【ご注意】
轟家に何の悲劇も起きていない世界線です。
焦凍と夢主に娘(固定名:あかり)がいる設定です。
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「ただいま〜」
声をかけながら、玄関の引き戸を開いた。広い土間で靴を脱いで揃えていると、奥の台所から冬美義姉さんが顔をのぞかせた。
「あっ、おかえりなさいなまえちゃん!」
「ただいま戻りました」
スリッパをぱたぱたと鳴らして出迎えてくれる冬美義姉さんに、私は持っていた買い物袋を手渡す。
「メモいただいた分です。これで全部だと思うんですけど」
「ありがとう〜! ごめんね、試作のときに切らしてたの忘れちゃってて。手間かけさせちゃった」
「いえいえ。プレゼントの受け取りも今日でしたから。ちょうどよかったです」
私がもう一つ脇に抱えていた袋を示すと、冬美義姉さんはそれを覗き込んでにっこりと笑った。
「あかりちゃん、喜んでくれるといいね」
「はい」
私も笑って、頷き返す。ふと思い出して、私は尋ねた。
「そうだ。義兄さん達はどうでしたか?」
「あっ、そうそう。夏は仕事が終わったら速攻で来てくれるって」
「よかった。お忙しいところありがとうございます」
「燈矢兄はね、一応連絡はついたんだけど……」
そこまで言って、冬美義姉さんが少し表情を曇らせた、そのときだった。
「冬美ィ! 生クリームが足りんぞ! 冬美ィィィ!!」
台所の方から、お義父さんの助けを呼ぶ野太い声が響き渡ってきた。
「ああ、もお〜……ごめんね、なまえちゃん」
「いえいえ。いってらっしゃい」
私は苦笑して、冬美義姉さんを促す。冬美義姉さんは、「もお〜、お父さん、それデコレーションにも使うから量考えてって言ったじゃん〜!」と悲鳴を上げながら台所へ戻っていった。
私はひとまず、プレゼントの箱が入った紙袋を居間の隅に置いて、奥の客間の方へと足を向けた。
襖を開けると、畳の上に紙やらクレヨンやらの画材を広げたあかりが、こちらに気づいてぱっと顔を上げた。
「おかあさん! おかえりなさい!」
「ただいま。いい子にしてた?」
「してたよお。あのね、おとうさんとおばあちゃんと絵かいてたの」
そう言って、手の下にあった画用紙を広げて見せてくれる。画用紙の上には、色とりどりのクレヨンで表現されたあかりの世界が広がっていた。
その奥では、座椅子にかけたお義母さんと、あぐらをかいた焦凍が、のんびりとした空気であかりを見守っている。
「おかえり」
「おかえりなさい、なまえちゃん」
「ただいまです。ありがとうございました、面倒見てもらっちゃって」
「いいのよ。お絵描き見させてもらってただけだし。あかりちゃん、色遣いが上手になったわねえ」
ほんのりと微笑むお義母さんに、なぜか私が照れてしまった。あかりはまた新たな画用紙を手に取ると、画板の上で再び製作に没頭していた。
私は焦凍の隣に横座りすると、そういえば、と声をかけた。
「夏雄義兄さん、お仕事終わったら来てくれるって」
「そうか。よかった」
「燈矢義兄さんは、ちょっと難しそう」
「そうか……」
焦凍が頷く。
燈矢義兄さんは、年に一度この轟家に帰ってくるか来ないかといった具合だ。あまり込み入ったところまでは聞いていないが、もっと若い頃はお義父さんといまいち馬が合わなかったらしい。大人になってからはそこまででもないが、私が焦凍と結婚してからも二、三度顔を合わせたくらいか。今年のお正月には珍しく帰省していたけど、顔を見せるだけで一泊もせずに帰ってしまった。
今日のことも、一応ダメもとで冬美義姉さんから連絡を入れてもらっていた。けれども、先ほどの表情からするに、どうも難しそうだ。
少し残念な気持ちに浸っていると、ふと焦凍が話題を変えるように言った。
「料理の方は、どうなってた」
「えっ、ああ、うーん……」
「……親父が作ったケーキとか、食わせて大丈夫かな」
「いやいや、大丈夫でしょう。ほら、冬美義姉さん監修だし、たぶん」
そこまで言って、私はハッとした。隣で、お義母さんがくすくすと笑いを堪えている。奥様の前で、失礼なことを言ってしまった。
「すみません……」
「いいのよ。もし食べられる代物じゃなかったら、自分でプロミネンスバーンすると思うから」
「それは、ちょっと、いいんですか……?」
私は首を傾げた。お義母さんがこの穏やかな笑顔でたまに繰り出すジョークはなかなかに鋭利で、ときどき笑っていいのかどうかわからなくなる。
するとそのとき、ピンポーンと、玄関の呼び鈴が鳴らされる音がした。
「あっ、私出ます」
