Novel | ナノ

 
(諸泉尊奈門視点)



今日から烏丸衣織という女を監視をすることになった。組頭に定期的に報告書を作成するよう言われているので、細かく記録をつけていこうと思う。

この烏丸衣織という女は忍術学園で天女様と呼ばれているらしい。

天女の物語ならおとぎ話に疎い私でも知っている。
確か話の筋としては、美しい天女が水浴びしている間に羽衣を男が隠してしまい、天に帰れなくなった天女を連れ帰って夫婦になるものの、羽衣を見つけた天女は天に帰ってしまうという話だったはず。
その後、男が草履だかなんだかを千足編んで地面に埋めたら天まで竹が伸び、それをのぼって男は天女と再会して最後は織姫と彦星となるのだったか。

どちらかというと一寸法師や酒呑童子などのおとぎ話が好きな私にはあまり好みではない話だ。だいたい、天女も男が天まで来たことを歓迎するくらいなら最初から天に帰らなければいいじゃないか!

………話がそれてしまった。

とにかく、私が監視する女はそんな物語にちなんだ天女様などという仰々しい渾名で呼ばれているらしい。
確かに見目は良いと思うがそれだけでそんな渾名を付けられるものだろうか。

手っ取り早く監視対象である女に「なんでお前は天女様と呼ばれているんだ?」と聞いてみると「別の世界から来たからだよ」とのんびりした様子で答えられた。
私の監視対象は気狂いだったのか、と一瞬ヒヤリとしたものの、ちょうど女の部屋に贈り物とやらを持ってきていた六年生の立花仙蔵が「そうですね、それに衣織さんはとても素敵な女性ですから」と笑顔で言った。

立花仙蔵が冗談を言うとは思えないが、にわかには信じがたい話だ。

そして立花仙蔵からの贈り物である紅の入った貝殻を見た女が、いそいそと七輪と酒を出しているのも信じがたい光景だ。 

思わず横から「それは食べ物じゃないから焼くなよ」と口を出せば、女は「えっ」と呆然とした表情を浮かべたあと、同じく呆然とした表情を浮かべる立花仙蔵の方を見て「君って贈り物のセンスないんだねェ」と酷い言葉を投げかける。
人の心がないという意味ではコイツは確かに天女様なのかもしれない。

どうやら食べられる貝と勘違いしていた女は贈り物の化粧品を立花仙蔵に返品した後、すっかりやる気をなくしたように部屋の隅でゴロリと横になり言う。「チーズ蒸しパンになりたい」なんなんだお前は。

ちなみに贈り物を返品された立花仙蔵はまったく怒る素振りも見せずに「お気に召す物を差し上げられず申し訳ありません」と深々と頭を下げて去って行った。

その、まるで天上人を相手にするかのような態度に私が薄ら寒いモノを感じたのは言うまでもない。

しかしその後も部屋にやってきた忍たま、特に上級生は大半がそのようにかしこまった態度を取っていた。ひょっとして私がいるからそのような遊びでからかわれているのかと天井裏に隠れてみたが、やはり変わらず。
代わる代わるやってきては、やれ「町に出かけませんか」だの「珍しい菓子を手に入れたので一緒に食べませんか」だの「アヒルさんボートの船首飾りを返してください」だの誘いをかけていく……ってオイちょっと待て最後のは何だ。

そして、そんな誘いを全て「今チーズ蒸しパンになりたいから無理」と断る烏丸。だから何なんだよお前は!そして何か取ったなら返してやれよ、三年生の富松作兵衛が落ち込んで帰って行っちゃっただろ!

