食堂を出たものの、どういうわけだか崖から落ちそうになっている忍たまも山賊に襲われている忍たまも命の危機に瀕している忍たまも見付けられなかった私。
おっかしいなぁと思ったものの、見つからないものはしょうがない。仕方なく作戦変更した私はそれなら困っている忍たまの方から私のところへ来てもらおうじゃないかと、そこら辺の倉庫から拝借した旗に『万事屋衣織ちゃん』と書き、背中にしょって待つことに。
そして、待つこと数十分。
「何で誰も来ないんだろう。ねェ伏木蔵くん」
「衣織さんはスリルな人だから……」
運動場の隅で三角座りをしたまま、私は隣で同じように座っている伏木蔵くんに話しかけた。
背中に旗をしょって数十分待ったものの、得られた収穫は『万事屋』という文言を雑用係と勘違いした野村さんに用事を押し付けられそうになったことと、どうしてだか伏木蔵くんに懐かれてしまったことくらいである。ちなみに野村さんの用事は丁重にお断りさせていただいた。
はて何がいけないのやら?と首を傾げる私。元の世界じゃ酒屋を営んでいたので商売の経験も知識もいくらかはあるというのに。やはり世界が異なると、そこら辺の商売の感覚も違ってきてしまうのだろうか。
「ところで伏木蔵くんは何でさっきから私の後ろにくっついてくるのかね」
「だって衣織さんと一緒にいるとすっごいスリルが味わえるもの」
「人の生き様を玩具みたいに言うんじゃないよ」
軽く小突く真似をすれば「きゃーっ」と言いながら楽しそうに頭を手で隠す伏木蔵くん。まったくもって平和である。いかん、いかんぞ、私は困っている忍たまを助けて吉野先生に自分を見直してもらわなきゃならんのだぞ。ほのぼのしちゃってる暇はないんだぞ。
そう思いつつも、小突く真似をしていたはずの私の手は伏木蔵くんの頭をなでくりまわしてしまっていた。伏木蔵くん、恐ろしい子。
それにしても一向に忍たまが訪れる気配がないとはどういうことなのか。たまに遠くの方を歩いている忍たまが「あれ、作法委員会の旗じゃないか?誰か立花先輩呼んで来いよ」だの「万事屋って何?」だの話しているのは聞こえてくるのだが、誰も近づいてくる様子は一切ない。土井さんなんか私の姿を見るなりクルッと体を反転させて去って行ったからね。まったく、どいつもこいつも恥ずかしがりやさんなんだから。
「ビラでも配った方が良いのかなァ。でもあまり大っぴらに動くと吉野先生に怒られちゃいそうだしなァ」
「なんだか大変そう〜」
「本当にね、大人って大変なんだよ伏木蔵くん。君もそのうち大人になるんだから、せいぜい今のうちに人生を楽しんでおくんだよ」
「衣織さんはもうお年を召されてらっしゃいますもんね」
「殴るぞクソガキ」
「ごめんなさい……」
女性に年齢の話は禁句です。
伏木蔵くんととりとめのない話をしながら忍たまを待つ私たち。途中で伏木蔵くんと同じ組だという、平太やら孫次郎やら怪士丸やらという子が近付いてきたりもしたのだが、話を聞いてみても特に命の危機に瀕しているというわけではなかったので後は無視しておいた。
それにしても伏木蔵くんといい、一年ろ組の生徒はどうしてみんな顔色の悪い生徒ばかりなんだろう。伏木蔵くんに尋ねてみたところ、なんでも斜堂さんの影響らしい。先生の気質が生徒に影響するなんて。私、松陽先生で良かった。
松陽先生の偉大さを再確認しつつ、並んで三角座りしたまま困っている忍たまが来るのを待つ私と伏木蔵くん。その時、ふと気になることが浮かんだ私は伏木蔵くんに尋ねてみた。
「伏木蔵くんは困ってることとかないの?」
「困ってること?」
「うん。出来れば私がちゃっちゃと解決できて、その労力の割に吉野先生の評価がうなぎ上りになりそうな程度の困ってること」
