Novel | ナノ

「おーい待ってよ三木ヱ門くーん。今日はねェ、ユリコちゃんのために贈り物を用意してきたんだよー。だからユリコちゃんと会わせてよー」

「ひいぃぃぃッ」

授業が終わった夕刻。何故か玉ねぎやらジャガイモやらを手にしながら追いかけてくる天女、烏丸衣織から私は必死になって逃げていた。どうして野菜がユリコへの贈り物になるというのだ。まさか撃てるかどうか実験するつもりか。するつもりなんだな。

私はさち子と一緒にひたすら必死で学園内を逃げ回る。砲弾を撃っても避けられて距離をつめられるし、隠れても「逃げる人間の考えって分かりやすいよね」とあっさり見つけられるから逃げるしか選択肢がない。

そんなこんなで、出会ってわずか一週間足らずだというのに私にとって烏丸衣織という人間はすっかり天敵のような存在になっていた。そもそも何でくの一でもないのに忍たまに追いつけるんだよあの女。しかも相手は四年一優秀なこの田村三木ヱ門だというのに、どういうことだ…。

「大丈夫だって、ユリコちゃんに傷はつけないから!ちょっと玉ねぎ臭くはなるかもしれないけど大丈夫だから!」

「それの何が大丈夫なんだよッ!?そもそも誰がお前なんかにユリコを触らせるものか!」

そうやって言い合いをする間にも、烏丸は距離をぐんぐん詰めてくる。あぁまたか、と私は内心で舌打ちした。あの天女の悪いところは有言実行なところだ。やると言ったらやる。冗談のようなことを本気でやる。だから今日も本当にユリコに野菜を突っ込む気でいるのだろう。……あれ、なんだか前が霞んで見えなくなってきたぞ。

ホロリとこぼれた涙を、さち子を抱えていない方の腕で拭った時だった。

「こっちだ三木ヱ門」

「はッ!?」

建物の角を曲がった瞬間に感じたグンッと何かに引っ張られる感覚。そして茂みの中に引きずり込まれたかと思えば何者かに口を塞がれて……、落とし穴に落ちた。なんでそうなる!?

「いたッ…!」

「しゃ、喋るな。天女に見つかるぞ……」

私を穴に落とした、というか落ちるのに巻き込んだ張本人―――平滝夜叉丸は、落ちた衝撃で目を回しながらも私に喋らないように言った。

「あれェ?どこ行っちゃったの三木ヱ門くん」

落とし穴の外から聞こえてくる烏丸の声。私を探しているのだろう、辺りを歩き回るような足音も聞こえてくる。

どうしてくれる、と私は思わず滝夜叉丸を睨みつけた。こんな隠れ方がアイツに通用するワケがない。こんなの、ただ逃げ道を自分で断っただけじゃないか。

けれど意外なことに、私たちが見つかることはなかった。

「ちょっと、野菜なんか抱えて何をしてるんですか烏丸さんは。食堂のお手伝いの方はどうしたんですか?」

「あ、吉野先生ちょうどいいところに。今ここら辺で田村三木ヱ門くん見なかったですか?」

「アナタまた生徒を苛めてたんですか…。見てませんよ、それより早く食堂にその野菜を返してきてください。食堂のおばちゃんが困ってしまうでしょう」

「困らせるのはいけないですね。じゃあ返しに行ってきまーす!」

遠のいていく足音に私は心底ホッとした。……それにしても私を困らせてはいけないとは思わないのか、あの天女め。

「ふん。この平滝夜叉丸にかかればあんな女をまくなど容易いことだ。偶然にも私がここへ居合わせたことに感謝するのだな、三木ヱ門」

「……言っとくけどな、吉野先生がいらっしゃらなかったら普通に見つかってたぞ。だいたい、こんな落とし穴に落ちるようなやつに助けられた覚えはないな」

「な、なんだと!?これは隠れるためにワザと落ちただけに決まっているだろう!お前を助けるために仕方なくここに入ったのだッ!」

「嘘を吐くなよッ!落ちた時に受け身も取れてなかったくせに!!」

「貴様のような足手まといがいたからだ!さもなければ学年一優秀な私がこんな罠に引っかかるものか!」

鬱陶しいぃぃッ!!

それからいかに自分の優秀なのかをぐだぐた語り始めた滝夜叉丸は、いっそさち子で吹っ飛ばしてしまいたいくらい鬱陶しい。しかしコイツのおかげで助かってしまったのは事実なので、私は舌打ちだけをして穴から跳び出る。くそッ、これもあの天女のせいだ。

私に続いて落とし穴から出てきた滝夜叉丸は、相変わらずぐだぐだと話を続けてきた。

「あんな女一人に翻弄されるとはまったくもって嘆かわしい。聞けば今日の昼には鉢屋三郎先輩が昼食を顔にぶつけられたとか。あぁ、先輩方もいったいどうされてしまったのやら」

やれやれ、というポーズをする滝夜叉丸に私はまたイラッとした。あの烏丸衣織と直接関わったこともないくせによくぞ言えたものだ。いや、関わったことがないから言えるのか?