それにしてもどうしてこの女がここまで忍術学園の奴らに敬われているのか私にはさっぱり分からない。

違う世界から来たと言うのでひょっとして知識がすごいのかと思ったが、天女の世界について聞いてみても「どんだけ〜!と、はいおっぱぴー!が共通言語の世界だよ」としか答えは返ってこなかった。確信した、やっぱりコイツは気狂いだ。

ただ、気狂いである以外にもこの女が普通ではないなと感じることはあった。 

たとえばこれだけ忍たまに蝶よ花よと下にも置かない扱いをされているにも関わらず、まったく意に介していないことだ。 普通の町娘なら、こんな大名の姫もかくやという扱いをされれば誰しもが舞い上がってしまうだろう。たとえ色恋に興味がない女性でもここまで忍たま達に褒めそやされれば悪い気分にはならないはずだ。

それを、この女は歯牙にもかけずことごとく受け流している。

「これだけ忍たま達に好かれているのにお前は何とも思わないのか?」

思わず聞いてみれば、床から上半身を起こした烏丸はチラリと私を見て「へェ、これって好意だったんだ。敵意かと思ってたよ。世界が違うと色々分からんもんだね」と興味がなさそうに答える。

その時、ふと私は南蛮国では好きな女に指輪を渡して公衆の面前で婚姻を申し込むという文化があると聞いたのを思い出した。初めて聞いた時はなんてこっ恥ずかしいことをするもんだと驚いたものだ。
ひょっとすると、ここまでこの女が忍たま達をソデにするのはそういった文化の違いによるものなのだろうか?
しかしたとえ南蛮の人間でもここまでちやほやされれば自分に好意があるのだなと気付きそうなものだが。

いっそ忍たま達にお前達は何をしているのだと尋ねてみようかとも思ったが、なんとなくそれは教えてもらえない気がした。
自分でも理由は分からないが、以前とは随分雰囲気の変わってしまった忍術学園を見ていると、そんな気がしたんだ。

雰囲気が変わっていないのは七松小平太が率いる体育委員会くらいで、相変わらず「いけいけどんどん!」と叫びながら全員で走り回っている騒音がする。
何故かたまに「打倒、烏丸衣織ー!」「がんばろー!」「ばんがろー!」というかけ声も聞こえ、それを部屋の中で聞いた烏丸がイラッとした表情を浮かべていた。いったい何をしたんだコイツは。



結局、何もよく分からないまま私はこの女の日々を監視し続けた。 

天女様と敬われているので空でも飛ぶのかと思ったがそんなことはなく、道具管理主任の吉野作造のもとで小松田とともに雑用をこなしたり、食堂のおばちゃんの手伝いをしたりと様々な仕事をしている。 途中で「ちょっと男手が欲しいから手伝ってくれないか」と食堂のおばちゃんに声をかけられたので「私は今タソガレドキ忍軍の仕事中でして……」と丁重にお断りした。少し気まずかった。

食堂の裏でカッコンカッコン薪割りをしていた烏丸は(途中で「九頭龍閃!」と叫びながら木刀で薪を叩き出したので止めておいた)次に配布物の運搬を頼まれた。
どうやら授業で使う道具を風呂敷に包んで各学年に配布するらしい。出発早々「ボールは友達!」と叫びながら風呂敷を蹴って行こうとしたのでやはり止めておいた。なぜ私がここまでしなければ……?

事務室を出る前に小松田に「衣織ちゃん、それ終わったらお団子食べようねぇ」と笑顔で見送られた烏丸は、神妙な表情で「今こそ本気で仕事をするべき」と呟く。
今まで本気で仕事をしていなかったのか、と私が呆れると同時に烏丸は勢いよく走り出した。……足速いなお前ぇ!?

