「はぁ……」
小平太くんが去ってしまったことにより滝夜叉丸くんを医務室まで運ばざるを得なくなった私は、のろのろと歩きながら重たい溜息を吐いた。
正直、私も滝夜叉丸くんを放置して学園内に戻りたかったのだが、門の中からひょっこり顔を覗かせた小松田くんに見られてしまったことでそれは叶わず。最後の抵抗とばかりに滝夜叉丸くんはお昼寝中なんだよという体で誤魔化そうとしたのだが、いくらへっぽこ事務員の小松田くん相手でもこの言い訳は苦しかったらしく「冗談言ってないで早く医務室に運んであげないと。ほら早く入門表にサインして」とせっつかれただけだった。
ちなみに小松田くんは私が入門表にサインをするなり満足気な表情で立ち去って行ってしまったのだが、せめて医務室まで運ぶの手伝おうか?という申し出の一言くらい欲しかったなぁと思う。あのマニュアル小僧、今度会ったらどうしてくれようか。
いまだ目覚める様子のない滝夜叉丸くんを右肩に担いでずるずる引きずりながら歩く私。こういう時こそ普段やけに付きまとってくる六年生や五年生に出て来て欲しいというのに、まるで狙ったように姿を見せやしないときた。私の伊作くん以外の忍たま上級生に対する好感度は下がる一方だ。あぁ、そういえば小平太くんも六年生だったっけ。もうやだ。アイツやだ。
「………ん?」
そんな、すっかりテンションの下がりきっていた私の目に飛び込んできたのはある一人の忍たまだった。
「てやー!たーっ!」
そこにいたのは、こちらに背を向けて木に吊り下げた丸太を木刀でかっこんかっこん叩いている忍たま一年生。本人は真剣なのだろうが、どうにも彼の気合いの声が可愛らしく聞こえて気になってしまう。なんとなく眺めていればその一年生はタイミングを見誤ったのか跳ね返った丸太に顔を殴られて地に沈んだ。
「ぷっ」
私の吹き出す声が聞こえたらしい彼が尻餅をついたままこちらを振り返った。
「あ、衣織さん」
「やァ。えーっと、き、きん……たま」
「金吾です。皆本金吾」
「そうそうそんな感じの名前くん。今日も剣術の修業がんばってるね」
「今なんて言おうとしたんですか?」と尋ねてくる金吾くんをスルーし、そうだそういえばそんな名前だったと私は頷いた。乱太郎くんやきり丸くんと同じ一年は組の生徒で、武士である父の方針により忍術学園に途中入学したのだと紹介された記憶がある。私も侍なんだよおそろいだねと返したら何故か微妙な表情をされたけど。照れてたのかな。
「ところで衣織さん。衣織さんが肩に抱えてるソレって、ひょっとして滝夜叉丸先輩じゃ……」
「ひょっとしなくとも滝夜叉丸くんだよ。ほら滝夜叉丸くん、せっかく可愛い後輩が声をかけてくれたんだからちゃんと挨拶しなさいな。……やぁ金吾!ぼく滝夜叉丸だよ、ハハッ!(裏声)」
「あの、滝夜叉丸先輩のキャラをまだよく分かっておられないのなら、無理はされない方が良いかと……」
「………うん、ごめんね金吾くん。無茶振りして」
肩に担いでいだ滝夜叉丸くんをゆらゆら揺らしつつ某夢の国のネズミーのように挨拶してみたのだが、金吾くんから返って来たのはとても気まずそうな反応だけだった。冗談言う時も命がけでやれと銀ちゃんに言われている私としては非情にしょっぱい気持ちになる。これが人生最後のジョークになったらどうしよう。
「滝夜叉丸先輩は一体どうされたんですか?」
「いやァ、山へ行ったら運悪く落とし穴にはまっちゃってね。まったく、穴が大好きな年頃なのは分かるけど時と場所を考えて欲しいもんだよ」
「穴が好きなのは綾部先輩ですよ?」
「男はみんな穴が好きなんだよ」
「…………?」
これくらいの年齢の子にはまだ通じないボケだったらしい。なんだかほっこりした気分になった私は無言で金吾くんの頭をなでまくってやった。女性週刊誌からスポンジのように知識を吸収している神楽ちゃんや住んでるところからしてアレな晴太君と比べれば、この学園の子供は随分と純粋なものだ。
「ところで金吾くん、剣の修行するくらい暇してるなら滝夜叉丸くんを医務室まで運ぶの手伝ってよ」
「え〜…」
元服も近い、それも忍術の修行で筋肉を付けた重たい子供を引きずる労力をもう使いたくなかった私は、とても暇をもてあましている金吾くんに滝夜叉丸くんを押し付けようと試みた。けれど返ってきたのは何とも微妙な反応。嫌そうに顔を歪めて後ずさる金吾くんときたら後輩の鑑そのものである。