「しかしまぁ、これは学年一優秀な私の出番がきたということだ」

違う、学年一優秀でアイドルなのは私だ。

「ここは私が一計を案じてあの天女を手懐けてやろうじゃないか。そうすれば私の実力が先輩方より優れていることの証明にもなるしな」

「……あの烏丸衣織を手懐けるって、どうするつもりなんだよお前」

「罠を張るのだ」

「はぁ?」

想像したのは、網に引っかかって木から宙吊りになっている烏丸の姿。そんな姿を見ることができれば私の溜飲は下がるだろうが、そこからどうやってあの女を手懐けるというんだ。

「鈍いな三木ヱ門。あの天女が罠にかかる。そこを私が華麗に助ける。すると当然あの天女は私に惚れる。どうだ素晴らしい策だろう」

「…………………」

人はそれを策ではなく、妄想と呼ぶ。

「……はっ、そんなことが本当に出来たら私はお前に食堂の食券をいくらでもくれてやるさ」

ぜったいコイツ返り討ちにあうなと確信しつつ、私は滝夜叉丸を焚きつけるように言った。むしろ返り討たれろと期待する気持ちすらある。私の苦労をお前も味わえ。そしてあの天女の興味を引き受けて私の生活を平穏にしてくれ。

そんな私の内心など知る由もない滝夜叉丸は「それでは私は喜八郎を探さなければならないので失礼する。せいぜい楽しみに待っているんだな三木ヱ門」と高笑いしながら去って行った。……今のうちに幸せを噛みしめておけよ。

「それにしてもあの烏丸衣織が罠なんかに引っかかるのか?……ん?」

その時、私はふと気付いた事実にピタリと動きを止めた。そういえば、あの天女が罠にかかった姿を私はまだ一度も見たことがない。

忍術学園は全敷地が競合地域となっていて、訓練のために色々な罠が仕掛けられている。だから今までの天女の中には、罠に引っかからないよう常に先輩方に守られている者もいたのに。

「………あれ?」

私は、何かを、見落としているような。

「三木ヱ門くん」

その時、背後からかけられた声によって私の思考はそこで止まった。振り返った先に立っていたのは四年は組の斉藤タカ丸さんだ。

「今、喋ってたのって滝夜叉丸くん?ひょっとして新しい天女様の話をしてたのかな?」

「そうなんですよ。滝夜叉丸の奴、今回の天女は自分が手懐けてやるだなんて大口叩いて。それがカンタンに出来れば私はこんなに苦労してないというのに」

日々の疲れから思わず愚痴のような台詞を吐いてしまう私に、困ったように微笑みながら「大変そうだねー」とうなずくタカ丸さん。

「そういえばタカ丸さんはもう烏丸衣織には会いましたか?」

「ううん、まだだよ。今のところは誰も魅了されてないみたいだけど、喋った拍子に何かあったらって考えちゃうと少しだけ怖いしね」

「あ、……そうですか」

無神経なことを、聞いてしまった。私は俯きながら後悔した。タカ丸さんは天女様の件でとても苦労された者の一人だ。周囲が傷付け合うことをくり返す中で、この人は不幸にも傷付けられる方の立場にばかり身を置いてしまった。

「うん。だけどね、ちょっとだけ今回の天女様と喋ってみたいなぁって思う時もあるんだよ」

「え?」

顔を上げた私にタカ丸さんは朗らかに笑う。

「あの人が来てからすごく騒がしくて、まるで天女様が来る前の忍術学園みたいだなぁって思えるんだ。僕、三木ヱ門くんと滝夜叉丸くんが言い合いしてるところ久しぶりに見たよ」

「………それは、」

「あっ、後ろめたいとか思わないで良いからね?むしろ嬉しかったよ。みんなずっと相手に気を使ってよそよそしい感じだったからさ」

そんなの、当たり前じゃないですか。……その言葉を、嬉しそうに微笑んでいるタカ丸さんに言うことはできなかった。

天女を奪い合い、友を罵って傷付けて。酷いことをしたし、逆に自分が酷いことをされたことだってあった。それが天女様がいなくなったから全て元通りに振る舞うだなんて、申し訳なくてできるワケがない。

「だから一度話してみたいなぁって思う気持ちもあるんだけどさ、でも話してみて、もしも良い人だったら困っちゃいそうだよね」

滝夜叉丸の去って行った方を見つめながら、タカ丸さんは静かに言う。私はさち子をギュッと抱きしめたまま、ただ黙ってそれを聞いていた。

「今回の天女様はとても良い人でした、めでたしめでたし。……とはいかないもんね。もう、みんな天女様を陥れることそのものが目的になってるみたいだし」

「だったら、」と私の方を振り向いたタカ丸さんは笑いながら言う。天女に傷付けられた側の人間のくせに、悲しそうに笑いながら。

「天女様が良い人じゃない方が気がラクだなぁって思っちゃうよね。最後には、捨てられてしまう人なんだから」



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(良い天女様だったら何もしないだなんて、信じているのは善法寺伊作先輩くらいだ)(私はもう良い天女様なんて来て欲しくない)(今までも、これからも)


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