慌てて後ろから追いかければ、烏丸は各学年の窓に向かって走って行き大声で「お届け物でぇぇぇぇす!!」と叫ぶ。なるほど窓から受け取らせる作戦か。上手く渡すことができれば確かに時間短縮になるな。

感心していると、窓から「衣織さん?」と覗く人影が現れた。すると烏丸はその人影に向かって思い切り風呂敷を振りかぶり……オイやめろ、まさか。

「スパーキング!!」

「うぶぐッ!?」

妙なかけ声とともに勢いよく投げつけられた風呂敷はものすごい速度で飛んでいき、窓から顔を出していた人影に直撃する。そのまま倒れていく人影に後ろから慌てて駆け寄った人物が「三郎!?」と大声で叫んだ。
どうやら顔面に風呂敷を投げつけられたのは五年生の鉢屋三郎だったらしい。
顔面に風呂敷が当たる時に「ゴリッ」というおよそ人が出してはいけない音を出していた気がするが、きっと五年生、しかもあの優秀と名高い鉢屋三郎ならば上手く受け身を取っただろう。そうだ、そうに違いない、私はそう信じている。 

「僕を置いていくな三郎ーーーッ!!」

なんだか不破雷蔵の声でとてつもなく不穏なセリフが聞こえるが大丈夫なはずだ。

その後も烏丸は、六年生の教室には風呂敷をトスすることで七松小平太のアタックを誘って投入し(恐らく風呂敷の中に火薬類でも入っていたのか破裂音とともに「小平太キサマァァァァッ!」という立花仙蔵の怒声が響いた)四年生の教室では烏丸が風呂敷を投げるより前に窓から顔を出した田村三木ヱ門が「やられる前にやるッ!」と叫んで石火矢を撃とうとしたものの、それを先読みしていた烏丸にクナイを大量に投げつけられ、後ろにバッタリ倒れると同時に発射された石火矢が教室の天井に当たり、阿鼻叫喚が響くという有様だった。

下級生には流石にそこまでしないだろうと思っていれば、忍術学園で飼っている忍犬の一匹に風呂敷をくくりつけ「これを三年生の教室に届けるんだよ」と言う烏丸。忍犬はなぜか素直に烏丸の言うことを聞くと建物の中へと走り出す。
その風呂敷がウゴウゴと動いているのを私は見逃さなかった。

「…………なぁ、あの風呂敷の中、何が入ってたんだ?」

「ん?虫獣遁用の毒虫とかネズミとか」

「……………………そうか」

私はしばらくしてから三年生の教室から響いた悲鳴を聞かなかったことにした。

その後も烏丸は煙幕の調合の授業をする予定だったらしい二年生の部屋を煙幕で充満させて何も見えなくし、首実検の授業をする予定だった一年ろ組には生首フィギュアを窓からポンポン投げ入れと、とにかくあらゆる教室から悲鳴を上げさせていた。

そして最後の生首フィギュアを投げ入れたところで「よし」と何かをやり遂げたかのようにスッキリした表情で頷く。 

「いや、よしじゃなくて」

「真面目に仕事をするって気持ちがいいもんだねェ尊奈門くん。ほらみんな次の授業への期待に声を上げて喜んでるよ」

「すごいな、世界とやらが違うとここまで話が合わないものなんだな」

もうコイツ一人で忍術学園を崩壊させられるんじゃなかろうか。
あちらこちらの教室の窓から煙幕やら爆発の煙やらが上がる様を見ながら、私はコイツがタソガレドキ城の人間じゃなくて良かったと心底安堵したのだった。



そんな、傍から見ていると問題だらけの女ではあったが監視する分には烏丸はやりやすい人物だった。
こちらに我儘を言ってくるワケでもなければしなをつくるワケでもない。問題行動は多いが忍術学園がどうなろうと知ったこっちゃない私には関係がないし、妙に私と仲良くしようとしたり、逆に私のことを鬱陶しそうに扱ってくることもない。

かと言って完全に無視したり存在しない者として扱うわけでもなく、事務室に戻った烏丸は小松田にもらった団子を普通に私にも差し出してきたりする。

烏丸いわく元の世界では酒屋を営んでいたらしい(スナックお登勢やキャバクラすまいるという店に卸しているという話はよく分からなかった)が、なるほど商人をしていたならば人付き合いは必須の能力。
忍たまをあれだけ粗雑に扱う理由は分からないが、こちらが余計なことをしなければ普通の人付き合いができる奴ということか。

