「おぉう、こんなところにもあったか」 足をとられたと思った瞬間に逆さまになった世界。 いや、逆さまなのは自分のほうだ。 まったく逆さま、一本釣り。 「楽しめましたか?六年ろ組の鴻池義助先輩」 「俺は楽しみよりも癒しが欲しかったな、一年は組の笹山兵太夫」 部屋の外からにんまり笑顔で覗いていた水色の井桁模様がひょこひょこと遠回りで俺に近づく。 その奇妙な足運びが罠のない場所を通っているからだと考えると、処理した倍以上の数がまだ存在しているのだろう。 恐ろしい。 「甘いよ義助」 「そうはいってもね、兵。さすがにこれだけ罠だらけだと足の踏み場もないわけだよ」 おそらく実習の間に仕掛けられたのだろう、久々に帰ってきた俺の部屋は暖かく俺を迎えるどころか牙をむいて襲い掛かってきた。 入り口から天井、壁までどこもかしこも罠だらけ。 なんというモンスターハウス。 勢いを付けて体を起こし苦無で縄を切ろうとする、が、切れない。 「無駄だよ、それ細い鋼が組み込んである特注品だから」 なんと、とても金の掛かっている品のようだ。 「贅沢品を使うのはいいけど、もったいなくない?」 俺に使うよりももっと有益な選択肢はないのか。 再度体を折り足首よりも上の位置にもそもそと火薬を仕掛けながら問うと、兵太夫は相変わらずの笑顔で「全然!」と答えた。 予想通りの答えだ。 この年の離れた幼馴染は昔から俺に対する悪戯に金の糸目をつける性分ではなかったから。 兵太夫が入学してくるまで学園生活より長期休暇のほうが大変だったのを思い出して苦笑いを浮かべた。 設置した火薬に火をつけると小さな爆発が起こって宙吊りから解放される、と同時に床が抜けて視界が暗転。 「なんと、二重か」 珍しく罠をはずすのを邪魔しないと思ったら足元にきっちり落下式罠が作られていたらしい。 落ちた先に槍やら毒虫やらがなかっただけましだろうか。 「義助って本当に六年なのか疑いたくなるぐらい甘いよね」 綾部の蛸壺とは違って土の匂いのしない、まるで木箱の中のような落とし穴は涼しくて意外と快適、いやいやそんなこと言ってる場合じゃない。 随分と高い位置に見える兵太夫を見て上までの距離を測る。 うん、どう考えても自力脱出は不可能だ。 「へーだゆー、その縄切って上から投げてくれる?」 「無理。さっきも言ったけど切れないし義助みたいに火薬持ち歩いてないもん」 「なら人を」 「や」 少し怒ったように俺の言葉をさえぎった兵太夫は何を思ったか勢いよく穴の中に飛び込んできた。 とっさに体を動かし受け止める。 む、軽い。 軽いけど。 「なんでお前まで降りてくるんだ」 いよいよ出られなくなってしまったじゃないか。 「なあ俺今日委員会なんだけど。委員長が委員会無断欠席したらまずいだろう」 「火薬委員会なんてやることないでしょ。それに義助がいなくても五年がなんとかするじゃん」 「生物委員会」 「生物も五年生がまとめてるし。ていうか義助火薬委員長なのになんで生物に顔出すの」 「俺は火薬と生物兼任だから。あ、作法も今日集まるんじゃなかったか」 「鴻池先輩に監禁されて動けませんでしたって立花先輩に伝えるから大丈夫」 人馬の術で兵太夫を外にと考えたが、なるほど、どうあっても俺を出す気はないらしい。 しかも仙蔵にあることないこと吹き込む気満々のようだ。 あいつのことだから嘘だとわかっていても嬉々として俺をいたぶるだろう。 まったく気が重い。 これから起こるであろうことを考え憂鬱になっていると突然に首元を引っ張られた。 無視すると更に強く引かれる。 布が擦れて項が地味に痛い。 何事かと視線を落とすと受け止めた体勢のままぴたりとくっついていた兵太夫が顔を上げてこちらをじっと見つめていた。 「義助、ねえ、実習の間僕がいなくてさみしかった?」 「いや、向こうでも罠や何やに引っかかりまくりで正直あまり普段と変わりなかった」 即答すると案の定兵太夫の機嫌が急降下した。 なんだかんだ言って構われたがりだからなぁ。 「兵は寂しかったのか?」 「さみしいわけないじゃん」 ぷいと逸らされた顔にとがった唇、拗ねていることは明らかだがこれも毎度のことなので今更慌てるほどでもない。 「兵、こっちむいて」 ぶすっとして膨れたもちもちほっぺたを軽くつつくと鬱陶しそうに手を払われた、が、懲りずに再度。 つんつん ペチン つんつん ペチン つんつん ペチン つんつん 「もう、なんなの!」 ようやく正面に戻ってきた顔を捕まえてむにむにと揉みこむ。 兵太夫は年齢にしてはスッとした顔立をしているもののやはり子供のほっぺだ、やわっこい。 「別に寂しくはなかったけどな、ずっと兵太夫のこと考えてたぞ」 いろんな罠にかかったり解除したりしながら、これは兵太夫のよりマシだとかこのくらい兵太夫の部屋にあるとかそんなことばかり考えていた。 潜入先がからくり屋敷だったせいもあって四六時中そんな感じだったのだ。 ずっと兵太夫のことばかりでいつのまにか実習が終わって帰ってきたら今度は本物の兵太夫。 寂しがる暇などありはしない。 それじゃあ不十分かと問うと兵太夫はぶすくれた表情のまま俺の懐に顔を埋めた。 「……あと一時間こうしといてくれたら許してあげる」 「長いな。というか出られるのか?」 「出られるよ、脱出用の仕掛けつくってるし」 短期間のあいだによくもまあ凝ったからくりを仕上げるものだ。 呆れ半分関心半分で兵太夫の顔を覗き込むと先ほどとは打って変わった悪戯っぽい笑顔で軽く唇を奪われた。 この先もきっと俺の心に寂しさを感じる隙間なんてないんだろう。 そんな隙間があったら兵太夫がみっちりとからくりを詰め込んでくるに違いないのだから。 |