「お酒のみたい」
事務室にて、しゃかしゃかと硯(すずり)で墨をすっていた私は思い立ったように口を開いた。するとせっせと封筒に宛先を書いていた小松田くんが顔を上げて「今から買いに行くの?」と不思議そうに首を傾げる。ちなみに私の方が年上なんだけどね、仕事では先輩だしタメ口なんて気にしませんよ。やだ、私ってば超器の大きい女…。
自分のイイ女っぷりにときめきを感じつつ、私は小松田くんに神妙な表情で「お金がない」と答えた。どうでもいいけど昔こんなタイトルのドラマがあったような、なかったような。
「そういえば衣織さんってお給金もらってないんだっけ?」
「そうなんだよねェ。学園長は出すって言ってくれたんだけどさ、カッコつけてみたくて断っちゃったよ」
まったく、どうして私はあの時『だが断る』なんて言ってしまったのだろう。いくら世話になってる身とはいえ、くれるって言ってんだから素直にもらっときゃ良かったんだよ私のバカ。やっぱり一時のノリに身を任せたらダメだね。長谷川さんみたいにはなりたくないし、これからは気を付けないと。
「何かないですかねェ?学園以外でお金を稼げる方法。ちょっと嗜好品を買えるくらいのお金が欲しい…」
この世界にきてからまだ日の浅い私には分からないことの方が多い。かぶき町じゃあ適当な店に入ればいくらでも飲むことができた命の水も、ここでは手に入れるだけで一苦労だ。あぁ、早く帰ってお登勢さんの店で飲みまくりたい。
そんな私の質問を受けて少しばかり考えるポーズをする小松田くん。しばらく待ってみれば何かを思い付いたらしく、パッと明るい笑顔を浮かべながら、彼は言った。
「それなら、きり丸くんに頼むといいよ」
「きり丸くん?」
小松田くんいわく、きり丸くんとは天才アルバイターにして異常なまでにドケチな一年生の忍たまらしい。日夜いろいろなアルバイトに励んでいるので、私でもできるアルバイトを紹介してくれるのでは?(でもタダじゃ無理)とのこと。なるほど、要するに人間版タウンワークか。
話を聞いた私は早速きり丸くんとやらに会いに行くことにした。顔も知らない初対面の人間を探すのは大変だけど、彼の特徴を小松田くんに聞いてきたから多分どうにかなるはず。ドケチと謳われるくらいだから割の良いアルバイトは紹介してもらえない可能性もあるぞと考えて、その対策もバッチリ練ってきた。
それにしても、
「ガッツのきり丸、か」
きっと頑張り屋さんに違いない。
良いことだ、と私は一人頷きながら校舎の廊下を歩く。とりあえず忍たまなら校舎の中にいるだろうと思って来てみたわけだが、もう授業は終わってしまったらしく一年は組の教室を覗いても人の気配はしない。そんな空っぽの教室を眺めつつ私はうなずいた。
「よし、それなら三木ヱ門くんだ」
「意味は分かりませんがとりあえず止めてあげてください」
標的を変更した私の後ろから声がした。
「何を止めろと言うんですか土井さん。私はただ三木ヱ門くんに会いに行こうと思っただけなんですよ、まるで意地悪しに行くみたいな言い方しないでください」
「貴女が会いに行くことそのものが三木ヱ門にとっては意地悪されてるようなものなんです」
なんてヒドい言いがかりだろう。私は苛立ちを隠しもせずに土井さんを睨み付けた。私はただ三木ヱ門くんにきり丸くんを探すのを手伝ってもらおうと思っただけだ。断じてさち子ちゃんを人質にとって『十秒以内に見付けて来なきゃ池に落とすから。はい、いーち』なんて、からかおうとか考えてない。絶対に考えてない。……くそっ、私の楽しみを!
「私はですね、ただ亡き恩師がいつも言っていた『人が嫌がることを率先してやりなさい』という教えを忠実に守ろうとしてですね、」
「その恩師も浮かばれないでしょうね。心から同情します」
「松陽先生ェェェ!天罰を!今こそ天罰を!あなたの可愛い生徒が馬鹿にされてますよ!」
校舎の廊下から外に向かって叫べば、西日の中でカラスが一羽「あほー」と鳴いた。なんと私は馬鹿ではなく阿呆にされていたらしい。ありがとうございます松陽先生、これからは間違えないよう気を付けますね。
「……それで、衣織さんは一年は組の教室に何の御用でいらっしゃったんですか?」
「ことごとく私のボケをスルーしやがりますね土井さんは。いいですよもうアナタには何も期待しませんよ」
カラスに向かって拝んでいた私は、顔を上げて土井さんを睨みつけた。知らん、もう知らん。いつか土井さんがチョークと出席簿で忍者しててももうツッコミなんて入れてやらん。むしろその時はカレーニンジャーで対抗してやる。ボケ殺ししてやルージャ!
「ひょっとして、」
空っぽの教室に視線を向けながら、土井さんは静かに言った。
「きり丸を探していたんじゃないですか?」
「………よく分かりましたね」
どうやったら三木ヱ門くんの話から私がきり丸くんを探しているのだとドンピシャで推測できるのだろう?
不思議に思いつつも、まぁ忍者ならこれくらい簡単なんだろうな、と私は一人で納得してうなずいた。なんか忍者だからって言っときゃ何でも納得できる気がする。よし、これから分からないことがあればみんな忍者のせいにしよう。
「土井さんってばよく分かりましたねェ。そうです、私はガッツのきり丸くんという生徒を探してる最中でして」
「………摂津です」
「えっ」
「ガッツじゃなくて摂津のきり丸、です」
「………………」
なんだと。
明後日の方向を眺める私と、そんな私を無表情で見つめる土井さん。さてこの状況をどうしたものかと私は考える。考えた結果、私はフッとニヒルな笑みを浮かべ、やれやれといった態度で肩をすくめてみせた。
「まったく、人の名前を間違えて教えるなんて小松田くんも仕方ないですねェ」
「……念の為に言っておきますが、貴女はついこの前きり丸に会っていますし自己紹介も済ませてますからね?」
なんだと。
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(あぁ、じゃあきり丸くんが間違えて教えたんですねェ)(どうして素直にごめんなさいが言えないんですか貴女は)(ごめんなさい)(はい)