01
その女は自らの手で棺桶の蓋を開いた。
ふわりと浮いた棺桶の中から一歩を踏み出そうとする女に「おい!」と声を掛けるのは小さな獣。
猫のような狸のような姿をしたソレを見た女は、ぱちりと目を瞬かせた。
「そこのお前!服をよこすんだゾ!さもないと・・・」
「まぁまぁ!可愛らしい子!お洋服が欲しいのね!いいわ、いいわ!私が素敵なお洋服をあげちゃう!」
浮いた棺桶から一歩を踏み出せば、当然そこは空中。しかし女は重力など感じさせない軽やかさでその場に、空中に立つ。
そんな女の手にあるのは杖。一見すると木の棒にしか見えないが、よくよく見れば綺麗に磨かれたその杖が、女の手によってくるりとまわってきらりと輝く。するとあっと言う間に小さな獣『グリム』はその身体にぴったりの式典用ローブを纏っていた。
「ふなぁ!?俺様にぴったりなんだゾ!」
グリムが嬉しそうに声を上げると女も笑う。
ほんの数十センチ下にあった地面にゆっくりと下り立った女は「ねぇ可愛らしいあなた、此処は何処かしら?」と問う。
「そんなことも知らないのか?此処はナイトレイブンカレッジ!魔法を勉強する場所なんだゾ!」
「まぁまぁまぁ!そんな場所があるなんて、私さっぱり知らなかったわ!ねぇ可愛らしいあなた、ちょっと探検しましょうよ。きっと楽しいわ」
白く柔らかな手がグリムの頬やあごを撫で、グリムを抱きかかえようと腕を伸ばしてくる。グリムは身体がむず痒くなるのを感じた。こんなに優しい手つきで触られることが今までなかったからかもしれない。
俺様はグリムなんだゾ!ちゃんと名前で呼ぶんだゾ!と言いながら腕の中に納まったグリムに、女は「あらあら!グリムって言うのね!」と笑うと棺桶ばかりが浮かぶその会場を抜け出した。
グリムは女に対し、あまり疑問は抱かなかった。
ふわりと浮かんでいたことや、一瞬にして己の服を作り上げたこと、自分が何故此処にいるのか知らないこと・・・一つ目は棺桶が突然開いて驚いたから、二つ目は嬉しさが勝ったから、三つ目はそもそも興味がなかったから。
グリムは単純に喜び、女もそんなグリムににこにこと笑っていた。
「ふなぁ、やっぱり此処は広いんだゾ」
「あら!グリムはこの学校に詳しいの?」
「さっきの場所にたどり着くために、あちこち移動したんだゾ!だからクタクタで・・・」
「ふふっ、なら私の腕の中でゆっくりなさって。抱っこは得意よ」
温かな腕の中で優しく撫でられ続けたグリムはうっかり眠りそうになった。
「こらぁ!君たち!勝手に抜け出しちゃ駄目でしょう!」
そんなグリムの眠気を奪う怒声。びくっと身体を震わせたグリムを撫でて落ち着かせながら、女は怒声の方を見た。
顔の上半分を隠す仮面、シルクハットに羽根つきマント、個性的な格好をした男は女を見ると「さぁ行きますよ!」とその腕を掴んで引く。女は大した抵抗も見せず「あらあら」と笑っていた。
女の手首が思ったよりずっと細かったことに男は驚いたが、急いでいたため気にすることはない。
「ご存知とは思いますが、私はナイトレイブンカレッジの学園長、ディア・クロウリーです。まったく、入学早々この私に足を運ばせるなんて、今後が心配です」
「心配させてしまったのね!ごめんなさい、学園長さん」
「素直でよろしい!さぁ、着きましたよ!」
男、クロウリーが重い扉を開く。
女とグリムが抜け出す前は棺桶が浮かぶばかりで静まり返っていた会場には、現在人で溢れている。その人々の視線をものともせず、女はクロウリーに腕を引かれるままに大きな鏡の前に立った。
「あらあら学園長さん、私はどうすればいいのかしら」
「まったくもう!まだ寝ぼけているんですか?入学式なんですから、鏡で組み分けをするんですよ。さぁ、その鏡に名前を告げて」
ぱちり、と女の目が瞬いた。
「入学式?此処がそうなの?」
「そうだと言っているでしょう。さぁ名前を・・・」
きらりと女の目が煌めく。
「何てことでしょう!」
クロウリーの声を遮り、女の興奮し切った声が会場に響き渡った。
「まぁまぁ!此処は入学式会場だったのね!ということは、此処にいるのは新入生?あぁ!今日はきっとあなた達に記念すべき素敵な日なのね!ならば私からもお祝いのプレゼントをあげましょう!」
女が高らかにそう言った瞬間、薄暗く重々しい会場に楽しい音楽が鳴り響きはじめた。
「さぁさぁ!今日という素敵な日を楽しんで!」
杖がくるりと回ってきらりと輝く。音楽に誘われるように煌びやかなシャンデリアが踊り出し、どこからともなく現れた小鳥がくるくる回る。
「甘いものはお好き?お好きじゃないなら甘くないのもあるわ!」
生徒達どころか教師陣の前にまでポンっと現れるリボンが結ばれた可愛らしいロリポップ。
「おめでとう!人生は辛いことの連続だけれど、今だけはただただ楽しんで!」
女が唄って笑う。くるくる回る。シャンデリアが、小鳥が、気づけばカーテンや浮かんだ棺桶も鏡だって音楽に合わせて軽快にステップを刻む。
これをたった一人の女が操っているのだ。
物を動かす魔法はポピュラーなもの。しかし『まるで自我があるように操る』となると話が変わってくるのだ。
命なきものに命を吹き込むのと大差ない。そんな魔法が簡単なら、アジーム家が所有する魔法の絨毯のレプリカが国宝級の扱いをされるわけがない。
大昔、それこそグレートセブンが生きた時代はポピュラーだったのかもしれない。しかし現在、その魔法は行使できる者がいない失われた魔法となっている。
そんな魔法を平然と使いこなす女?楽しげに笑いながら、何もないところからロリポップを生み出す女?
クロウリーはその存在を直視し続けると自分の胃に穴があく気がした。既に胃がきりきりしている。
「ちょ、ちょっとあなた!突然何をしているんですか!」
「あらやだ私ったら!折角のお祝い事だから、ついついはしゃいでしまったわ!けれどはしゃいでしまうのも仕方ないわ!だってこんなに素敵な記念日なのだから!嬉しくて楽しいことがあるなら、歌って踊ってより一層楽しくしなくちゃ勿体ないわ!」
「何なんですかあなたは!ほら!鏡に名前を言って」
「セイラよ!私はセイラ!ただの魔女よ!」
腕の中のグリムにロリポップを与えながら笑顔で答えた女、セイラに・・・
クロウリーどころかその場にいた全員が言葉を失った。
魔女。そう、魔女と言った。
ナイトレイブンカレッジ、魔法士を育成するためのその学校は男子校であるのに。→戻る