弔くんにキスされた。べつに、何があってということもない。
 ただ、何もすることのない日の午後に、二人でゲームをしていた。コントローラーは当然弔くんが持っていて、私は画面を見ながらたまに余計な茶々を入れるだけだった。ゲームではイベント直前のムービーが流れていて、先の見えない暗闇の中を主人公が息を殺してゆっくり進んでいく。緊迫したシーンに、私たちもその瞬間、二人して黙り込んだ。少し横を見ると、ソファの隣に座った弔くんもこちらに気がついて、きれいな赤い両目が私を見つめる。ムービーはまだ続いていた。
 ふと、弔くんの左手がソファを軋ませた。右手にはコントローラーを持ったまま、私の視界に回り込むように弔くんの体が傾く。ブルーグレーの髪が視界の端で揺れて、私は弔くんとキスをしていた。
 かさついた、けれども温かな唇がゆっくりと離れていく。すぐ近くで、弔くんの射貫くような瞳が瞬いた。私は動けなかった。ソファに背を預けたまま、呆然とする。

 「……悪ぃ」

 ふと、弔くんは自分の口元を覆ってそう呟いた。持っていたコントローラーを私に預けて、席を立つ。振り返ることもなく部屋を出ていく弔くんの背中を、私はただ黙って見送った。
 ゲームではいつの間にかムービーが切れていたけれど、誰に操作されることもなく、主人公の背中が手持無沙汰にふらついていた。

 それから後は、何もなかった。ただいつもどおりの、敵連合としての日々が続いていく。
 弔くんはあんまり私の顔を見なくなった。同じ空間にいるのに、五十歩も百歩も向こうにいる相手のように、私たちはほぼ言葉も交わさなくなった。けれども周りから見て、不自然はない。連合にはトゥワイスやミスターみたいな場を賑わせてくれる人たちが他にもいて、私も弔くんも彼らとはいつ変わりなく話をしていたから。
 敵連合は変わらない。何の問題もなく、日々は過ぎていった。



 「なまえちゃん、何かありましたか?」

 そう声をかけられて、私は目を丸くした。アジトには、私とトガちゃんの二人だけだった。淡いオレンジ色の夕日が大きな窓から差し込んで、散らかった部屋の中をぼんやりと照らしている。黒霧が作っておいてくれたジュースに浮かぶ氷を指で弄びながら、トガちゃんはその大きな目で私を見つめていた。
 私はソファ周りを片付けていた手を止めて、そのままぺたんと床に座り込んだ。カウンターテーブルにつくトガちゃんの太ももをちょうど横から見上げるような形になる。

 「……どうして?」

 私はぽかんとして聞き返した。我ながら今のは阿呆のようだと思ったけれど、トガちゃんは気にせず続けてくれた。

 「なんだか元気がないのです。ちょっと前から」

 そして、少し考える仕草をして続けた。

 「弔くんと喧嘩でもしましたか?」

 私はびっくりして、けれども、洗いざらい話してしまうことにした。トガちゃんの鋭さには敵わないだろう。心配させたままにしては申し訳ないし、もしも活動に支障が出てしまっていたらもっと悪い。
 私の話を聞いている間、トガちゃんもびっくりした様子だった。けれども、話し終える頃にはいつものあの静かな微笑みで、私に向けて首を傾げた。

 「なまえちゃんは、弔くんのことが好きなの?」

 私は答えに詰まった。考えたこともなかった。いや、そうじゃない。きっと、考えないようにしていたんだ。
 私たちは敵連合だから。こっち側に足を踏み入れたときから、そういった感情とはもう出会うこともないだろうと思っていた。決別してきたつもりだった。
 けれども、ここには弔くんがいた。それぞれどうしようもない思いを抱えて集まった私たちに、道を示してくれた。初めて自分のための場所を空けてくれた人に、思いを寄せるのは簡単だった。けど、

 「……ダメだよ」

 そう呟いた私に、トガちゃんは表情を曇らせた。
 カウンター椅子から軽やかに飛び降りると、踊るように、歌うように喋り出す。

 「なまえちゃん、私はね、いつも思っているのです。私も、恋して生きて、普通に死にたいって。それはなまえちゃんも同じ。同じ女の子だから、なまえちゃんにもそうしてほしいって、勝手に思っているのです」

 そして、私の傍に来て膝をつくと、そっと手を取ってくれた。赤い頬でにっこりと笑うトガちゃんの姿が、夕日に映えて眩しかった。

 「私たちだって、恋していいんです。だって、女の子なんだから」



 私は走った。当てなんてなかった。ただ、早く会いたかった。会ってもう一度伝えたかった。
 道の向こうに弔くんが見えた。どこかから帰ってきた途中だったのか、パーカーのフードを目深に被り、俯きぎみにこちらに歩いてくる。

 「弔くん!」

 私は声をあげた。弔くんがこちらに気がつき、顔を上げる。真ん丸に開かれた赤い瞳。私たちの視線が、あれから初めて交錯する。
 走る勢いもそのままに、私は弔くんに飛びついた。「うわっ」と小さく声をあげて数歩よろめくも、弔くんの腕はしっかりと私を抱きとめてくれていた。

 「あぶな……何だよお前、どうし……」

 ぼやく声を最後まで聞かず、私は背伸びして弔くんに口づけた。あのときと同じ、ただ唇をくっつけるだけのやさしいキス。けれども、私の心臓は跳ねるように脈打って、胸を突き破って飛び出してきそうだった。走った後だからではない。
 唇を離して目を開けると、見開いた弔くんの目がこちらを見下ろしていた。

「……まだ、間に合いますか」

 胸を抑えてそう訊くと、弔くんは少しの後、片手で顔を覆ってその場にうずくまった。

 「間に合うも何も……」

 小さくそう呟いて、けれどもその声がよく聞こえなくて、私もおずおずと倣ってしゃがみこむ。すると、軽く腕をひかれて、今度は頬に柔らかな熱が触れた。
 次第に潤む視界に、ほんの少し目じりを赤く染めた弔くんが映る。

 「いつでも」

 そう言って笑う弔くんの顔を、声を、私はこの先何になったって、ずっと忘れないと思う。
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