…………この時は、私も烏丸衣織という人間に対してそんな甘い評価をしていたのだということは追記しておく。 



「明日お休みもらったから今から町まで行こうと思うんだけど尊奈門くんも来る?」

「いや、来る?も何も私はお前について行くしかないんだが……」

荷物の運搬の件で吉野作造にたっぷりお説教されたくせに、ケロッとした表情で私に話しかけてくる烏丸。コイツは“監視”という言葉の意味を分かっているのだろうか。
それにしてもあれだけ怒鳴られたというのにヘコたれない女だ。普通の人間ならば仕事で怒られた後に休みを言い渡されれば「戦力外とみなされたのでは」と落ち込みそうなものだが、烏丸にはそう言った考えは一切ないらしい。

スタコラサッサと形容詞がつきそうな足取りで事務室を出た烏丸は、財布と木刀だけを持って意気揚々と忍術学園を出ていく。

そうして途中で野宿をはさみつつも町へ着いたのだが、組頭がこの女を「手練だ」と言っていた意味を私はようやく理解した。

烏丸が町へ着くなり、そそくさと逃げ出すならず者たち。対して町民たちは「あっ衣織ちゃんが来た!」と嬉しそうに声を上げ、どこかでちょうど喧嘩が起こったところだったらしく「こっち頼むよ!」とさも当然のように烏丸を連れて行く。

一緒に行ってみれば、齢十六は超えているくらいの男二人が道端で取っ組み合いの喧嘩をしているじゃないか。周りに野次馬は大勢いるが、止めようにもどちらの男も体格が良いためどうするか悩んでいるらしい。
みっともないな、と私が顔をしかめて見ていれば、野次馬の間をぬって中に入った烏丸は私が「危ないぞ」と言う間もなく二人の頭を掴んで互いの頭で頭突きをさせた。
容赦がなさすぎないか……!? 

「いっでぇぇぇぇッ!?」

「関係ない奴はすっこんでろよ!!」

あまりの痛みに喧嘩を中断し、地面をゴロゴロ転がった二人は怒りの矛先を烏丸の方へと向ける。そりゃ急に部外者が現れて頭突きさせられたらそうなるだろうな…。

「まぁまぁ、関係ない奴にこそ吐き出せる話ってのもあるでしょうよ。なんで喧嘩してんのか理由言ってみ?」

「だから、関係ない奴はすっこんでろって言ってんだろッ!!」

そう叫び、烏丸に向かって拳を振り上げる男の一人。同時に野次馬から恐怖の色をはらんだ悲鳴が上がる。
ここは私が庇ってやるべきなのだろうか?しかし組頭はこの女を監視しろとは言ったが守れとは言っていなかった。そもそも他人の喧嘩に割って入った烏丸の自業自得なのだから私が仲裁する義務もない。
どうするべきか思考をめぐらせていると、烏丸は振り上げられた拳をパシッと容易に掴みそのままひねって男の足を蹴り飛ばす。反動で男の体は宙に浮き、そのまま背中から地面に叩きつけられた。

わぁッ!と野次馬から上がる歓声。

もう一人の男が驚いた表情を浮かべつつ同様に烏丸に殴りかかったが、もう一人の男と同じようにあっさりと宙を舞い、また野次馬から歓声が上がった。

まるで、緊迫感のあった喧嘩がただの娯楽になったようだった。不安そうに成り行きを見守っていた町人たちも、今では笑顔を浮かべ「いいぞー!」「いよッ女剣豪!」「どうした男ども!女に負けてるぞ!」とやんややんやと囃したてている。

