Novel | ナノ

「ここに残ることにしたんです」

妙齢の女が、嬉しそうに微笑んで言った。



昼時の食堂にて。

「ねぇ衣織ちゃん。悪いんだけど私ちょっとここを離れなくちゃいけないから配膳お願いしても良いかい?」

この世界へ来てから一週間目である現在。そう言って申し訳なさそうに出て行った食堂のおばちゃんによって、私は厨房に一人残された。

いつもは皿洗いばかりしてるから、ちゃんと配膳の作業をするのはこれが初めてだったりする。ちょっと緊張するけど頭の中にポンと現れた松陽先生が『失敗を恐れずに頑張るのですよ、衣織』と応援してくださるので頑張ろう。じつは小鉢の組み合わせとか覚えてないけど頑張ろう。

………と、意気込んだのがつい先ほどのこと。

「ご注文をどうぞー」

「あれ、衣織さんが配膳してるなんて珍しい。でも会えて嬉しいです。お久しぶりですね」

「はい初めまして。ご注文をどうぞー」

「衣織さんってば冗談がお上手ですね。数日前に山の中で自己紹介したではないですか。私は、鉢屋三郎ですよ」

「はいよろしく。ご注文をどうぞー」

「あれから私も色々考えたのですが、いきなり恋仲になるのではなくまずは友人として付き合いながら互いの価値観をすり合わせていけば上手くいくのでは?という結論に至りまして」

「悩みが解決したのならご注文をどうぞー」

「つきましては、お互いのことを知るために普通に町へ遊びに、普通にですよ?行かないかと思うのですが」

「おい、なに抜け駆けしてるんだよ三郎。衣織さんはお前だけのものじゃないぞ。お久しぶりです衣織さん、お変わりなかったですか?」

「はい初めまして。ご注文をどうぞー」

「衣織さんは本当に冗談がお好きなんですね。覚えてらっしゃるとは思いますが僕は久々知兵助です。豆腐との付き合いは順調ですか?」

「………え?あ、ご注文をどうぞー」

「おいおい、お前らも衣織さんのことが好きなのは分かるけど独り占めは感心しないな。あ、お久しぶりです衣織さん。尾浜勘右衛門です、もちろん俺のことは覚えてらっしゃいますよね?」

「………………」

うっぜェェェッ!!

尾浜勘右衛門と名乗りつつ爽やかな笑顔を向けてきた少年に、私の頭の中で血管が一本ブチリと切れる音がした。

何なのコイツら。なんでカウンターの前から一歩たりとも動こうとしないの?自分の昼食注文したくないの?それともコイツらの後ろでひたすら順番を待ってる下級生に注文させたくないの?なにそれ上級生からの小粋な試練のつもりなの?そうやって忍者として強く育っていくの?

「えぇっと、お、俺は竹谷八左ヱ門なんですけど……、じ、自分から誰かを口説くのって意外と恥ずかしいな」

なんかずっとモジモジしながら照れてる奴もいるしよォ!さっきから一人で楽しそうにしてていいねェ君は!本当に羨ましいよまったく!

「う〜ん、魚にするべきか肉にするべきか…」

コイツに至ってはもうここにいる意味すら分かんねーよ。なんで決めてから注文に来ないの?なんで並んでる間に決めとかないの?え、ひょっとして今までずっと悩んでたの?その選択をミスったら世界が滅ぶとでも脅されてんの?

とにもかくにも目の前で騒ぐこの藤色の忍装束の集団どもを一刻も早くどうにかしなければ、せっかく私に配膳を任せてくれたおばちゃんを失望させてしまう。いかん、それはいかんぞ。

そんな、焦る私の脳内にポンと現れたのはヅラ君だった。『衣織よ、物事を成し遂げるには何よりも強い意志がなくてはならんぞ。時には他者をはね返すほどの強い意志がな。ついてはこの攘夷一日体験コースに入会することで自分を変えるきっかけを掴んで』ちょ、うるさい。

でもまぁ、うん。確かにヅラ君の言うとおり、邪魔してくる他人をはねのける強さも時には必要ですよね。

「………おい」

私はいまだに「衣織さんは渡さないぞ」とか「じゃあ私たちはライバルだな」とか「それでも俺たち…、友だちだろ?」とかなんか青春やっちゃってる三人に向かって声をかけた。すると低い声に驚いたのか、藤色の少年たちはピタリと動きを止めて私を見る。

「今から3つだけ数を数えるから、その間に注文を言え。さもないとこの定食を君の顔面に投げつけるから」

そう言って私が持ち上げて見せたのは、今日の昼食が乗ったお盆。ちなみにメニューはちょっぴり辛めの麻婆豆腐とお味噌汁とご飯です。あらやだ見てるだけでお腹が減っちゃうね。

そのお盆をスパーキングする準備万端でニコニコ笑う私の前に進み出てきたのは、鉢屋三郎と名乗った少年だった。

「衣織さんって本当に冗談を言うのがお好きなんですね。そういう面白い女性って素敵だと思いますよ私は、」

「はい、いーち」

鉢屋三郎くんの顔へ麻婆豆腐をスパーキング!

