一年のあいだ生活を共にしていたクザンの家。 今日がその門をくぐる最後の日だ。 じわじわと心を埋める寂寥から目をそらし家の中に入ると、おれの荷物がないぶんガランとして見えるリビングに遠征の任務を終え先に家に帰りついていたクザンが立ち尽くしていた。 「……荷物、なくなってるけど」 出てくの、と疑問形ではない、事実を確認するだけの言葉がクザンの口からこぼれ出る。 前もって相談しなかったことについて申し訳なく思ったが、もし引き留められたとしてそれを振り払うだけの意志の強さはおれにはない。 確実に出ていくためにはクザンの留守中に私物を引き上げることがどうしても不可欠だったのだ。 今まで世話になったと端的に礼を述べると背を向けたままのクザンが小さく笑うのを感じた。 「なんか随分突然じゃない。なに、彼女でもできたとか?もう女とは当分関わりたくないって言ってたくせに」 茶化すようなセリフを否定すれば「じゃあおれのことが嫌いになった?」とやけに静かな声が返ってきた。 おれがクザンを嫌う。 それが出て行く理由なら、互いにとってどれほど良かったことか。 「……お前を嫌うなんて、そんなことあるわけがないだろう」 一年前、名前も知らない女に告白されて丁重に断わったその日に家に火をつけられ焼け残った少ない荷物だけを抱えてこれからどうするか途方に暮れていたとき「部屋ならいくらでも余ってるから」と手を差し伸べてくれたのが階級の差から疎遠になっていた同期のクザンだった。 海軍内での役割も仕事内容も違うだけに二人揃って過ごす時間は少なかったが、それでもときには一緒に出勤したり夕飯の買い物に行ったりダラダラと酒を飲んだり。 同居することになった当初はもう昔のことだと割り切っていたはずなのに一つ屋根の下で穏やかな日常を積み重ねるうち疾うに捨てたはずの恋心は簡単に熱をもって疼きだした。 そして同居を始めてちょうど一年目の夜。 だらしなくソファで眠り込んだクザンの無防備な姿に良からぬ想いを抱いてしまった時点でおれはこの家を出ることを決めたのだ。 「おれのこと嫌いじゃねェの?」 「ああ」 「なら、なんで出てくの」 「……すまん」 まさかお前を襲いそうになったからとは言えずただ俯いて謝罪すると、カツン、と床に落ちておれの足元に転がってきた氷の粒がゆっくりと溶けて小さな水たまりをつくった。 驚いて目を見開くおれにクザンが力なく笑い声を漏らす。 「一緒に住めたのが奇跡みたいなもんだし、いつまでも続くはずないって、わかってたけど、さァ……でも……でも、やだよ、おれは」 やだ、いやだ、なんで出ていくんだよアルバ、と声を振り絞りながらカツン、カツンと床を鳴らす氷の粒の正体とその言葉の意味。 蹲って背中を丸めたクザンが繰り返す喉の至る所で引っかかったような不器用な「いかないで」が胸の中で反響する。 同僚や友人と同居を解消するからといってこんなにまで取り乱すことがあるだろうか。 これは、おれの都合よく考えてしまうなら、クザンはもしかして。 「……クザンお前、おれのことが好きなのか」 迷い迷って口にした問いかけにピクリと跳ねるクザンの肩。 最早隠しきれないほど酷くなった嗚咽に契約を済ませている借家が無駄になる可能性が頭をよぎり、おれは自分の早計を呪ったのだった。 |