………こうまで一瞬で場の空気を変えてしまえるものなのか。

立ち上がっては投げ飛ばされ、飛び上がっては吹っ飛ばされと何度も地面に叩きつけられた男たちはついに体力が尽きたのか、肩で息をしながら地面にゴロリと転がる。
対して、平然とした様子でそんな男たちを木刀でツンツン突付く烏丸。

さながら組頭が部下に稽古をつけているかのような力量の差だ。
組頭がこの女のことを「手練」と言っていたのはこういう意味だったのか。

木刀で男たちを突付いていた烏丸は、もう彼らに向かってくる気がないと判断したのか木刀を自分の肩に乗せ、面倒くさそうな表情で問いかける。 

「どうせアレでしょ、男どもの喧嘩の理由なんて性癖の違いでしょ。寝取られが良いか醜女が良いかで争ってたんでしょ。それで?どっちが寝取られでどっちが醜女なの、お姉さん笑わないから正直に言ってみ?」

喧嘩の理由は絶対それじゃないだろう。

地面に転がされていた男たちもまさか性癖の話を持ち出されるとは思わなったのか、驚いた表情を浮かべて騒ぎ出した。

「なんでいきなりその二択!?どっちも性癖がとがりすぎてんだろ!?」

「俺たちにそんな性癖ねぇよッ!喧嘩の理由はコイツが急に殴りかかってきたからやり返しただけだ!」

「お前が俺のこと馬鹿にするからだろ!?」

「そんなのお前が馬鹿にされるようなこと言うからだろーがッ!」

喧々諤々。

「………うっせェェェェッ!!これ以上ガタガタ抜かすんならお前らどっちも縛り上げて性癖を緊縛プレイにすんぞゴラァ!!」

ブチギレた烏丸によって二人の間に叩きつけられた木刀がドゴォッ!という轟音を上げて土煙を上げた。

男二人もさすがにこれ以上烏丸を怒らせるのはヤバいと思ったらしく、悲鳴を上げつつ慌てて地面の上で正座をする。
それにしてもなんで烏丸は性癖の話から離れようとしないんだ。

並んで正座をした男二人。しかし彼らの喧嘩は止まる気配はなく、今度は互いににらみ合いながら口で罵り始めた。

「こ、コイツが悪いんだ!どこかの大名に取り立ててもらって出世するだなんて言って、剣の修行ばっかしてるから、だから俺は現実を見ろ、農民がそんな夢見たって馬鹿馬鹿しいだけだって言ってやったのに」

「ふーん、そうなの?」

チラリと烏丸の視線を受け、気まずそうに視線を反らす男。

そんな夢を抱いていれば笑われるのも無理はないだろう、と私は思った。
可能性があるとすれば戦でよほど名のある武将を討ち取るか、殿に気に入られるほどの何かしらの功績を上げるか。どちらにしろ成し遂げられる者は多くない夢だ。

「なんで出世したいの?」

「………お、俺の家はおふくろが病弱で貧乏だから、一旗あげて弟達にもラクさせてやりたいと思って」

まぁ、理由を聞くに悪い奴じゃないんだろうけども。 

しかし忍者としては相手の悲しい境遇を耳にすると、まず哀車の術を疑ってしまうので大変だなとは思いつつもそれ以上心を動かされることはない。それより隣に立っているオヤジがぐすぐすと泣きながら「イイ話じゃねぇか、なぁ兄ちゃん?」と話しかけてくるのが鬱陶しかった。
すまないが馴れ馴れしく肩に手を置いてくるのはやめてくれないか……。

一方、それを聞いた烏丸は「ふむ」と頷いてもう一人の男に視線を向ける。

「そりゃ馬鹿にしたら駄目だよ。君ら友達なんでしょ?もしも友が泣いているなら一緒に泣き、悩んでいる時は一緒に悩み、脱糞した時は一緒に脱糞し、そして大望を聞いたならば叶うことを信じてあげる。それこそが友達ってもんでしょうよ」

