくしてサカズキの頭がぐいと持ち上げられた。
そうして、なんとなく、ほんの少しだけだが首が楽になる。
「硬いだろうけど、まあ床よりマシだろ」
枕、そして、ふわりと己の上にかぶせられた布のようなもの。
桜と酒の匂いに混じって感じるそれは、ああ、

「なんじゃァ……アルバの匂いがしよるのォ」

ぽつりと漏れた言葉にぶっと噴き出すような音が聞こえて、うるさいと硬い枕に顔を擦り付ければ底抜けに明るい笑い声が響いた。
胸を満たす匂いと、声と、サカズキにはぬるすぎるほどの温度。
なんとなく、いま、このまま眠ればいい夢が見られそうな気がする。
そんな曖昧な考えに従い、サカズキは傾いた春の日差しの中ゆっくりと眠りに落ちていった。