数カ月前にクザンの下からボルサリーノの元へ異動していったアルバが暢気に茶を啜りながらにこにこしているのを目の前にして「あいつ、お前のこと都合のいい駒だって言ってたよ」と二人の不和を煽るようなことを口にしたのは、アルバのあまりに幸せそうな様子に不安を煽られたゆえだった。 アルバは優秀な男だ。 だが如何せん真人間でありすぎた。 温和で実直で、裏表というものがまるでない。 昔からわかりやすいほどに好意を抱いていた相手――ボルサリーノから直々に部下にと望まれて浮かれてしまうのは理解できなくもないけれど、舞い上がって深みに嵌ってから『好意に付け込まれていいように動かされていた』という真実に気づいたのでは可哀想すぎるだろう。 ボルサリーノがどれだけお前に優しく接したとしてもその優しさには裏があるんだぞ、というクザンのお節介な忠告に、アルバは意外にもにこにこ笑ったまま「知ってますよ」と返してきた。 一瞬の間訪れた沈黙にアルバが茶を啜る音だけが響く。 「……知ってる?」 「はい。ボルサリーノさんから直接『駒』だと言われましたので」 私が使える駒である限りは望むように扱ってくださるそうですよ。 そう言うアルバは相変わらずの笑顔で、クザンは思わず手に持った湯飲みを凍りつかせそうになった。 自分に好意を持っていると知る相手に対し「望むように」と言う意味など一つしかない。 それを笑って話すなど、まさか、役に立つ見返りに恋人ごっこでも始めたとでも言うのか。 そんな情け無い、愚かなことを、この男が。 もし本当にそんなことになっているのなら元帥に直談判してでも引き離してやると静かに息巻くクザンに、アルバは「だから」と話を続けた。 「望むように扱ってくださるとのことだったので、自分から、それなら他でもない『駒』として扱ってくださいとお願いしました」 「…………は?」 「ねえクザンさん、ボルサリーノさんはどうして私に直接そんなことを言ったんだと思います?」 好意を利用して操るつもりなら何も言うべきじゃないとは思いませんか、というアルバの問いに、水をかけられたように冷静になった頭で確かにと相槌を打つ。 いくら好かれているとはいえ、駒だなんて物扱いをすれば反感を招いてもおかしくない。 そんなリスクを負わずとも、アルバを動かしたいならただ少し気のあるふうにみせて従わせやすくし、自分の利になるよう誘導すればいいだけだ。 そう思うとクザンにアルバの扱いを教えたのだって妙である。 さっきクザンが元帥に直談判をと考えたように、せっかくの都合のいい駒を取り上げられる可能性を増やすだけでなんの得にもならない。 ボルサリーノらしくない効率の悪い手法に首を傾げていると「簡単ですよ」とアルバが嘯いた。 「ボルサリーノさんは昔から私のことが大好きですから」 あまりに堂々とした言葉に今度は声すら出ずあんぐり口をあけて固まるが、そんなクザンを気にかけることもなく、あられを口に放り込んだアルバがにこやかな顔で言葉を続ける。 「ボルサリーノさんは駒が欲しかったのではなく圧倒的に自分が優位、つまり求められる立場として交際したかったんですよ、私と。私の方から交際を要求させてボルサリーノさんの許可で関係が始まれば主導権は当然ボルサリーノさんのものになる。関係を維持するために私が必死になると、その様子を見て愛を感じることができるとそう思っていたんでしょうね。でも実際には私は交際を望まなかった。それどころか自ら駒として扱われることを望み、挙句毎日のようにクザンさんのことばかり楽しそうに話している。ああ、クザンさんに私のことを話したのは牽制ですよ。私が如何にボルサリーノさんを好いていてどれほど尽くしているかを話して、お前に付け入る隙はないんだと言いたかったんでしょう。クザンさん、完全に恋敵だと思われてますね。そういえば今日もクザンさんに呼ばれているといったら大量に書類を押し付けられたんです。全部きちんと処理して笑顔で『いってきます』と言ったらそれはもうすごい形相で睨んでくるんですよ、ボルサリーノさん。 どうです、とっても可愛らしいでしょう?」 にこにこにこにこ、いつも通りの気の抜けるような笑みでクザンの知るアルバには到底似合わないようなセリフを吐くアルバに圧倒されながら、どうにかこうにか「あらら、」と呟く。 思い出すのは数日前、アルバのことを「いい駒だよねェ〜」と評していたボルサリーノから感じた微かな苛立ちや自身への敵意。 あれはもしかしてもしかすると、本当にそういうことだったのだろうか。 そうだとすれば勝手に当て馬にされていたクザンにはクソッタレとしか言いようがないのだが。 「……ちょっと、性格変わり過ぎなんじゃねェの?」 「自分でもボルサリーノさんのことになると性格悪くなるなァって思ってます」 そう言って少し眉を下げて頭を掻くアルバは、やっぱりいつも通りのアルバだ。 クザンがこれまで穏和な仮面に騙されていただけなのかそれとも全部素でやっていることのか、全くもって判断がつかない。 しかし「そろそろしびれを切らして乗り込んでくる頃でしょうから少し話を変えましょう」と言って唇に人差し指を当てたアルバがクザンの思っていたような真人間であるはずはなく、そんな男に惚れてしまったボルサリーノと知らぬ間に巻き込まれていたらしい自分にはどうにも同情の念を禁じ得なかった。 |