「なんだいなんだい、侍のくせに乙女の頼みを断るたァ金吾くんも情けない男になっちまったもんだねェ。今まで君は何のために剣の修行をしてたんだい、やる気がないならやめちまいな。アンタって子は何やらせても中途半端なんだからホントにもォォォ」
「なんで途中から母上口調になってるんですか。僕だって本当に困ってる人が相手なら手伝いますよ。でもよりにもよって相手が衣織さんだし」
「教育的指導!」
「いだーっ!!」
ゴツン、という鈍い音が響くと同時に頭をおさえてうずくまる金吾くん。いくらかぶき町の聖女と名高い衣織さんといえども今の発言は許せないぞ。
「ほら、こうやってすぐ殴るし意地悪するから嫌なんですよ!」うずくまったまま涙目で見上げてくる金吾くんの言葉に私は反論した。「バカ言わないでよ、いつ私がそんなことしたっていうの」「まさにたった今、僕のことを殴ったじゃないですかー!」「……あれ、本当だ!?」なんてことだ、私はすぐ殴るし意地悪するような人間だったらしい。いやはや新たな発見である。まァそんなことはどうでも良いとして。
「とにかく滝夜叉丸くんのこと引き取って医務室に放り込んどいてよ。衣織さんはそろそろ滝夜叉丸くんとはお別れして賭博へ行かなければならないので」
「えぇぇぇ、さっきまでは手伝うだけで良かったのに僕が全面的にやらなきゃならない流れになってるし……。そもそもムリですよ、僕一人で滝夜叉丸先輩を運ぶなんて。衣織さん、山からここまで滝夜叉丸先輩を運ぶことができたのであれば、医務室まで運んでも変わらないと思いますよ」
「何言ってんの金吾くんってば。いくら大人でもねェ、できることとできないことがあるんだよ。私みたいな細腕のか弱い乙女が滝夜叉くんを抱えて山から下りられるワケないじゃないの」
「じゃあどうやって滝夜叉丸先輩を抱えて忍術学園まで戻ってこられたんですか?」
「それは七松コノヤローが………あ」
「え?」
やべっ。
小平太くんの名前を出しかけた私は、先ほど彼と交わした約束を思い出して即座に口を閉じた。けれど発した言葉はバッチリ金吾くんの耳に届いてしまったようで、驚いたように目を見開いた彼は「七松先輩が……?」と私の言葉を反芻する。いつもは妙な聞き間違いばっかしてるのに、何でこういう時だけちゃんと聞き取っちゃうんだろうね。
「七松先輩が、滝夜叉丸先輩をここまで運ばれたんですか?」
「いやいやいやいや、違うって、それは、あの、違うんだって」
「でも今、七松先輩って、」
「いやいやいやいやいやいや、言ってないよ言ってないよ、今のはその、七松コノヤローじゃなくて、あのマツコの野望って言っただけで」
「どのマツコですか」
金吾くんからの冷めた視線から逃げようと、私は思いきり顔をそらして誤魔化すようにお得意の口笛を吹いて「衣織さん、ちっとも吹けてないですよ。空気の音しかしてないです」うるせェ!
しばらくそんな感じで押し問答を繰り返していた金吾くんと私だったが、それは金吾くんが疲れたように溜息を吐いたことによって終わりを迎えた。
「分かりました。これ以上は何も聞きません。滝夜叉丸先輩を運ぶのも、手伝います」
「え、マジで?」
「でも僕一人じゃ運べないので、衣織さんもちゃんと運んでくださいね?」
「わーいありがとう!いやァ本当にこのゴミ……じゃねェや、滝夜叉丸くんをどうしようか困ってたから助かるよ。いよっ、金吾くんてば男前ー!」
「ゴ、ゴミ……?」
私に抱き着かれつつ頭をなでくりまわされている金吾くんから聞こえてきたのはため息交じりの「本当に何考えてるか分かんない人なんだから。調子くるうよ、もう」という愚痴のような言葉だった。
「じゃ、金吾くんは滝夜叉丸くんの頭の方を担いでね。わたしは足の方を担ぐから、電車ごっこの要領で運ぼうね」
「分かりました。それじゃあ「せーの!」で持ち上げましょうね。いきますよ、せー…」
「せーの!」
果たしてそれは、私と金吾くんのどちらが悪かったのだろう。
金吾くんは自分の合図で動き出すと思っており、私は金吾くんの台詞は私が合図を出せという意味なのだなと思って掛け声をかけた。
結果、バラバラなタイミングで持ち上げようとしたことにより滝夜叉丸くんの体はバランスを崩し、大きく上に振り上げた私の手から滝夜叉丸くんの足がすっぽ抜ける。
そしてそのままの勢いでゴロゴロと転がっていく滝夜叉丸くんの体。
遠心力で勢いのついた体は、私と金吾くんが見てる目の前で、そのまま池の中へと水飛沫を上げて沈んでいったのだった。
「「……………………」」
えらいこっちゃ。