彼は一般人だった。
何も知らない一般人だった。
汚れてない・・・それどころか輝きさえ感じる一般人だった。
「いらっしゃいませ」
「・・・・・・」
「小さな手鏡から大きな姿見まで、数多く揃えておりますよ。どうぞゆっくりご覧になってください」
まるでミラーハウスのように数多くの鏡が配置されているこの店は見た通りのミラーショップ。
そしてその鏡の奥に居るのが店主の彼。
彼の名は店の名前の【ナマエ】とたぶん同じだと思う。
いたるところに自分の顔が映し出されてて、なるほど、これなら万引き防止のための防犯カメラなんていらないな、と思った。
店の奥のテーブルの向こう側にいる店主は、キュッ、キュッと鏡を磨いていた。
この店の鏡はどれもこれも店主の作品だ。
鏡の中に模様を入れ込んだり、縁を美しく彩ったり・・・芸術家と言っても過言ではないだろう。
この店全体が店主の展示会場と言っても良いかもしれない。
「お客様、何かお求めですか?」
俺がしばらくじっとしていたことに気付いて店主がにっこりと優しく微笑む。
この店主は一日のほとんどを鏡に囲まれて過ごしている。
あまり外には出ないが、時折外に出れば近所の鏡の点検をしたりもして、近所は親しみを込めて『鏡屋さん』なんて呼ばれているのも知ってる。
何で知ってるかって、そりゃ・・・
「・・・手鏡を」
「以前をお買い上げいただきましたね。前の手鏡は?」
「ぁっ・・・こ、壊れちまって」
俺は少しだけ下を向く。
俺のスタンドには鏡が必需品で・・・何時もは適当な場所で鏡を買っていた。
けれど少し前・・・俺はこの店の鏡と出会った。
買ったのは小さな手鏡だった。
けれど美しい手鏡だった。
店主が「その鏡は持ち主を守るのですよ」と穏やかに笑っていた気がする。
店主はスタンド使いではないけど、店主の作る鏡にはたしかに不思議な力が宿っていた。
「・・・そうですか」
自分の作った鏡が壊されたらきっと怒るだろうと思った俺だったけど、意外にもその店主はその穏やかな笑みを崩すことはなかった。
「きっと、その鏡は貴方を守って壊れたのでしょうね」
「・・・あぁ」
あの鏡は・・・たしかに俺を守って壊れた。
任務で失敗しかけて、今にも死にそうになってしまった時、あの鏡が俺のポケットからこぼれた。
小さな鏡だが、俺のスタンドには鏡の大きさは関係ない。
マンインザミラーで鏡の中に逃れ、死ぬことはなかった。
もちろんその後、リゾットにはこってり絞られたが・・・
「だから・・・またこの店で鏡を買いたくて」
「えぇ、もちろん。この店の鏡たちも、貴方に買われたがってますよ」
「ぇ・・・?」
「貴方を初めて見た時から思っていました。貴方には鏡が良く似合う」
俺のスタンドのことを知っているわけではないはずなのに、彼の口からはするすると俺と鏡について語る。
「私の鏡は、貴方に買われてきっと幸せですよ」
店主の手元にある鏡がきらりと光った。
「・・・その鏡が良い」
「これですか?」
店主がまだ出来上がったばかりの鏡を持ち上げて見せた。
俺は「そう、それ」と頷きながら店主へと近づく。
鏡に映った俺の顔は、何処となく緊張していた。
「奇遇ですね。この鏡も、貴方の手元に行きたいと言ってます」
「・・・鏡が?」
不思議な話だけど、店主の言葉はするすると俺の中に入ってくる。
店主は優しい表情で「ですから、差し上げますよ」と鏡を差し出して来た。
え?という声を上げる俺の手に、そっと鏡が収められる。
綺麗に輝いている鏡に、俺の吃驚した顔が映し出されていた。
少し狼狽する俺に、店主が微笑みかける。
「その鏡が、また貴方を守ってくれますように」
「っ・・・あぁ」
今にも赤くなってしまいそうな顔を隠し、俺は「ま、またくる」と店を出た。
その鏡を大事に抱えてアジトに戻る。
そんなに急いでどうした?とか、何顔赤くしてんだ?とかいう他の奴等の声を無視して自分の部屋に駆け込み、そっと机の上に鏡を置いた。
「ま、マンインザミラー!」
そう声を上げて、その手鏡から鏡の世界へと入る。
何時もと同じ反転世界。
けど、何だかあの店主の作った鏡に包まれているようなそんな錯覚を感じさせた。
『その鏡が、また貴方を守ってくれますように』
店主の言葉が耳から離れない。
あぁ・・・
「好きに・・・なっちまったよぉっ」
暗殺者なのに、好きになっちまった。
あの輝く店主のことだ。
「ナマエ・・・」
この鏡は、たぶん仕事には持って行けない。
だってこの鏡はあまりに美し過ぎるから。
大事に大事に持っておこう。