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たまに見る夢より余程夢らしい、人生で最も喜ばしく素晴らしい夜が明けたとき、おれは酔いと心地良い疲れに誘われて眠ってしまったことを心の底から後悔した。
なぜなら同じように眠りに落ちておれの腕の中で穏やかな寝息を立てていたはずのサカズキの姿はすでにそこになく、着替えと共に置かれたメモには呼び出しを受けて仕事に行く旨と鍵をかける必要はないという旨だけが走り書きにされていたからだ。
はっきり言おう。
おれは、サカズキがあんなふうに誘ってくれて、それらしい言葉を貰い、互いの熱を肌で感じてもまだサカズキの好意を得ることができたという自信がまったく持ててなかった。
普通の男女で考えれば、否、同性同士であったとしてもあの流れは想いが通じて結ばれたのだと考えるのが普通だと思う。
だがしかし相手はサカズキだ。
おれが数十年欲望をひた隠しにし、猫をかぶり、ひたすらサカズキの利益になることだけを考えて立ち回り被った猫が素顔になりかけてもなお警戒を解いてくれなかったあのサカズキなのだ。
それにサカズキから誘われたとはいえ最終的に身体を繋げるには至らなかったというのも大きい。
そう、あんなふうに煽ってきてきたくせにサカズキはローションも用意していなければ自分で慣らしてもいなかった。
まあサカズキが自分で慣らしていたりしたら驚きだし『初めて』らしいミスに安心したといえばそうなのだが、計画性がない以上やはりあれは酔いの勢いかなにかだったのかもしれないという疑念は拭いきれず、故に明日、つまり今日の朝まだそういった雰囲気が残っているうちにサカズキにきちんと確認を取ろうと考えていたのである。
そうでなければ夢のような出来事は夢のような出来事のまま終わってしまう気がして、だからサカズキが起きるまで寝ずにいようと決めていたのに。
できれば流れを途切れさせたくはないが『鍵をかける必要はない』と、『帰れ』と指示を受けてしまった以上このまま家に居座るわけにもいかない。
そうして己の不甲斐なさを噛みしめながら言われた通りサカズキの家を後にした翌日、おれの悪い予感は見事なまでに的中した。

「……何を見ちょる」
「いいや、なにも?」

執務室の椅子に座りギロリとこちらを睨みつけるサカズキに肩を竦めて返すとフンと鼻を鳴らして「ならはよう行かんか」と迅速な退室を促される。
本部で顔を合わせたサカズキの態度は以前と全く変わりない、刺々しくよそよそしいものだった。
別に恋人らしい甘さなど期待してはいなかったが、事前に最悪を予想してシミュレーションを行っていなければこの場でみっともなく崩れ落ちていただろう。
オーケー、オーケー。
あの夜のことは何もなかった、そういうことだなサカズキ。
そんなふうに心の中で寛容なんだか投げやりなんだかわからない理解を示し、感情に整理をつけてこちらも変わりない穏やかな微笑みを口元に浮かべる。
被り慣れた猫だ。
恋情を隠すなんて今更わけもない。
サカズキの探るような視線には気づかぬふりで、おれは執務室の扉を閉めるのと同時に再度長年の恋心に蓋をした。


それから二カ月。
おれとサカズキの関係は、相変わらず何も変わっていなかった。
たまにサカズキが何やら苛々しているだとか機嫌が悪いだとかいう話しを聞いたりするが昔からそんなサカズキばかりを見てきたおれにはイマイチ違いがよくわからない。
唯一おれがサカズキを飲みに誘わなくなったのが変化と言えば変化だが、それだってどうせいつも断られていたことだ。
大局的に見れば変わりないのと同じだろう。
起きて仕事をして眠ってという規則正しいサイクルをただ漫然と繰り返す。
『あの日』に並ぶ人生の転機が訪れたのは、そんな代わり映えのないある日の午後のことだった。

「……メシ?」
「前に連れられて行った店じゃ……予定がなけりゃァ、付き合え」

サカズキに仕事以外のことで声をかけられるという信じがたい出来事に頭が対応できず固まっているおれに「先約があるか」と問う声はまるで尋問でもしているかのように硬い。
別に、先約はない。
あったとしても、以前のおれなら疚しさなどおくびにも出さず二つ返事で頷いたはずだ。
しかし前に連れていった店となるとメインになるのは食事より酒。
サカズキのような酒豪が飲み過ぎるなどということがそう度々起こるとは思わないけれど、しかし前回の無茶な飲み方を思い返せば万が一がないとも言い切れない。
そしてその万が一がまた起きたとして、おれはひと時なにもかも忘れて喜ぶのだろうが、結局のところを考えればお互いのためにならないのは間違いなかった。
暫く迷って食事を断り、話があるなら後で時間をとろうかと返す。
と、サカズキの表情が僅かに歪み、どこか泣きそうな、こちらを責めるような表情に心臓がぎくりと跳ねた。

「……もう、わしのこたァどうでもよくなったか」
「サカズキ?なに、」

なにを言ってるんだという途中「惚けるな!」と語気荒く言葉を遮られる。
しかし空気を裂くような気迫の裏で、その声が微かに震えていることに気づいてしまったおれは思わず目を見開いた。
サカズキ、と漏れた声に眉間の皺が一層深さを増す。

「わしが、自分から言い出しておいて無様を晒したもんで、それで呆れて、気を悪くしたんじゃろうが!じゃけェ酒に誘いもせんようになって、全部なかったことにしようとしちょる!わしゃァ、あんな……面倒なもんたァ思うちょらんかったけェ見通しが甘かったのは認めるが、わしは、次こそはと、思って……ッ!」

どこに人の耳があるかもわからないのに非常に際どい内容を大声で喚き散らしていたサカズキが、ついに耐え切れず身体の一部をマグマに変えた。
どろりと額を、頬を伝ったマグマがサカズキの強張った表情を一瞬にして飲み込んでいく。
この能力暴走が怒りゆえかそれ以外の感情故かはわからない。
けれどサカズキの言葉をおれの都合のいいように受け取ると、前回用意が足りなかったせいで最後までできなくて、次こそはと思って今日誘ってきたということは、つまり。

「……………えっ」

考えついた結論に、情けない声とともにへなりと足から力が抜けその場に尻もちをつく。
だってサカズキが。
あのサカズキが、まさか、おれに抱かれるために、ローションやら慣らすのやらを、自分で?
そんな、まさか、馬鹿な。
考えれば考えるほど頭の中が疑問符と感嘆符に埋め尽くされる。
しかし、いや、でもこれは、きっとそういうことなんだろう。
それ以外ないだろう、これは。

混乱のおかげで未だかつてないほど下手糞な半笑いになってしまったおれの顔は、きっとサカズキのマグマに負けず劣らず真っ赤だったに違いない。




――その夜、なんとか誤解を解いたサカズキと二人して「素面であんなことができるか」と浴びるほど酒を飲み合意の上で二度目の送り狼になったものの、やはり慣らし方が足りておらず再度お預けをくらったことをここに追記する。

今度からは慣らすのも誘うのも、おれがしっかりとリードするつもりだ。