前日談はこちらですが、どちらから読んでいただいても構いません。

-------------------


 敵になってみてわかったことがある。それは、敵だって生身の人間であるということだ。

 社会における敵とは、悪事をはたらく者どもを指す。町へ繰り出せば住居侵入、ご同業と鉢合えば暴行傷害、金に困ればまず盗みに走る。法律というルールに基づき日々を慎ましく生きる、そんな一般人とは行動基準がまるで違う、それが敵というものだ。
 けれども、そういったイメージは、あくまで彼らを表側から見ただけのことに過ぎない。日々、ニュースや新聞で取り沙汰される彼らの一面を切り取っただけのこと。
 一方で、彼らにも家(拠点)というものがあるのだ。巷で散々悪事をはたらいた彼らも、ひとたび家(拠点)に帰れば、飯も食うし風呂にも入る。何かと疲れ切った日には、返り血なんかで汚れた服だけ脱いで、さっさと布団に潜り込むこともある。
 そう、彼らにも彼らなりの、生身の生活というものがあるのだ。
 そして生活していれば当然、ゴミが出る。汚れもたまる。洗濯ものが増えて、着替えがなくなる。放置するのはいいが、いずれ限界が来る。
 これは私たち敵連合にも、もちろん当てはまる状況なわけで。

 ところが、私たちの頼もしいメンバーは基本、家事などしない。
 荼毘はやってくれない。コンプレスはわかっててやってくれない。トガちゃんは生い立ちこそ大変なものだけど、家ではお嬢さんだったようで、家事にあんまり興味がない。トゥワイスはたまに手伝ってくれる。
 全体的にそんな調子なので、自然、まだ生活感の残る私とスピナーで、掃除洗濯などはたまに行っていた。

 なので、ひどくびっくりした。
 私が一週間ぶりのシャワー室掃除係として、せっせと床を磨いていたとき、突然背後からつっけんどんな発声で、

 「なあ、なんかすることある?」

 と、声をかけられたことには。


 「へっ?」

 振り向くと、やっぱり弔くんが、開け放していたシャワー室の扉に手をかけ、こちらを睨みつけている。顔面に“おとうさん”はつけていない。
 心なしへの字に曲がった唇が、なぜだかわからないけれど、彼の不機嫌を物語っていた。

 「え……することって」

 問い返すと、弔くんはますますムッとした。
 私は手に持っていたバススポンジを放り投げて、慌てて付け足した。

 「いや、いいよいいよ。てかリーダーにそんなことさせらんないし」
 「リーダー関係ねえだろ。何でもいいから」
 「えー……」

 私は視線を落として考えた。
 これはどういうことだ?
 私たち敵連合の家事分担制度は先にも述べたとおりだが、よりにもよって、いちばんこうしたことに関心のなさそうな、というか関わらせるのは気が引ける人から、まさかお手伝いの申し出があるなんて。
 理由はまったくわからないけれど、目の前の彼の様子を見るに、早いところ何か返事を用意した方がよささそうだ。

 私は逡巡の末、とりあえず思いついた提案を口にした。

 「あっ、じゃあスピナーがさっき皆で食べた缶詰片付けてると思うから、そっち手伝ってあげて」

 ぽん、と合わせた私の泡だらけの両手を見つめながら、少し間を置いて弔くんが呟いた。

 「……こっちはいいの」

 何でだ。缶詰の片付けは嫌なのだろうか。

 「こっちはもうちょっとで終わるから」
 「……あっそ」

 そう言うと、弔くんはプイと、皆がいるリビング(と呼んではいる部屋)の方へ姿を消した。

 私はその背中を見送って、しばらく考えて、またそろそろと床磨きの作業に戻った。
 すると、割とすぐ弔くんが戻ってきて言った。

 「なあ、缶壊しちまった」
 「あ、いや、いいよ。捨てるだけだし。そのまま捨てて。指切らないでね」
 「ん」

 そしてまた去っていった。
 いや、私でなくても、スピナーに聞いてくれればよかったんだけど。


 それから後も、弔くんの様子はおかしかった。
 私が何か作業をしようと動けばすぐに後をついてきて、あれやこれやと手を出したがった。
 断る理由はないけれど、遠慮しようとすればなぜか不服な表情を見せるので、結局ひととおり手伝ってもらった。その間にも、わからないことがあればすぐ聞きに来たり、間違ってはいないか頻りに私へと確認を求めに来た。
 なんだかその振る舞いが、何かしらの失敗を秘密裏に取り返そうとする子どものように見えて、私はいよいよ不思議に思った。

 弔くん、私に何かしたのかな?

