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先日アルバが王宮に咲いている花で花束を作りたいと願い出た。
そんな噂を耳にして、ペルはこれまで考えていなかったーーあるいはわざと考えないようにしていた現実を眼前に突きつけられ久しく感じていなかった酷い飢餓感と吐き気に思わず口元を押さえこんだ。
アルバーナ王宮に咲く花は一種類のみ。
そしてアラバスタの国花でもある真っ白なそれを花束にして渡す行為は『この国に共に根を張り花を咲かせよう』という意味の、この国における伝統的な求婚である。
アルバにそんな相手がいたなんてペルは全く知らなかった。
いっそ知らないままでいられたならどれほど良かったことだろう。
アルバは以前おかしくなってしまったペルに一生面倒を見ると優しい言葉をかけてくれたが、家庭を持った男に食事をするのは自分とだけにしてくれなどという恥知らずな我儘を強要できるはずもない。
ペルに残された道はアルバが知らない誰かに求婚し、幸せな家庭を築き、食卓を囲む様を満たされない腹とありとあらゆる負の感情を抱えながら外から眺めることだけだ。
異常に蝕まれた心身を憐れまれてのこととはいえ、一度歪んだ幸福を憶えてしまったペルにとってそれはあまりに残酷な未来だった。



「ペル、入るぞ」

せりあがってくる胃液と溢れそうになる涙を堪えて部屋に戻った姿を周囲がどう伝えたのか、消化しやすい果物を携えて部屋へと入ってきたアルバにペルはやさぐれきった精神のまま「出ていってくれ」と告げようとして、しかしすぐ諦めたように開きかけた口を元の一文字の形に戻した。
ペルのために自ら寝床にまで食料を運んできたアルバに、まるでそうなるべく仕組まれているかのように温かな幸せが湧き上がる。
こんな精神状態ですらアルバに情を傾けられることに喜びを感じる自分が悍ましく、それでも今この瞬間の幸せを手放そうとは僅かすらも思えなかった。
それに、とペルは我知らず血の気の引いた唇を噛みしめる。
ペルが部屋から追い出したら、アルバは恋人の元へ行ってしまうかもしれない。
もう求婚は済んだのか、それともまだこれからなのか。
そう考えながら仲睦まじく寄り添う男女の姿が脳裏に浮かび、意味もなく叫び出しそうになる喉に力をこめた。
仕方のないことだとわかっている。
けれど、それは駄目だ。
それだけは、どうしても。

「どうしたんだ、ペル。また食事のことで何かあったのか?だったら心配しなくても、おれが食い物を渡すのはお前だけだから、な?」

枕に頭を沈めたままのペルの髪を優しく梳きながら話すアルバは心配そうなのにどこか満ち足りたような雰囲気を纏っていて、その理由を想像すると悲しみで胸が痛むのと同じ分だけペルの中に巣食う黒い澱がじわじわと広がっていく。
ああ、と絶望の声が頭に響いた。

「昼飯食ってないんだろ、皮剥いてやるからこれだけでも食っとけ。よく熟れてるからきっと甘くておいしいぞ」
「……違うんだアルバ。そうじゃない。そうじゃなかったんだ」

この感情はその方法では治まらないと果物を持つアルバの手を押しとどめる。
独りきりの寝台でペルは考えていた。
もしアルバが結婚しても今の、食事をとるのはペルとだけという生活を続けてくれればそれでいいのかと。
妻に愛を囁き二人の間に子供が出来てもそれを祝福することができるのかと。

ーーそんなこと、無理に決まっている。

反射的に浮かんだ答えは、だからこそペル自身の本心であると認めざるをえない浅ましいものだった。
その通りだ。
無理に決まっている。
アルバに愛される者に、その愛の結晶に、祝福するなど到底できるはずもなかった。
アルバがペル以外の者に食べ物を渡していたときにはただ醜い、汚らしい感情だとしか認識していなかった黒い澱。
それが一般的に何と呼ばれるものなのか、ペルはここにきてようやく理解した。
理解してしまった。
これは、この感情は、まぎれもない『嫉妬』だ。

