実家から大量にリンゴが送られてきた。そこそこの広さの畑を持っているので、時期になると自家消費量もそれなりになる。雄英入学のため一人暮らしが決まったときから、また送ってやるとおばあちゃんが頻りに言っていたが、寮生活に切り替わったと聞いて更に張り切ってしまったのだろう。どう見ても一人で食べきれる量ではない。せっかくなので今日の夕食後にでも、皆に食べてもらおう。そう思って、私は箱を抱えて共同のキッチンスペースへと向かった。
 折しも、談話室には誰の姿も見当たらなかった。休日の午後2時。昼食時も過ぎて、皆それぞれ、部屋に屋外にと思い思いの場所で過ごしている頃だろう。ちょうどよかった。こんな箱を抱えて現れては、気のいい皆は手伝おうかと声をかけてくれるはずだから。こちらの都合で消費の協力をお願いしようとしているのに、前処理まで手伝ってもらうことになっては申し訳ない。今のうちに、ささっと片付けてしまおう。私は足元にどさりと箱を降ろすと、腕まくりをして蓋を開けた。
 クラス全員で20人だから……1つ、2つと数えながらリンゴを調理台に置いていく。

 「8つ割りにするとして……ちょっと多めに……こんなもんか」

 調理台には、6つのリンゴが並んだ。まな板を置いて、果物ナイフを取り出し、早速皮を剥いていく。さりさりという音が静かなキッチンに小さく響いて、赤くて瑞々しい渦巻きがまな板の上に出来上がる。ふわりと香る甘酸っぱい匂いに、昼食後間もないというのに口さみしくなってしまった。8つ割りにしたうちの一番小さい一切れをちょこっとかじってみる。しゃくっとした歯切れの良い食感と、口の中にじんわりと広がる甘い果汁。今年も良い出来なのではないでしょうか。うんうんと一人頷きながら、残りも口に運んでいた、そのとき。

 「みょうじ?」

 突如横からかけられた声に、驚いて中途半端に咀嚼していたリンゴを飲み込んでしまった。

 「うっ、えほっ、けほ。うあ……轟くん……けほっ」
 「悪い、驚かせた。大丈夫か?」

 キッチンの入り口に目を向けると、轟くんが立っていた。左右で色の違う目を少しだけ丸くして、慌てた様子でこちらに駆け寄ってくる。

 「んんっ、えほっ……だいじょぶだいじょぶ。こちらこそ、お見苦しいところ、を」
 「無理すんな。水いるか?」

 大丈夫だと手で制するけれども、尚も心配そうに轟くんは背中をさすってくれた。申し訳なく思いながら、喉の変なところに引っかかったままのリンゴを、なんとか飲み下そうと息を整える。すると、ふと轟くんが私の手元に気が付いた。

 「リンゴ?」

 ばれてしまったか。

 「うん。実家から、送られてきて。夕ご飯の後に、皆にも食べてもらおっかなって……」
 「多いな。手伝うか?」
 「ううん、大丈夫だよ……悪いし……んっ、んん、けほっ」

 それにしても、こういうときの食べ物っていうのはなかなかにしつこい。飲み込んだかと思えば、まだ何か喉に残っている感じがする。いつまでもむせてしまうのが治まらない。
 なんとか咳を抑えようとしながら、ふと、白雪姫も案外こんな感じだったのかなと思った。老婆に化けたお后様がくれたリンゴが、あんまりおいしそうだったものだから、急いでかじりついたら飲み込み損ねて死んじゃった。世界各国いろいろな書き手によって劇的に描かれてきたワンシーンだけども、実際のところはこんな、しょうもない話だったのかもしれない。
 そこまで考えて、思考を現実に戻す。だめだ、やっぱり水を飲んだ方がいいかもしれない。

 「ごめん、轟くん。やっぱりお水……」

 なんとか声を絞り出して、シンクの蛇口に手を伸ばした瞬間。
 なぜかその手は私より一回り大きな手に取られて、顔を上げると、唇の端に柔らかい感触が降ってきた。
 轟くんに、キスをされていた。

 「……え?」

 ゆっくりと離れていく、轟くんの瞳。こちらに向けて屈めていた身を元に戻して、一見いつもと変わらない表情でこちらを見つめている。

 「……治るかと思って。あれ、タイトル覚えてねえけど」
 「……白雪姫?」
 「それだ」

 至極まじめなトーンで言う轟くん。私はそんな彼を見つめ返して、瞬きも忘れてしまった。

 「と、轟くんって……天然だよね……」
 「……それはよく言われるけど」

 そこでふと言葉を切って、轟くんはこちらから目を逸らし、調理台のリンゴを手に取った。そして、今度はそのリンゴに目を落としながら、いつもより少しだけ小さな声で言った。

 「それだけで、こんなことすると思うか」

 何も言えなくなった。
 手伝う、と言われたので、持っていた果物ナイフを渡した。轟くんのナイフ捌きは、ひどく危なっかしいものだった。多分に果肉をひっつけたままの皮がぼとりぼとりとまな板の上に落っこちていくのを見つめたまま、私は、三奈ちゃんたちが「なになにー!? リンゴー!?」と言って元気よくキッチンに登場するまで呆然と突っ立っていた。喉にひっかかっていたリンゴは、いつの間にかなくなっていた。

 白雪姫の恋も、案外こんな感じだったのかもしれない。

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