「わぁ、難しい要求」
しばらく首を傾げたものの、ふるふると首を横に振る伏木蔵くん。
「保健委員会の先輩方はみんな優しいし、一年ろ組のみんなとも仲良しだし、斜堂先生は潔癖症で授業が進まないけど優しいし」
「幸福自慢されちゃったよ。まいったねこりゃ」
「……あ、でも他の委員会の友達は困ってるかも」
「うん?他の委員会?」
保健委員会だけじゃなかったのか、と反応した私に伏木蔵くんは丁寧に説明してくれた。なんでも、この学園には9つの委員会があるらしい。保健委員会とか作法委員会とかは忍者になるには大切な経験なんだろうなぁと思えるが、中には学級委員長委員会とかいう何の為に存在するのか分からない委員会もあった。どう聞いてもサボりたい奴がいく委員会だろ、それ…。
「それで、どの委員会のお友達が困ってるって?」
「僕もよく分からないから明確には言えないんですけど」
「言えないんだ……」
「ちょっと前にほとんどの先輩方がすっごく怖くなった時期があって。どの先輩方も謝ってくれたんですけど、それからみんな、まだ先輩方のことを怖がってる気がするんです」
「……へェ。集団ヒステリーでも起こしてたのかねェ。伊作くんは怖くならなかったんだ?」
「伊作先輩は優しかったですよー。委員会には来なくなっちゃったけど」
「優しい云々の問題じゃないよね、ソレ」
まさかの伊作くんサボり魔疑惑浮上。優しいだけの男はダメよなんて言葉をよく聞くが、伊作くんもそのタイプだったのだろうか。
「それにしても、何でみんな怖くなっちゃったんだろうねェ」
伊作くんの意外な一面に微妙な気分になりつつ、私は伏木蔵くんから聞いた話に頭を捻らせた。この学園に滞在して数週間。それなりに生徒たちや教職員の性質を把握しているつもりだが、そのような集団ヒステリーを起こす輩だとは、どうにも思えない。
ましてやここは忍者を養成する学校だ。腹に一物や二物抱えていることはあろうとも、それを表立って露わにするような真似を彼らがするだろうか。
「その理由は、きっと天女様が―――」
考え込む私に、伏木蔵くんが口を開いた。
……瞬間だった。
「どーーーんっ!!」
「ぎゃあァァァッ!?なんか地面からわいてきやがったァァァッ!!」
なんだなんだ、敵襲かっ!?
いきなり目の前の地面からウルトラマンのごとき勢いで現れた、深緑色の制服に身を包んだ少年。つまり伊作くんや仙蔵くんと同じ六年生か。顔も名前も見覚えのないソイツは、近くに私がいることに気付くと地面の中から上半身を出した状態のまま気安い笑顔を向けてくる。
「ん?なんだ、天女様じゃないか!」
その挨拶を聞いた私は、反射的に少年の頭をガシッと片手で掴んでいた。
「うふふ、やだなァもう数週間も経つってのに未だにその呼称で私を呼ぶクソガキがいるなんて。この軽い頭には何も詰まってないのかねェ?」
お妙ちゃんばりのアイアンクローをかましながら少年の頭をガクガク揺らしてやれば「いたたたたっ」という声が手の平の中から聞こえてくる。しかし指の中から見える彼の口元は笑顔のまま。大して堪えている様子は見受けられない。なんだコイツ、男版神楽ちゃんか。
なんだか気持ち悪かったので手を離してやれば、先程と何ら変わりない笑顔を浮かべた少年は後ろ頭をかきながら私に頭を下げた。
「いやぁ、すまんすまん。ついうっかりお前の呼び方のことを忘れてしまっていてな。悪気はないんだ、許してくれ」
「ねェ君、敬語って知ってる?」
失礼に失礼を重ねてきやがったよコイツ。もう失礼のサンドイッチが出来るレベルの重ねっぷりだよチクショー。
「ところで君は誰?わざわざこんな地面から私に近付いてくるなんて何かのっぴきならない用事でもあるの?」
