頭に触れる手は優しくて、俺より少し高い体温が酷く心地よい。 もっとと言うように掌に頭を擦り付ければ、嬉しそうに笑うナマエと目が合って少しだけ恥ずかしくなる。 それでも、逃げることだけはしない。普段は面倒見が良くて沢山の仲間に囲まれているナマエも、今日だけは俺だけを見て俺の傍にだけいてくれるのだから。 「誕生日おめでとう」 俺がこの世に生を受けた、今日この日だけは。 ナマエは、公私を分ける為だと言って、恋人である俺の名前を何時もは呼んでくれない。 誕生日である今日ですら、まだ一度も名前を呼んでくれないのだ。 でも今なら。二人きりで、何時もより幾分優しい目と数段甘い声音で何度も何度も祝いの言葉をくれる今なら。 もしかしたら呼んでくれるのではないかとナマエの首に顔を埋めて、小さな声で、それでもハッキリと。 俺の名前を呼んでくれと頼んだ。 ナマエは一瞬固まると俺を抱き締めて、耳に息を吹きかけた。 吃驚して身体が硬直したが、直ぐに不満が込み上げてきて、身体を離して顔を見上げる。 ナマエは小首を傾げつつ、もう一度息を吐く。 ふざけているのだろうか。 だとしたら随分と質が悪い。 愛の言葉を囁かれるより、祝いの言葉を述べられるより、名前を呼んでくれた方がよほど嬉しいというのに。 何故名前を呼んでくれないのだ。 何故息を吐くだけなんだ。 何故口は俺の名前を形作っているのに声に乗せてくれないのだ。 不満を口にしようとした瞬間、ハタと気づく。 ここにナマエが居る訳無いのだと。 ナマエは数日前から仕事の話以外で一度も顔を合わせてくれないのだ。ハッキリと避けられている。 喧嘩したのだ。いや、喧嘩とすら呼べないものだったかもしれない。原因何て覚えてすらいない。随分とくだらない事だったようにも思えるし、凄く大事な事だったような気もする。 間違いなく言えるのは、今俺は、夢を見ているのだという事だけだ。 一度気づくと、先程まで心地よかった暖かさすらわからなくなって。 隣に見えるのに、縋り付いて抱き締めたのに、寒かった。 触っている感覚は確かにあるのに。 どうしようもなく、寒いのだ。 寒いけど、夢から覚めたくはなかった。 目を開ければ現実が待っているのだろう。今よりずっと寒い現実が。 名前を呼んでくれなくてもいい。 自分だけを見てくれなくてもいい。 傍にさえ居てくれるなら、夢だって構いはしない。 なのに、目の前のナマエはどんどん歪んでいって、視界が黒く染まって行って。 いやだ。 いやだ。 「やっと起きたか。お寝坊さん」 目の前には、ナマエが居た。 「え...」 頭が上手く回らない。寝起きじゃなければもう少しマシだったろうに。 意味のない音だけが、何度も口から漏れていく。 喧嘩してたのに。 なんで。どうして。 違う。こんな事を聞きたいわけじゃないのだ。 「お前と喧嘩した後他の奴に怒られたよ。それくらい叶えてやれってさ」 違う。 「悪かったな」 聞きたい言葉はそれじゃない。 「愛してるよ」 愛の言葉でもない。 「誕生日おめでとう」 祝いの言葉でもないのだ。 聞きたいのは少しの言葉。 何よりも雄弁にナマエの気持ちを伝えてくれるただ一言。 「" "」 抱きついた身体は、確かに暖かかった。 |