立ち上がろうとするお義母さんを制して、私は腰を上げた。「おきゃくさん?」と首を傾げて、あかりが後についてくる。
「わかんない。見てくるね」
「わたしもみてくる」
「じゃあ一緒にいこっか」
「うん」
座敷に残った二人に手をふりふりするあかりを見ながら、私は廊下を進んだ。途中、居間に設置されたモニターで確認すると、宅配の人だった。私はモニター越しに応答して、玄関に向かった。
「こんにちは、轟さんですね。こちらにサインお願いします」
「はい。……ありがとうございました」
荷物を受け取り会釈を交わすと、宅配さんは玄関を後にした。
再度戸締まりを確認してから小包に目を落とす。随分軽い荷物だ。
そこで私は、あっ、と気がついた。小包には、差出人の名前がなかった。よくよく見ると、宛名書きの部分も「轟様」とあるだけで、個人の名前がない。
私は戸惑う。おかしな荷物を受け取ってしまった。ついいつもの流れで、送り状の内容までよく見ていなかった。
どうしようか。先ほどの人を追いかけて、確認してみようか。それとも、ひとまずお義父さんかお義母さんに、心当たりを尋ねてみるか。
そう思案していると、私と宅配さんのやりとりを横で眺めていたあかりが、突然両手を上げて飛び跳ね始めた。
「おかあさん! それ、かして!」
「え? これ?」
あかりは私の腕にある小包に向けて一生懸命手を伸ばしている。貸して、と言われても、差出人もわからない不審な荷物だ。安易に子どもの手にわたすわけにはいかない。
けれども、あかりの表情に何か確信めいたものがうかがえて、私は渋々腰を折り曲げた。
「見るだけだよ……って、あ!」
そう言ってあかりの目線の高さまで小包を持っていった瞬間、あかりは思いがけない勢いで私の手からそれをひったくった。
「ちょっと……!」
止める間もなく、あかりの小さな手でばりばりと包みが破かれていく。そして中から現れたのは、白くてふわふわした、丸みのあるフォルムが可愛らしいうさぎのぬいぐるみだった。
あかりはそれを私に掲げて見せると、喜びに頬を染めてにっこりと笑った。
「とうやくん」
「え?」
私は首を傾げる。とうやくん、とは、燈矢義兄さんのことを言っているのだろうか。このうさぎが、燈矢義兄さんということだろうか。いや、そうではないな。
私はもしかして、と思い、あかりに尋ねた。
「燈矢くんがくれたの?」
「うん」
「どうしてわかるの?」
「ん」
あかりはびりびりに破けた包みの中から一枚の紙片を拾って、私に差し出した。受け取って見ると、ツヤツヤとした光沢のある包装紙の表に、黒いサインペンで描かれた不格好なうさぎがいた。
あかりはそれを指さして続ける。
「こないだね、うさちゃんが好きって言ったら、かいてくれたの。おんなじやつ」
「こないだ……お正月のこと?」
「うん」
あかりは頷く。こないだのお正月。燈矢義兄さんが珍しく帰省してきた日のことだ。
そういえば、少しの間だったけれど、燈矢義兄さんがあかりの相手をしてくれた。そのときもあかりは座敷に画材をいろいろと持ち込んでいて、何やら熱心に燈矢義兄さんに話しかけていた。あまりにも珍しい光景で、またあかりもとても楽しそうにしていたので、特に声はかけず見守るだけにしていたが、あのときにそんなことがあったなんて。
あかりの手元ではそのうさぎが、不格好ながらもせいいっぱい、優しく微笑んでいる。
私は胸の奥からじんわりとからだが温まっていく心地がして、あかりの頭を撫でて笑いかけた。
「大事にしようね」
「うん!」
両腕でぬいぐるみを抱きしめたあかりは、今日いちばんの笑顔を見せて頷いた。
「あかりちゃん、おまたせ〜!」
冬美義姉さんの明るい声が台所から響いた。準備が整ったようだ。
「よしっ、じゃあパーティーしようか」
「する! うさちゃんも一緒」
「うさちゃんも一緒にね」
私はあかりの手をひいて歩き出す。
今日という一日が素敵な思い出になるよう、願いをこめて。
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・いまどき差出人不明で荷物が届くことはないと思いますが。燈矢くんは、まあ不審物として処分されたらそれはそれでいいやと思って寄越してます。届いてよかったね。ぬいぐるみはあかりちゃんのいちばんの友だちになって、寝るときも一緒です。焦凍パパも嬉しそう。
・親父は生クリームを溶かしがち。一生懸命冷やしながら作りました。クリーム厚め。
・夏兄出番ありませんが、この後子ども向け電子キーボードとかガチめのプレゼント持って現れてくれます。