「アルバ、おれは……おれは、花が欲しい」

腹を満たす甘い果物ではなく、あの白い花でつくられた花束が欲しい。
アルバの愛がほしい。
他の誰にも渡したくない。
引き攣る声で、今度こそ叶えられるはずのない願いを口にしてくしゃりと顔を歪めたペルに沈黙が重くのしかかる。
友情を裏切る気持ちを抱いてしまったばかりかそれをこんなふうに押し付けておいて嫌わないでくれと言うのは虫の良すぎる話だろう。
それでも縋らずにはいられなかった。
優しいアルバならあるいは哀れなペルを見捨てられずに手を取ってくれるのではという、打算に塗れた最低な告白だった。

「あー……ペル、花束のこと、知ってたのか?」

まいったなァと頭を掻くアルバに死刑宣告を待つような気分で視線を落とす。
と、突然背中とひざ裏に手を入れられ「あっ」と声を発する間もなく空中に攫われた。
鳥になって自力で空を飛ぶのとは違う独特の浮遊感。
中途半端な視点に身体の軸がぐらりとぶれて慌てて目の前にあるアルバの服を掴み、掴んだ後で姫抱きにされている事実に気づいたペルは思わず叫び声をあげた。

「なっ、なにを……!アルバ!降ろせ!」
「落ち着けよ。おれの部屋まで運んでやるから、それ持って大人しくしとけ」

抱えられて胎児のように折れ曲がったペルの腹と自身の間に挟まるように乗っている果物を顎で指し、抗議を聞き入れることなく扉を足で蹴り開けたアルバが人目も気にせずずんずんと廊下を進んでいく。
何事かと騒ぐ周囲からなんとかして燃えるように熱い顔を隠そうと縮こまっていると一つの足音が近づいてきて「なんだ、もう渡したのか?見せつけるのはいいがほどほどにしろよ」と二人を冷やかす声が聞こえてきた。
この声はチャカか。
いつも冷静で頼りになる男だが、今は無性に殴り倒したい気分だ。

「まだ渡してないよ。これから渡しにいくところ。求婚っていうからには最高級のディナーと一緒に渡すつもりだったんだけど、なんか誤解してるみたいだし」
「……え、」

チャカの前にも立ち止まることなく歩みを進めるアルバがすれ違いざま残した言葉に、ペルは腕で覆っていた顔を驚愕で染めた。
なんだろう、いま何か。
なにか、とても自分にとって都合のいい、都合が良すぎて逆に現実味のない言葉が聞こえた気がする。
呆気にとられて弛緩した腕の隙間からアルバとバチリと目が合った。
近すぎる顎のラインと形のいい唇にどぎまぎしているペルに、アルバがまるで子供に言い含めるようにゆっくりと語りかけてくる。

「鳥の求愛は一生続けるとして、そろそろ人間としても求婚をと思ったんだ。なあペル、受けてくれるだろ?受けてくれれば花でも食べ物でもおれ自身でも、望むものは何だってお前にやる。全部お前のものになるんだよ、ペル」

求愛。
求婚。
痺れるような甘い声で間違いなくそう囁いたアルバが、ペルを抱えたまま器用に部屋の扉を開く。
吸い込まれるように視線を移した先には卓上の花瓶に飾られている清楚な白い花があった。
アルバの愛の象徴。
求めてやまなかったそれに、ペルの目が釘付けになる。

「あの花は食用にもできるから、なんなら後で食べてもいいぞ」
「そ、っ……!」

からかうように笑うアルバに「そんな勿体無いことはしない」と返そうとした瞬間ぐぅと腹の虫が鳴って、ペルは衝撃に硬直した後、再度顔を隠すようにして丸くなった。
アルバの笑い声を聞きながら手の中の果実を握りしめる。
ああ、ああ。
この恋はこれからもこのおかしな食欲に振り回され続けるのだろう。
そしてそれはきっと、とても幸せなことに違いない。
旋毛にキスを落とされる感覚に身を震わせ、ペルは幸せな涙を浮かべて静かに笑った。