嫌なことがあった。

 しかもひとつじゃない。いくつか続いたもんだから、苛々して仕方ない。生憎私はそんな気持ちを隠し切るような器用さを持ち合わせていない。「…なんか怒ってんすか?」恐る恐る、といった感じで聞いてきた後輩の言葉も、苛々を少しだけ加速させた。



「………赤也」
「なっ、なんすか先輩!」
「ひとつ、言っておくね」
「?」
「赤也に、怒ってるわけじゃないから」
「え…?」
「…」
「ちょっと先輩、」
「…」
「なまえ先輩ー!」




 端から見ればくだらないことばかりなのかもしれない。遅刻したとか、購買に好きなパンがなかったとか、授業で当てられた上に間違えたとか、宿題が多いとか、友達とケンカしたとか。
 時間が経てば私の苛々は収まるはずだ。けれど今ばかりは気持ちを露わにしすぎてしまって、きっと、喋れば、赤也に八つ当たりしてしまう。
だから、いま赤也は私のそばにいてはいけない。




「先輩、話聞きますよ」
「…」
「なまえ先輩ってば」
「…」
「なんか言ってください!」
「…嫌な思いしたくなかったら、私から離れて」
「はあ?」
「…」
「ちょっとー!」


 ごめんね赤也、こうする以外の方法があれば良かったけど、やっぱり私が口を開かないのが一番だ。すると口を尖らせた赤也が、ぽつりぽつりと、言った。




「…俺は先輩と喋りたいのに、どんな話でもいいから」


「なのに、先輩はいつも俺に秘密にする」


「俺は愚痴の捌け口にもなりませんか、あーそうですか!」




 …。困った。そういうつもりではなかった。別に、って弁解しようと赤也の方を向いた。すると。
 むにっ、両方からほっぺたを摘まれた。




「…」
「先輩ヘンな顔ー」
「!」
「はい怒らない怒らない」
「赤也…!」
「推測っすけど、遅刻しました?」


 え?咄嗟にそんな声が出た。どうして、って聞き返す前に、「あとはメロンパンが無かった、とか!」と、言われた。




「なんで…」
「もうひとつ当てましょうか、先輩、俺に八つ当たりしないように黙っちゃうんでしょ」


 あたりっすよね?無邪気に笑った赤也に、何も、言えなくなった。





「…」
「あ…れ?」
「…」
「せんぱ、」
「……赤也のバカ無神経」
「な!」



 必死に、必死に、守ってきた。私に八つ当たりされて傷つくだろう赤也を、ではなくて。それによって嫌な女の子って思われて嫌われてしまうかもしれない私を、だ。ああ情けない。とっくにバレてたなんて。




「まあ無神経でもいいかなあ」
「え?」
「俺、先輩から貰える言葉なら八つ当たりでも何でも、いい」
「なに言って、」
「先輩の怒りも弱音も尽きるまで聞いて、最後に言うんです」
「…」
「だいじょうぶ、って!」
「赤也…」
「先輩の色んな気持ちを希望の言葉に変えるなんて俺、かっこいいかも」



 だからあわよくば先輩の泣き顔見せてくれてもいいんすよ!なんて笑ったバカな後輩を出来るだけ強く叩いたあとにありがとうと小さく呟いて、少し、泣いた。




きみだけのつかい




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