脱糞はちょっと違うんじゃないか。

しかし、そんな立身出世を目指す男に同情的だった空気は夢を馬鹿にしたという友人の一言でガラリと変わった。

「いや、コイツ剣の修行するからって農作業サボってるんだよッ!だから俺が農作業手伝ってやってんのにいつまでも現実を見やがらねぇから怒ってんの!」

「おおっと雲行きが怪しくなってきたぞ」

正座したまま隣の友人に向かって怒る男の台詞に野次馬の空気も「あっ……」という気まずいものになる。
その空気を感じ取ったのか、大望を抱いているらしい男は「いや、俺は夢を叶えるのに忙しいから……」と両手の人差し指の先を合わせながら小声で弁明を始めた。しかし言ってる内容はただのクズでしかない。
どうやら哀車の術どころかただの夢追い人の戯言だったようだ。

さすがに烏丸もコレは男の肩を持てないと判断したらしく、正座する男に呆れたような表情で説教の言葉を投げかける。

「嫌なことから逃げるために夢を使っちゃあダメじゃないの。確かに農民から大名に成り上がった豊臣秀吉って例はあるけどねェ、容易な夢じゃないことはその夢を思いついた最初から分かってたはずだよ」

烏丸の世界ではそんな立身出世をした大名がいるのか。
まあ烏丸が言う、違う世界から来たという話も眉唾物ではあるので、豊臣秀吉という大名も作り話の可能性が否定できないが。

「豊臣秀吉?」「誰それ?」という野次馬の空気は気にせず烏丸は話を続ける。 

「思い出してごらんよ、その夢を抱いた時の純粋な気持ちを。君の病弱だというお母上に良い物を食わせてやりたい、弟たちに良い服を着せてやりたい。そんな気持ちが確かにあったからこそ、君の友人も農作業を手伝ってくれてたんじゃないのかねェ」

「うぅ……はい……ッ」

「た、確かに、最初の頃は俺も一生懸命修行してたんです……ぐすっ」

烏丸の言葉を聞いて、手のひらで顔を覆ってぐすぐす泣き始める男二人。周りの野次馬たちも「うんうん」と頷いている。
そんな、そろそろこの話も終わりかなとみんなが思い始めた時だった。

「そんな当時の気持ちを思い出せるように私が一曲歌ってあげようねェ」

烏丸の一言に、野次馬の何人かの表情がサッと険しいモノに変わった。

なんだ?と私が首を傾げているうちに両手を合わせて目を閉じ「おふくろさんよ〜」と高らかに歌い出す烏丸。

───そして、歌い終わった時。

手のひらで顔をおおった漬物屋のご婦人が泣いた声で言う。

「……ぐすっ、衣織ちゃんの歌は、こう、いつ聴いても胸にくるというか、胸騒ぎがするというか、落ち着かない気分になるねぇ」

そしてそれに同調する私の隣のオヤジ。

「うん、うん。なんていうかこう、とてもこの世のモノとは思えないというか、唯一無二というか、ね……ぐすっ」

喧嘩していた男二人や、野次馬たちみんなが手のひらで顔をおおって泣いていた。

そしてその評価にフフンと鼻を鳴らし「そうでしょう、そうでしょう」と得意気な表情でうなずく烏丸。
歌でここまで人々の感情を揺さぶることができるというのは、確かにある意味稀有な才能なのかもしれない。

たいした女だ、と私は感心しつつ自分の両耳から指を抜く。

コイツめちゃくちゃ音痴だ……。 




そんなこんなで喧嘩を解決した、いやコレ解決したのか?……とにかくその場をおさめた烏丸は、その後も町をブラブラと歩いては町人たちの頼まれごとを引き受けたり話し相手になったりしていた。

喧嘩の仲裁だけでなく、屋根から雨漏りがすると聞けば板を打ち付けて応急処置をしてやったり、赤子を抱えている家の水汲みを代わりにやってやったり。
快く引き受けるというよりも「この前のツケの分頼むよ!」等と言われ、しぶしぶ引き受けるといった感じだったが。