見事に顔面に入った一撃によって「うぶぐッ!」というちょっと面白い悲鳴を上げながら崩れ落ちていく鉢屋三郎くん。それと同時に、竹谷八左ヱ門と名乗っていた少年が倒れていく友人を見ながら「2と3はーッ!?」と叫んだ。

「2と3?そんな数字は知らないねェ。女はね、いつだって惚れた男の一番になるため生きてんだよ。二番目とか三番目とかねーんだよ」

「今までそんな話してましたっけ!?」

ビシッと親指を下に向けながら冷たく見下ろす私の前で、鉢屋三郎くんにわらわらと群がる紫色の少年たち。

ずっとメニューを悩んでいた少年が「僕を置いていくな三郎ーッ!」と泣き叫びながら鉢屋三郎くんを抱き起こし、その傍らに跪いた久々知兵助くんが「豆腐は悪くない!麻婆豆腐は悪くないからッ!」と叫んで竹谷八左ヱ門くんに「ちょっと兵助は黙ってような!」と怒鳴られる。そんな状況の中で、私は尾浜勘右衛門と名乗った少年にニコニコと微笑んだ。

「ご注文をどうぞー」

「………ま、麻婆豆腐定食をお願いします」

青ざめながらもようやく注文を告げた尾浜勘ヱ門くんの後ろでは、紫色の少年たちが「勘右衛門の裏切り者!」とブーイングしまくっていた。じつはコイツらって仲悪いのかもしれない。



昼にそんなトラブルはあったものの、それからの仕事はスムーズにこなすことができた。

吉野先生に「くれぐれも余計なことしちゃダメですからね?」と言われながら任されたのは手紙の配達だ。知らない名前もあったけど、分からなければそこら辺の教師に聞けば大丈夫らしい。貼り紙を作っていた小松田くんも「早く終わらせて一緒にお煎餅食べようね」と誘ってくれたので、私は意気揚々と事務室を出発した。

「しまった。バレーボールが木の上に引っかかってしまったぞ。どうしたら良いんだろう」

なんか木の前でそう呟いている深緑色の忍装束を着た少年がいたけど、私には吉野先生の言い付けがあるので無視。

「……人手が足りず、図書室の書物の整理がなかなか終わらない。誰か手伝っては、くれないだろうか」

廊下ですれ違った深緑色の忍装束の少年がなんかもそもそ言ってたけど、ほとんど聞き取れなかったので無視。

「ぐっ、急に腹が痛くなった…ッ!この痛みではとてもじゃないが一人では動けねぇぞ、誰か助けに来てはくれないだろうか…ッ」

なんか視界の隅で急にうずくまった深緑色の少年がいたけど言い付けがあるので無視、……するのは流石に人としてどうかと思ったので、ちょうど近くを通りかかった安藤さんに

「あの生徒、なんか下痢で苦しんでるみたいですよ。ぜひ安藤さんのギャグで元気づけながら厠に連れて行ってあげてくださいね」

と、告げておいた。安藤さんが「大丈夫ですか食満留三郎くん」と声をかけていたのでもう大丈夫だろう。良いことしたなぁと私はうなずいた。

最後に、竹谷八左ヱ門とかいう少年が慌てた様子で駆けてきて

「大変なんです!立花先輩と潮江先輩が毒虫に咬まれてしまって……」

と言ってきたので、私は笑顔で「トドメ刺して逃げてこいよ」と言いながら持っていた宝禄火矢を一個渡してあげた。良いことしたなぁと私はうなずいた。

その後、遠くの方で「止めるな文次郎!私はあの女にお礼をしに行くんだ!」という声と「落ち着け仙蔵!それはお礼じゃなくてお礼参りだッ!」という声と爆発音が聞こえてきたけど、どうせ私には関係ないことだろうなぁと判断して事務室に戻ったのだった。



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(小松田くんこっち終わったよー)(わぁ、今日の衣織さんは仕事が早いねぇ)(そうでしょうそうでしょう)


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