「露伴先生、お仕事中失礼します」
偶然開けっ放しの玄関から何のためらいもなく僕の家に入ってきて、更に仕事場まで足を運んできたその男に、僕は顔をしかめた。
「・・・また君か。原稿はFAXで送ると言っているだろう」
「そうおっしゃらずに。おや?もう出来上がっているんですね。流石は先生です」
・・・僕はこの担当が苦手だ。
編集者になってまだそれほど日も経っていない新人だそうだ。
担当は僕の原稿を手に取ってぱらぱらとみると至極幸せそうに微笑み「では早速持っていかせていただきますね」と言う。
「露伴先生は仕事が早くて助かります。俺、もう一人別の漫画家の担当もやっているんですが、どうにも仮病を使われてしまったようで」
あははっと能天気に笑ったそいつは僕の原稿を丈夫そうな鞄に丁寧に仕舞い込むと「あ、これお土産です」と突然僕の手にお菓子らしき甘い香りのする包みを渡す。
「甘さ控えめですが、深みのある美味しいケーキで、俺の行きつけなんです」
正直お前のいきつけとかどうでも良い。
「あぁ、貰って置く。・・・で、そろそろ帰ってくれないか」
「いやぁ、やっぱり都心から此処までくるのは大変ですねぇ。ちょっと休ませて貰っても良いですか?」
「駄目だ出ていけ」
「あ。そのケーキ、紅茶によく合うんですよ。キッチン借りても良いですか?紅茶淹れてきます」
「・・・こいつッ」
僕が許可をする前にキッチンへと小走りで向かうそいつに軽く青筋を浮かべる。
いっそのこと、ヘブンズ・ドアーであいつに『もう岸辺露伴に近づかない』と書き込んでやろうか!?
・・・そういえば、僕はあの担当にヘブンズ・ドアーを使ったことがないな。
丁度良い。日頃の鬱憤を晴らすために、あいつの恥ずかしい過去でも暴いて僕に近づけないようにしてやる。
「露伴せんせーい。紅茶、美味しく出来ましたよー」
何の疑いもなく部屋に入ってきたそいつは、トレイに乗った紅茶のカップとポットを僕に見せる。
「あぁ。そこに置いておいてくれ」
「はいはい」
ことっとそいつがトレイを置いたのを見計らって――ヘブンズ・ドアーを使った。
――・・・
「・・・・・・」
僕は軽く絶句していた。
名は名前。
性格は人前では温厚であり八方美人だが、本来は冷静であまり何かの興味を示さない。が、キレると手が出る。
T大を主席で卒業。
大手企業に入社し、エリート街道まっしぐらだと思われたが、ある日突然辞表を提出する。
無職の数年間をすごしたのち、近所の子供の読んでいた雑誌内に掲載されていた『ピンクダークの少年』を見る。
作者紹介欄を見た後、編集者への入社試験を受け合格。
持前の温厚さで部長に気に入られ、岸辺露伴の担当へ。
もう一つ担当になっている漫画家の態度に若干苛立っており、本日仮病を使った漫画家を殴り、本当に病院送りにした。
毎回のように岸辺露伴の家へ赴いているが、本当の目的は漫画ではなく岸辺露伴本人である。
名前は岸辺露伴のことが――
「・・・・・・」
僕はもう見るのを止めて『今あったことは忘れる』と書き込んでからソレを閉じた。
「・・・ん?あれ、俺何時の間に寝てたんだろ。あはは、すみませんねぇ、露伴先生」
「いや・・・別に構わない」
視線を逸らしながらそう言えば、そいつはじっと僕を見つめだした。
「あの、露伴先生」
「な、何だ・・・」
「俺、寝ぼけて先生に何か言いましたか?」
「・・・別に何も言ってない」
「じゃぁ何で顔を逸らしているんですか?」
「君には関係のないことだ」
「そうですか」
書いてあったように、そいつの目は冷静に僕を観察している。
そして、割と整っているその顔を僕に近づけたと思えば・・・
「・・・もしかして先生、俺の気持ち・・・知ってます?」
「っ!!!!な、何の話だ」
「先生ってこの先もずっと気付かないと思ってたのに・・・何かのトリックですか?不思議です」
耳元で囁かれたことに驚き、バッと僕が離れれば、にこにこと温厚そうな笑みを浮かべている彼が見えた。
「この際だから言って置きます」
彼はすっと目を細めて笑う。けれど目の奥は笑っていない。
「申し訳ありませんが、俺は漫画についてはてんで知識がありませんし、読んだことのある漫画は露伴先生の『ピンクダークの少年』ぐらいです。そんな俺があえて大御所でもある露伴先生の担当になりたいと自ら志願したかと言えば・・・」
「や、止めろ、言うな」
後ずさる僕の腰に腕を回したそいつによって抱き寄せられた。
「好きだぜ、露伴。手前のこと」
突然口が悪くなった。
〜〜〜ッ、途中で読むのを止めなければよかった!!!!
コイツの声がこんなに腰に響くなんて知らないぞっ!!!
「後数年は我慢しようと思ってたんだが・・・まさか途中で露伴が気づくなんてねぇ。嬉しい誤算だ」
にやりと笑ったそいつは僕が硬直しているのを良いことに、僕の腰や頬を撫で・・・
「〜〜〜っ!!!」
唇にキスをしてきた!!!!!
く、くそっ!いいようにされてたまるか――
「・・・露伴。俺は手前が好きだ・・・愛してる」
「っ・・・」
「愛してるんだ・・・露伴」
本当に愛おしそうにそう言ったと思えば、
「初めてだ。何かにこんなに興味を持って、こんなに好きになったのは。初めて雑誌で岸辺露伴を知った時のあの高揚・・・なぁ、今すぐ俺を好きに成れとは言わねぇよ・・・けど、すぐにその気にさせてやるからな」
甘い甘い声で紡がれた言葉。
そいつが離れた途端に僕は足の力が抜けてその場に座り込んだ。
「あ!紅茶冷めちゃいますねぇ、早くお茶にしましょう」
何時の間にかいつものそいつになっていて、僕は何が現実なのかわからなくなった。
ただ・・・
「では先生、失礼します!」
「ぁあ・・・」
「露伴先生」
「なんだ」
「・・・愛してるぜ」
「っ!?!!!?!??」
そいつが言い捨てて行った言葉に、また僕は腰を抜かしてしまった。