夕食時に蕎麦屋に入れば、常連と思われる客や店主から気安く声をかけられる。
話題といえば最近の巷での流行や噂話ばかりだったが、なかには「あそこの山で山賊が出るようになった」だの「あそこの城がまた年貢を上げるらしい」だの、不穏な話題も含まれていた。
そしてそんな話題に相槌を打ち、食べ終わって出ていく常連客たちに笑顔でヒラヒラと手を振る烏丸。

同じ卓の向かい側に座る烏丸を見ながら、私は忍術学園にいる時とずいぶん態度が違うんだな、と思った。
少なくとも何度も名前を間違えたり顔面に風呂敷を叩きつけたりはしていない。

「………忍術学園の奴らに対する態度とずいぶん違うじゃないか。なんで忍たま達にはあんなに強く当たるんだ?」

店主によって運ばれてきた蕎麦を箸で掴みながら尋ねれば、ちょうど油揚げを飲み込んだばかりの烏丸はジッとこちらを見て「んー」と考え込むような素振りをする。

「そう見える?それは良くないねェ、大人として反省しなきゃだね。責任転嫁しちゃうけど忍たまの態度に思うところがあってね、ほら人は合わせ鏡って言うじゃん?」

「あれだけチヤホヤされてるのにか?合わせ鏡というならお前も忍たま達に優しくするべきだろう」

「そうは思わないよ」

ズズッと蕎麦をすすりながら、意外に烏丸はしっかりと否定した。

理由を聞いてみたがそれ以上は「私の“見”間違いかもしれないから」と言うだけでハッキリした答えは返ってこない。 

仕方なく私も蕎麦をすすりながら理由を考えてみたが、烏丸に接する忍たま達は総じて礼儀正しくかしこまっており失礼な言動をしている風には見えなかった。ひょっとして我々が考える失礼な言動と、烏丸が考える失礼な言動が異なるのだろうか。

ふと、そういえば忍たま達の持ってくる贈り物は簪や化粧小物、上等な菓子ばかりだったことを私は思い出した。まるで女が好む物はそれだと決めつけたようにそんな贈り物ばかりを持ってくるのだ。
烏丸とはまだ出会ったばかりだが、そういった趣味嗜好の人間ではないことはなんとなく分かる。ひょっとして、忍たま達のそういう言動が気に食わないのだろうか?

「まァ大人が人によって態度変えるのはダメだよね。できるだけ気を付けるよ」

「別にいいんじゃないか?大人でも合わない人間はいるだろう」

蕎麦をすすりながら私が言うと、烏丸は少し驚いたような表情で私を見る。

「嫌われてると察したら無理に近付かず距離を置くのも人付き合いには必要なことだ。ましてや忍者は人の感情を利用して取り入る任務だってあるんだぞ、お前に邪険に扱われていると気付いて接し方を変えるべきなのは忍たまどもの方だろう。もしもこれが任務なら失敗もいいところ、だ、……」

「…………………」

烏丸がジッとこちらを見ていることに気付いた私はなんとなく気まずくなって声が尻すぼみになる。
思わず狼狽えながら「なんだよ!」と声を荒げれば、烏丸は「あぁ、ごめん。なんか味方されたのが新鮮で」とよく分からないことを言いながら箸を置いた。

「変な奴だな、味方ならチヤホヤしてくれる忍たまどもがいるだろうに」

「ふふっ、君ってモテなさそうだね」

「喧嘩売ってるなら買うぞ……?」

思わず箸をバキリとへし折りながら凄めば、腹を抱えてケラケラと笑い出す烏丸。

よく笑う女だ、と思った。

せっかくの見目の良さを気にもせず大口をあけて笑う様は見ていて気に障る。
女は淑やかで上品であるべきだと思う私には烏丸の言動は見ていてみっともないと感じるものだった。味方が欲しいと思うなら大人しく座って微笑んでいればいい、女好きの男が味方してくれるはずだ。 