 家事とは言っても、毎度おおざっぱなやっつけ仕事で、それでもひととおり片付く頃には昼近くになっていた。
 リビングで好きなように暇を潰す皆を眺めながら、私は徐に手を挙げた。

 「ちょっとゲーセン行ってくる」

 かったるい、返事とも何ともつかないような声が方々から返ってきた。トガちゃんだけがニッコリ笑って「いってらっしゃい。気をつけてくださいね」と言ってくれた。

 「俺も行く」

 コートを羽織りながら、こちらには背を向けたまま弔くんが言った。
 私は頷く。案の定だ。
 私と弔くんはふたり連れ立って、けだるい平日の町へと繰り出した。

 *

 路地を少し入ったところの寂れたゲーセンで、適当なアーケードゲームを見繕って横並びに座る。よくある対戦格闘型ゲームだ。
 コインを入れるとすぐに、画面はタイトルからキャラクター選択へと切り替わる。

 「弔くんさ」

 右スティックを動かし、キャラクター画像を次々とスクロールしながら、私は声をかけた。

 「何かあった?」

 左隣に座る弔くんは既に選択を終えているのか、右手指の2本だけをスティックに引っかけ、じっと画面を見つめている。
 私も適当に、ビジュアルが一番好みな女の子のキャラクターを選んで、ゲームスタートのボタンを押した。
 一瞬の静寂。『FIGHT!!』の文字と同時に、2Dのステージでキャラクターたちが躍動を始める。

 私がゲーセンに行くと言ったのは、弔くんを外へと連れ出すためだった。
 やはり今日の弔くんは、どう考えてもおかしい。
 同じく戸惑った様子のスピナーに目配せしてみても首を傾げるばかりだし、他の皆は遊んでいるばかりで気にもとめない。
 ならば、直接彼に糺してみるしかないだろう。
 とは言っても一応リーダーという立場もあるし、もしかしたら他のメンバーがいるところでは言いだしづらいことかもしれない。
 そう考えて、私は外に出ることにした。今日の彼の行動からすると、恐らくまた私についてくるだろうと踏んで。読みは当たっていた。

 隣でスティックを器用に操りながら、弔くんがぼそぼそとした声で言った。

 「お前さ、先月くれただろ」

 先月。くれた?
 咄嗟には、彼が何の話をしているのかわからなかった。
 けれども、続く言葉に私は思わずスティックの操作を誤った。

 「チョコを」
 「んぐっ」

 呼気が喉の変なところで潰れて、危うくそのままむせそうになった。
 顔の周りにかーっと血が集まってくるのがわかる。

 そうですね。渡しましたね、チョコ。
 先月の、そう、バレンタインデーのこと。
 皆への日頃の感謝の気持ちをこめて、と見せかけて弔くんへの本命チョコを紛れ込ませるという企てをトガちゃん協力のもと実行した私は、見事その目的を果たしたわけだが。どういうわけか、コンプレスにはその魂胆を看破されてしまった。私およびトガちゃんから皆に配ったチョコには、ラッピング以外一分の差異も持たせなかったにもかかわらずだ。あれが大人の色気というやつなのだろうか。違うか。
 その彼が意地悪くも私の真意を弔くんに伝えたとは考えにくいが、そうか、弔くんはそのことを気にしていてくれたのか。
 妙なところで律儀な彼のリーダーとしての気質が発揮されたのかもしれない。
 私はできるだけゲームの操作に意識を戻しつつ、弔くんの続く言葉を待った。

 「そしたら何かこっちからも返すとか言うだろ。で、そういうの知ってそうなトガとかに聞いたけど、自分で考えろって言われてさ」
 「そ、それで今日、いろいろ手伝ってくれたの?」
 「お前、普段からあれが欲しいこれが欲しいとか言わねえだろ」
 「お金ないからね」
 「悪かったな」

 しかしそこまで聞くと、私はもうゲームの操作どころではなくなった。
 腹筋から腕からがぷるぷると震えて、力が入らなくなってきた。
 そもそも、私はこの手のゲームがまったく得意ではない。
 そうこうしているうちに、決定的なミスをして、弔くんが操るキャラクターに大技を決められてしまった。
 とどめの瞬間、スローモーションになるゲーム画面。横っ飛びに吹き飛ぶ私の分身。倒れ込んだ直後、画面上部に現れる『LOSE』の字幕。
 隣の弔くんの筐体からは華々しいBGMが流れ、キャラクターの凛々しい勝利のポーズが映し出されていた。

 弔くんがこちらを見て、悪い顔で笑った。

 「ザコすぎ」


 ゲーセンからの帰り道、私はふと思いついて、少し後ろを歩く弔くんを振り返った。

 「じゃあさ、今日最後にお願いしたいことがあるんだけど」
 「何?」

 いささか食い気味に返す弔くんに、笑ってしまいそうになった。

 「手、つないでもいい?」
 「……はあ?」

 こうなったらいっそ、この機会をありがたく活用させてもらおうと思った。
 彼が何かしら気づいているのかいないのか、これで勘づくかどうか、そういったことはまた別の話ということでいいのかもしれない。

 弔くんは目深に被ったフードの下で迷った挙句、右手を差し伸べてくれた。
 普段は、うっかり触れそうになるだけですぐ引っ込めてくれる、優しい手だ。

 「弔くん、ちょっと震えてる?」
 「……うるさい」

 つなぐと言っても、互いの指先をひっかけ合うだけ。
 それでも、触れたそこから伝わる温度は十二分に温かい。

 暮れかかった晴天の下を、私たちはゆっくりと歩いていった。

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -