Novel | ナノ

「……尊奈門。今回の戦っていつ終わるのかな」

「はあ?」

木の上で竹筒から雑炊をすすりつつ、私は傍に控えていた諸泉尊奈門に愚痴のような言葉を漏らした。

「何を言ってるんですか組頭、今回の戦はまだ準備も整っていない段階だというのに。らしくもない」

「うーん」

らしくない。確かに戦について、つまりは己が仕える殿の行いについて苦言を呈するような真似をするなど、普段の私では考えられない行為だろう。忍びとして粛々と任務をこなし、城のために奉仕するのが私の本分。今だって合戦場となる予定の平地にて部下に地形の調査をさせている真っ最中だ。

しかしながら、今回は。

「忍術学園に何か気になることでも?」

私の視線に気づいたらしい尊奈門が、怪訝な表情を浮かべて問う。恐らく私の見ている方角に忍術学園があることから推測したに違いない。竹筒から雑炊をズズッと吸い上げながら私は「まあね」と相槌だけを返した。

「そこまで気になるというのなら私が調べておきますが……。組頭がここを離れるわけにはいきませんが、私なら問題はないですし」

「その申し出はありがたいんだけどね、尊奈門が行っても調べるのは難しいんじゃないかな」

「んなっ!?」

途端に「たかが忍術学園内のことを調べるのが難しいなんて」だの「組頭は私が忍たまに後れを取るとでも思っているのですか」などと騒ぎ出す尊奈門。その喧騒を聞き流しながら、私は中身を飲みほした竹筒を懐にしまい、改めて忍術学園の方角へ視線を向ける。べつに私は尊奈門の力量が忍術学園の生徒より劣っているなどとは考えていない。考えていないけど、でも君、土井先生に会ったら調査のことなんて忘れて勝負しようとするんじゃないの。

それに尊奈門でなくとも調べるのは難しいだろう。私が知りたいのは忍術学園の戦力や見取り図といった、目に見える情報ではない。生徒たちが口を閉ざしてしまえばそれだけで外部の者には一切分からなくなってしまうような、そんな不確かな情報。―――天女と呼ばれる存在について。

(衣織ちゃんっていったっけ。懐柔しやすそうな子ではあったけど)

ああいう性質の人間は、忍者からしてみればとても助かる存在だ。上手くこちらを信用させることさえできれば、まるで手の平の上で踊るかのごとく意のままに動いてくれる。

彼女を通じて忍術学園の事情を探り、そしてもしもあの学園で起こっていることが私の予想通りだったならば。その時は、あの忍者としては珍しい気質を持つ子供らのために動いてやるのもやぶさかではない。

ただ一つ、不安要素があるとすれば―――。

「………大人しくしててくれるかなぁ、あの子」

ずいぶんと突飛な言動をする子だった。願わくば日常生活では大人しくして、状況を悪化させるなどということがなければ良いのだけれど。そもそもあの子は私のことをちゃんと覚えてくれているのだろうか。牽制の意も含めて殺気を放ったというのに、なんか次に会った時に『はじめまして』とか言われそうな気がして不安になってきたよ。

「ねぇ尊奈門、私が初対面の相手に殺気を向けたとして、その相手が次に会ったとき私のことを忘れているって可能性はあるかな」

「……先ほどから話の流れが見えませんが、とりあえず言わせてもらうと組頭に殺気を向けられて忘れられるような輩がいるとは思えません。そもそも組頭の容姿自体が一目見れば忘れられないものですし」

「だよねー」

うん、確かに尊奈門の言うことは一理ある。容姿についても、普通の者ならば包帯を巻いている人物ということで容易に印象付けることができるだろう。流石に忘れられているかもしれないというのは杞憂だったか。

「………ところで組頭。いい加減に横座りはやめてください」

「やだ」

がっくりと肩を落とした尊奈門は無視し、私は次に忍術学園へ行けるのはいつになるのだろうかと思案する。

今頃、あの何も知らない天女様は何をしてるんだろうね。



―――同時刻、忍術学園の事務室にて。

「だから、何で余計なことをするんですか烏丸さんは!私は貼り紙を作ってくださいと言ったんですよ!?それなのにどうして忍者文字を使ったり棒に巻き付けなきゃ読めない文章にしたりしちゃうんですか!」

事務室に響き渡った吉野先生の怒声に、私は即座に神妙な顔を取りつくろって俯いた。はて、どうして私はこんなに怒られているんだろう?

吉野先生に「古くなった貼り紙を新しくしたいので、同じ内容のものを作ってください」と頼まれたのがつい先刻のこと。仕事には全力で取り組むのがモットーの私は素晴らしい貼り紙を制作してやろうじゃないかとしこしこ頑張ったというのに、どうにも吉野先生はそれがお気に召さなかったらしい。

「本当に何なんですかこれ!?棒に巻き付けなきゃ読めない上に、それがさらに忍者文字になってて、それを解読して指定された場所に行かないと貼り紙の内容が分からないって……!」

「あ、それ一番の自信作なんですよ。忍者としての訓練もしつつ、貼り紙に書かれたありがたい標語を学ぶことができる。一石二鳥ですね」

「烏丸さん、貼り紙の意味をもう一度よーく考えてみてください。貼り紙というのは適材適所にふさわしい注意書きを示すことに意味があるんです。そうすることで生徒たちが廊下で走らないようにしたり厠の後は手を洗うよう意識づけるんです。なのにそれを隠しちゃったら意味がないでしょうが」

「甘いですねェ吉野先生。世の中ってのは貼り紙みたいにわざわざ注意してくれる人ばかりじゃないんですよ?貼り紙なんかに頼ってちゃいつまでたっても一人前にはなれませんよ?まったく、そうやって甘やかすから最近の若者はなんでも大人が教えてくれると思っちゃって。あーあー、この国の未来は一体どうなっちまうんでしょうねェ!」

「きっと烏丸さんの周りには貼り紙のように注意してくれる大人が一人もいなかったから、そんないい加減な人間になってしまったんでしょうね!」

なんだとう!

わざわざ両手を口の横に当ててこの国に対する憂いを叫んでいた私は、吉野先生の物言いにキッと鋭い視線を向ける。私だけならともかく、松陽先生のことまで馬鹿にするようなことを言われたとあっちゃ仏の衣織さんといえども黙っているわけにはいかないぞ。

どうにかして今の台詞を撤回させなければ、と意気込んだ私は腕まくりをしながら鼻息荒く吉野先生に向き直った。同時に頭の中にポンと現れた松陽先生も、私のことを応援してくださって『…………』あれ?なんで何も言ってくれないんですか松陽先生!先生ぇぇぇ!

「待ってください吉野先生!衣織ちゃんも悪気があったわけじゃないんです!」

「こ、小松田くん……」

そんな、一触即発の雰囲気だった私と吉野先生の間にバッ!と割り込んできたのは小松田くんだった。

きっと先輩風を吹かしているんだろうけど、何にしろ庇ってもらえるのはありがたい。最近はいつの間にか衣織さん呼びから衣織ちゃん呼びになってるし、なんかコイツ馴れ馴れしくね?え、ひょっとして私ナメられてね?とか疑ったりしちゃってゴメンね小松田くん。これからもよろしくね小松田くん。

一方、吉野先生といえば私と小松田くんの友情に感動もせず、ただ呆れたように深い溜息を吐いただけだった。

「あのねぇ……そもそも小松田くんが烏丸さんに色々な知識を教えるのも原因の一つなんですよ?悪い意味で有言実行なんですから烏丸さんは。忍術を教えるのも止めなさいと、私は以前から君に言ってるでしょうに」

「待ってください吉野先生!小松田くんは今回の件に関しては何も悪くないはずです!全ては、全ては私一人の責任なんです……!」

「衣織ちゃん……ッ!!」

先ほど小松田くんがそうしたように、吉野先生の前に両腕を広げてバッ!と壁を作る私。ちなみに私の後ろでは小松田くんがやはり先ほどの私と同じように感動したような表情を浮かべている。

「衣織ちゃん、後輩の君が僕を庇ってくれるなんて」

「なに言ってるのさ小松田くん。先輩の君にはいつも世話になってるんだから、これぐらいなんてことないよ」

肩越しに振り返りながらフッとほほ笑んだ私に、小松田くんはうるりと目を潤ませていた。やっべー、今の私超カッケー。

「………あのですね、もちろん今回の件の責任は烏丸さんにあるんですけどね」

「衣織ちゃん一人を責めるのはやめてください吉野先生ッ!」

静かに口を開いた吉野先生に反応して、またもや私の前にバッ!と飛び出して壁を作る小松田くん。

「いや、ですからね?それを踏まえた上で私は小松田くんへの指導を」

「いーえ吉野先生、罪を背負うべきはこの私!だから、だからどうか小松田くんのことだけは見逃してください!」

「だからですね、」

「いいや僕にも責任がッ!」

「いやいやいや……!」

「…………………いい加減にしなさーいッ!!」

吉野先生がキレた。

「何なんですか、打ち合わせでもしてるんですか君たちは!?さっきから交互に私の視界に入ってきて鬱陶しいッ!!」

「打ち合わせだなんて、そんな……。でも吉野先生にそう見えるくらい、私と小松田くんの息がピッタリだったってことですよね」

「いやぁ、なんだか照れちゃうね衣織ちゃん。あっ、ひょっとしたら僕たち双忍になれるかもッ!?」

「「あはははは!」」

仲良きことは美しきかな。小松田くんは照れたように後ろ頭をかきながら、そして私はそんな彼の肩をバンバン叩きながら朗らかに笑い合う。ちなみに内心ではこんなドジっ子と双忍とか勘弁してくださいと思ってるのは秘密。私、まだ死にたくはないので……。

そんな私たちの前では吉野先生がブルブルと震えながら「本当にもぉぉぉこの二人ときたらもぉぉぉ」と唸っている。なんとその目には涙すら浮かんでいるじゃないか。吉野先生、可哀想。

「………仕事禁止です」

「えっ?」

土井さんといい、この世界の成人男性は涙もろい人が多いんだなぁと考えていた私に何の前触れもなく放たれたのは吉野先生の静かな声。一度目はよく聞こえなかったので耳に手を当てながら近付いてみれば、吉野先生は今まで俯かせていた顔を勢いよく上げて、叫んだ。

「烏丸さんは、しばらく仕事禁止です!!事務室の出入りも禁止ッ!!もちろん食堂での仕事も禁止ですからね!!」

「えェェェ、仕事しろじゃなくて仕事禁止って……」

「その間ちゃんと大人しくしていなければ元の世界に帰る時まで事務室に入ることは認めませんからね。そのつもりでいるんですよッ!?」

そのまま荒々しい態度で事務室を出て行った吉野先生を、私はただ呆然と見送るしかなかった。仕事するなって、滅多に聞けなさそうな台詞だなオイ。

「あーあ、吉野先生もあんなに怒ることないのに」

「まァ仕方ないよ。きっと吉野先生も虫の居所が悪かったんだろうし。ここは私が一歩引いて、ほとぼりが冷めるまで待つことにするよ」

「わぁ、衣織ちゃんってば大人だねぇ」

「そうでしょうそうでしょう」

なんだかとても良いことをした気分になりながら、私は小松田くんの台詞に得意気な表情で頷いておく。大人ですからね、相手の虫の居所が悪かったくらいで悲しんだり恨んだりなんてしませんよ。

「でも、衣織ちゃんこれから暇になるね。何か予定とかあるの?」

「………ふむ」

確かに小松田くんの言う通り、事務や食堂の仕事がなければこれから私はかなり暇になってしまう。ゲーム機やらテレビやらのある私の世界と違ってこの世界は娯楽が少ないし、きり丸くんのアルバイトだってそう何度も参加させてもらえるわけでもない。賭場で遊ぶにも持ち金は無し。おまけに、何故か『やるな』と言われた途端に急に仕事をしたくなってきたぞ。

「あ、そうだ」

その時、ふと私が思い付いたことは。

「べつに事務や食堂の仕事に限らなくたって自分で何か仕事を見つけて暇つぶしを……じゃねぇや、働けば良いんだ」

幸いにも忍術学園は広大な敷地の中にあることから、しょっちゅう建物の修繕や草木の手入れなどのやるべきことで溢れている。べつに吉野先生は私に息をするなとまでは言ってなかったのだから、暇な時間をどう潰そうが私の勝手。そこで私が何か忍術学園の役に立つことをすれば吉野先生も私のことを見直して謹慎処分を解いてくれるかもしれない。

「よーし、私がんばるよ小松田くん」

「そっかぁ。よく分からないけど頑張ってね衣織ちゃん!」

小松田くんの無駄に元気な声援を背中に受けながら、私は意気揚々と事務室を出て行ったのだった。

さて、何をしようかな。



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(天女様、ついに動く)


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