「衣織さん、この人は七松小平太先輩といって体育委員会の委員長をされている方ですよー。あと、地面から現れたのは趣味の塹壕掘りをしていただけで衣織さんに用事があったわけじゃないと思います」
「なるほど、典型的な体力馬鹿なわけだ」
私の背後に隠れていた伏木蔵くんの紹介に、伊作くんからもらった似顔絵集を取り出した私は小平太くんという彼の似顔絵に筆で「安易なキャラ作り」と書いておいた。まったく、語尾に『アル』をつければ良いと思ってるどこぞの腹ペコチャイナ娘並に安易なキャラ作りをしおってからに。
「ところで天女……じゃなくて衣織さんは何をしてるんだ?万事屋?」
『天女様』と言いかけた瞬間に小平太くんを上から踏みつける真似をした私は、ちゃんと名前で呼んだ彼に免じて笑顔で足を戻す。伏木蔵くんが背後で「やっぱり衣織さんってすっごいスリルぅ〜」と嬉しそうに呟いていたけど、見世物じゃないんだよ伏木蔵くん。
「実はかくかくしかじかでして……」
「なるほど、吉野先生に見直してもらうために困っている忍たまの依頼を受け付けている最中なんだな!」
「前々から思ってたけどこの世界は便利で良いね」
一体コイツらの意思疎通能力はどうなってるんだろう。私が彼らに『かくかくしかじかで』なんて言われてもサッパリポンなのに。
「そういうわけで困ってる忍たまを待ってるんだけどね。待てど暮せど誰も来ないんだよね。もう他人の幸せが憎らしくなってきちゃったよ私」
「みんな不幸になれば良いのに」と呟けば、カラカラ笑いながら「衣織さんは面白い冗談を言うんだな!」と返してくる小平太くん。冗談じゃなくて本気の発言だったのに、どういうことなの……。
「そうだ、小平太くんは何か困ってることとかないの?出来れば私が簡単に解決できて、おまけに吉野先生の評価がうなぎ上りしそうな案件をもってきてくれたら嬉しいんだけど」
「やる気があるのかないのか分からん要求だなぁ」
少し呆れた様子でそう言ってから、しばらく宙を見つめる小平太くん。「困ってることかぁ」と呟く彼の顔を三角座りのまま眺めていれば、視線を戻した彼とふいに目が合った。瞬間、睨まれたような、気が、した。
「……今、ひょっとして私に殺気を向けた?」
「殺気?何のことだ?」
きょとんとした顔を浮かべている小平太くんからは、嘘を吐いている気配は見られない。気のせい、だったのだろうか。おっかしいなぁ、攘夷戦争を経験してからというもの殺気だけはどんなに小さくても感じ取れていたはずなのに。私の感覚も鈍ってしまったのだろうか。
「困っていることならあったぞ」
奇妙な感覚に苛まれている私を引き戻すように、声を発した小平太くん。
今しがた感じた殺気のことも忘れて「え、マジで?」と尋ねれば「おう!」という何とも元気の良い返事が返ってくる。ちょっと困ってる割には元気すぎるんじゃないですかね君は。
「許してもらいたいことがあるんだが、どうすれば良いのか分からなくて、ずっと困っている」
「ふーん、喧嘩でもしちゃったのかねェ?」
なんだ子供の喧嘩か、と拍子抜けしつつも詳細を聞く私。どうせアレだろ、さっきみたいに地面から飛び出したら級友を殴り飛ばしちゃったとかだろ。
「いや、喧嘩じゃなくてな。一方的に後輩を殴ってしまったんだ。それも私の非を責められたからという、自分勝手な理由で」
小平太くんはそう言うと、私の背中に張り付いていた伏木蔵くんの方を見てニカッと明るい笑みを浮かべた。
明るいはずなのに、どこか寂しそうな笑顔だった。
「お前の先輩は、優しくて良かったな」
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(許して欲しいという気持ちさえ自分勝手なのに)(そんな感情を抱く自分が、何より許せない)