「……クザンお前、おれのことが好きなのか」 いつも冷静で落ち着いているアルバの動揺に震える声を聞いて、クザンはついに嗚咽を押さえることができなくなった。 哀れっぽい泣き声が我ながら気に障り、カツカツと音を立てて床に転がる氷の粒を八つ当たりのように足で踏み砕いて頭を抱え呻き声をあげる。 ああそうだよ、知らなかったのか? おれはお前のことが大好きなんだ。 そうやって何の屈託もなく言い切ることができたらどれほど良かっただろう。 言えるはずがない。 当たり前だ。 昔は確かにあったはずの純粋な想いはとうに失われてしまっていて今のクザンの中に存在するのは口にするのも憚られるような煮詰まってドロドロとした汚い感情だけなのだから、好きだなんて、今更軽々しく言えるはずもなかった。 例えばアルバに降りかかった不幸の話にしたって、クザンはアルバに振られた腹いせに家に火をつけたという女のことを聞いて表面上同情を示しながらも内心では小躍りするほどに浮かれ、喜んでいた。 女であるというだけで堂々と想いを伝えることが許され諦めない限り結ばれる可能性もゼロにはならない理不尽な存在が自ら権利を放棄したうえにクザンがアルバに近づくチャンスを与えてくれたというのだから喜ばないわけがない。 しかしそんなふうに思っているということを、アルバにだけは知られたくなかった。 愛されなくてもいいから嫌われたくはなかったし、恋人になれないならせめて良き友人でありたかったのだ。 知られたくなくて、必死に隠していて、それでこれまで上手くやっていたはずなのに一緒に酒でも飲もうと思って帰ってきたらアルバの荷物がなくなっていて生活感のある明るい部屋が薄暗くてどこもかしこもがらんどうで。 なんで。 なんでだよアルバ。 なんで出ていくなんて言うんだ。 なんで、アルバ、いやだ、なんで、おれは、好きだ、アルバ、好きなのになんで。 「ッ好きっていうのは、それは友情か?それとも……いや、あー……例えば、そう、例えば、もしおれもお前が好きだと言ったら、おれたちの関係はどうなる?」 子供の駄々ような言葉がぐるぐると渦を巻く頭の中に突然割り入ってきたアルバの声。 常より少しばかり早口な声が紡いだ残酷な質問に、瞬間、クザンは叫び出したいほどの怒りを感じた。 裏切りじみた感情を隠していた自分が酷いだなんて言える立場にないことはわかっている。 それに、アルバはきっとクザンに対して最後の逃げ道を与えてくれたつもりなのだろう。 確かにここでクザンがアルバへの好意はあくまで友情であると偽れば決定的な言葉は聞かずに済む。 しかしそんな下手な嘘でこの場を凌いだとして、それからどうなるというのか。 アルバは結局家から出ていく。 クザンとアルバは立場の違いから顔を合わせることも少なくなり、そうしていずれ疎遠になってまた会話すらできない状態に逆戻りだ。 耐えられない。 この一年の幸せな記憶があるからこそアルバが示した逃げ道はクザンにとって絶望でしかなかった。 軋む心臓を誤魔化そうと噛みしめた唇は血を流すこともなく氷となってパキリと砕け、瞬きの間に元通りの状態へ再生する。 身体のほうはこんなにも痛みに鈍感なのに心臓だけが聞き分けなく締め付けるような痛みを発し続けるのが笑えるほど滑稽で、虚しい。 「……知りてェなら、言ってみろよ」 震える喉から無理やり言葉を吐きだしてようやっと振り向いたクザンに、アルバが目を見開いた。 そんなにひどい顔をしているだろうか。 しているんだろうな。 なにせこんなにも最低な気分なのだ。 鏡がないから確認はできないが、きっと情けなくて、今にも死にそうな顔に違いない。 「世話になったって言うなら、そのくらいの茶番、付き合ってくれてもいいだろ?」 「……クザン」 無理やり唇を吊り上げて不格好に笑うクザンの頬をアルバの親指がそっと拭う。 涙を拭いてくれるつもりだったのだろうが生憎と零れる傍から氷の粒に代わってくれるおかげでクザンの頬は乾いたままだ。 それでも関係ないというように優しく頬を撫で続ける指にクザンは小さくしゃくりあげながらこいつ本当に馬鹿だなァと思った。 これから振る相手に優しくしてどうすんの。 そんなだから勘違い女に惚れられたりするんだよ、馬鹿。 「クザン、おれのこと好きか?」 「、ん」 「おれも好きだ。クザンが……好きだ」 「……そ、……ははっ、じゃあ、ッ両、想い……、!」 クザンの好意がどんな種類のものかなんて先ほどとった態度で充分に理解できたはずだ。 それでも覚悟を決めたような真剣な顔で最後の『茶番』に付き合ってくれたアルバに、嬉しいわけでもないのに自然と笑いが込み上げてきた。 顔を隠して絞り出した声は細く掠れていてアルバの耳に届いたかどうかもわからない。 けれど最早それを気にする余裕もなく、頬に添えられたままの手から逃げるように蹲る。 両想いという言葉の白々しさに吐き気がした。 クザンを置いて家から去っていくアルバに限って、そんな都合のいいことはあり得ない。 あり得ないとわかっている。 わかっているのに諦めがつかないのはこの期に及んで温もりを与えてくるアルバのせいだ。 こんなときに抱きしめてくるなど、優しいを通り越して男として最低ではないか。 「……なあおい、そういう反応されるとものすごく不安になるんだが、おれたちは恋人になったってことでいいんだよな?」 「、え?」 小さく身を縮こまらせたクザンを腕に抱き込みあやすようにとんとんと背を叩いていたアルバに「両想いってそういうことだよな?」と信じがたいことを尋ねられ、思わず顔をあげると目の前には迷子の子供のような情けない顔があった。 ぱちりと瞬いた目から、淵に残っていた涙が転がり落ちる。 「……別に、断ったって家焼いたりしねェよ」 「恋人になってくれるなら焼いても構わない。借家だから先に家主に話して許可を貰わないとまずいがお前の能力なら燃え広がったりはしないだろうし、金は……まあ、なんとかする」 「いや焼かねェって」 「なんで……ッまさか、おれをこの家から追い出したいのか!?」 「荷物引き上げて勝手に出ていこうとしてたのはお前だろうが!!」 アルバのあまりの言いざまに、あれだけぽろぽろと零れ落ちていた涙が嘘のようにひっこんだ。 両想いなんてあり得ない。 キスなんて、ずっと昔から好きだったなんて、そんな。 「手を出していいなら誰が出て行くか」 一生居座るから覚悟しろ、なんてーーそんな、馬鹿な。 |