そんな努力もせずに笑う烏丸を見ていると無性にイライラするのだが、私はあえて何も言わずに蕎麦の汁を一気に飲み干した。

「お、いい飲みっぷり!」

手を叩いてはやし立てる烏丸を無視して私は決意を新たにする。

早くこの任務を終わらせて、タソガレドキ城に戻ろう。

組頭はこの女を「理解しろ」と言った。恐らくは忍者が敵の城主を調べるようなことをしろという意味だろう。
迷信を信じるか、弱みがあるか、何を怖がるか、何を好むか。そういうことを調べることでこちらの出方により敵がどのように動くかもある程度推測することができる。
相手がどのように動くか推測することができれば奇襲を仕掛けたり先んじて行動するなど戦では非常に役に立つ。組頭はこの女の行動を予測できるようにしたいのだろう。

確かに突飛な行動をする女だが、どこかに限界があるはずだ。人間の言動なんて結局は今までソイツが経験してきたこと以上のことはできないのだから。

そう決意しつつドンッ!と蕎麦のお椀を置いた私にのんびりと「食べ終わった?じゃあ行こっか」と声をかけてくる烏丸。

「行く?もう日が暮れるぞ、忍術学園に帰るの間違いじゃないのか」

「なに言ってんの尊奈門くん。むしろここからが本番じゃないの」

「はぁ?」

なにか夕刻から始まる見世物でもあるのだろうか?と首を傾げつつ烏丸の後を追いかけて行けばどんどん町から外れて行き、しまいには人気のない場所に出る。
そして目の前に現れたのは明らかに町人が住んでるようには見えない怪しい屋敷。中からは「さあさあ張った張った!」と騒がしい声が聞こえてくる。

おい、コレまさか。

「ふっふっふ、今日こそ丁で今までの負けを全部取り返してやる!!」

「賭博かよッ!?お前わざわざ忍術学園から来たのはコレのためだったのか!」

決意を新たにした瞬間いきなり予測できない言動をされてしまった……!

「私はねェ、気付いたんだよ。何もない穏やかな日常。そんな日々の中に本当の幸せがあるってことに。つまり最近平穏な日々が続いている私はツイてるに違いない」

「自分で平穏をブチ壊しにいってるだけじゃないのかそれは」 

私の指摘にも耳を貸さず、屋敷の前で腕を組んで仁王立ちした烏丸は今までで一番真剣な表情を浮かべ、叫んだ。

「今日こそ今までの負けを全て取り戻せるような気がする!ここが勝負どころ、今までの負け分を担保に全て賭けてやる!闇に降り立った天才烏丸衣織、突撃ぃぃぃッ!」

「あっ、おい!?」

意気揚々と賭場に入って行く烏丸をどうすることもできずに見送る私。仕方なく中に入って後ろから見ていれば、壺振り師の女が壺を振るのに合わせて烏丸は「丁!」と勢いよく叫んだ。

そして、結果は。

「結果出ました。半!!」

見事な負けっぷりだった……。

全財産に加えて今までの負け分まで賭けたくせに、見事に丁半をハズした烏丸は「アカギの嘘つき!死ねば助かるって言ったのにアカギの嘘つき!」とワケの分からないことを叫びながら床に突っ伏す。

そんな悲壮感など全く気にせず「回収ー!」と叫ぶ壺振り師の女。
その声に呼応してどやどやと賭場に入ってきた男どもに烏丸はあっという間に簀巻きにされてヒョイと抱えあげられる。
死んだ目をした烏丸は、最後に私にこう言い残して運ばれて行ったのだった。

「尊奈門くん、私は今から山賊に身売りされちゃうらしいから吉野先生に明日もお休みいただきますって言っといてね……」

「ええ……」 





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(予測ができなさすぎる)


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