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「ねぇ、きり丸くん。まだ幼いのに一人で生きていくのは大変でしょう?私と家族になりましょうよ。私、あなたの姉になりたいわ」

確かアレは二人目の天女様だっけ。出会い頭にいきなりそんなことを言われて、俺が反射的に返した言葉は「ありがとうございます姉上。それじゃさっそく生活費をください!」だった。

そのままのノリで、ちょっと期待しつつ天女様に手を差し出せば近くにおられた六年生の先輩方に天女様に失礼だろうと怒られてしまった。ちなみに天女様はけっきょく何もくれなかった。もう意味分からん。

その二人目の天女様はたいそう周囲に好かれていた。その好かれようといえば上級生の先輩方がみんなそろって骨抜きになってしまい、そのうち委員会にも顔を出さなくなるほど。「よーし、それなら俺も委員会サボったっていいよな!」俺はこれ幸いとアルバイトに明け暮れた。最終的に土井先生に委員会へと連れ戻された。ちくしょう先輩たちだけズリぃ。

二人目の天女様が最終的にどうなったのかは知らない。中在家先輩や不破先輩が委員会に戻ってこられたから、きっとどうにかなったんだろうとは思うけど。それよりも俺が驚いたのは中在家先輩や不破先輩に「すまなかった」と頭を下げられたことだ。

きょとんとした俺は、慌てて先輩方に頭を下げるのを止めてもらうよう言った。他の委員会はゴタゴタしてたみたいだけれど、図書委員会の仕事なんてラクなものだ。ちょっと人手が少なくなったとしても顧問の松千代先生だっておられるのだからすぐに問題が生じることはない。

俺にとっちゃ先輩方が来ないことはアルバイトに打ち込む良い口実になったし、むしろ俺より能勢先輩や怪士丸を気にかけてやった方が良いと思いますよ、と一生懸命に伝えた。そんな俺を、なぜだか複雑そうな表情で見ていた先輩方の心情は今も分からない。

その後に中在家先輩から迷惑をかけたお詫びとしてボーロをもらったのだけれど、俺はなんとなくそれを町で売り払ってしまった。ちょっと罪悪感を感じたけれど、中在家先輩は何も言わなかったので良しとする。

二人目の天女様がいなくなった後も、別の世界の住人だという女性は次々と空から降ってきた。その誰もが天女様と呼ばれて上級生に持て囃されていて、俺はいくらなんでも先輩方は惚れっぽすぎやしないかと首を傾げたもんだ。けれど首を傾げるだけで、天女様のことに関して俺はそれ以上何もしなかった。兎にも角にもまずは銭。落ち込んだり怒ったりしている暇があるならアルバイトに励むべし、だ。

だけど級友たちはそうは思わなかったらしい。新しい天女様が俺に近付くたびに、やれ無神経なことは言われなかったか気落ちしていないかと心配するわするわ。俺としちゃあ何故だか俺の姉になりたがる天女様があまりにも多いもんだからいっそ時給いくらかで商売しようかと考えていたくらいなのに、それを告げれば級友たちがとても複雑そうな顔をしたので、やめた。需要があるから供給しようとしただけなのに「無理をするな」と級友たちは言う。俺はぜんぜん無理などしていないのに、奇妙なもんだ。

奇妙といえば、土井先生も天女様が学園にいる間はおかしくなる。きっかけは、確か、何人目かの天女様が土井先生と恋仲になりたがっていた時だっけか。はた目にも丸分かりな天女様の好意を土井先生は苦笑いで流し続けていた。でも上級生すら骨抜きにしてしまうほどの魅力的な女性をかわしてしまうなんて、こりゃ土井先生の結婚がまた遠のくぞ、と心配した俺は言ったんだ。

土井先生、俺に気使わなくて良いんスよ。そりゃ今すぐあの家に住めなくなると長期休暇の時に困るけど、ちょっと時間もらえりゃ他に住む場所探しときますし。なんなら天女様に頼んでみても良いっスか?何でか知らないけど俺ってどの天女様にも好かれてる気がするんですよね。だから案外あっさり同居の許可もらえたりして。

それからというもの、土井先生は全ての天女様に冷たい態度をとるようになってしまった。

俺は焦った。お人好しの土井先生が他人に冷たく当たるなんて、ぜったい俺に気を使っているに決まってる。どうしようかと悩んだ挙げ句、俺は山田先生に相談した。

山田先生、土井先生に無理するなと言ってやってください。一般人の女性に冷たい態度をとるなんて無理な演技はお止めなさい、また胃炎が悪化しますよって、山田先生からも言ってあげてくださいよ。すると山田先生は苦笑いしながら「無理しているのはお前だろう」なんて見当違いな返答をするもんだから、俺はもう呆れて何も言えなくなってしまった。

みんな俺のことを明後日の方向に心配しすぎているのだ。そりゃ中には私に構えと言ってアルバイトの邪魔する面倒くさい天女様もいたけれど、優しい人だっていたというのに。上級生から贈られた菓子を、自分だけじゃ食べきれないからと困ったように微笑みながら分けてくれた人や、アルバイトで生計を立てている俺の事情を知っているからと手伝いを申し出てくれた人。そして俺はそれらの厚意をありがたく頂戴した。

「きり丸、お前はここにいていいんだからな」

いつだったか、何人目かの天女様が帰ったあとに山田先生が言った台詞。俺が笑いながら「当たり前でしょう?だって学費払ってるんスよ俺」と答えれば、山田先生はやはり苦笑いを浮かべながら「お前は変わらんな」と言った。そうだ、俺は何も変わっちゃいない。変わったのは、……まぁ、いいや。

天女様、天女様、天女様、天女様、天女様。いったい誰がそう呼び始めたのだろう。一人目の天女様が学園にいらっしゃった時にはまだそんな呼称はなかったと思う。じゃあ二人目からか。いちいち名前を覚えなくて良いから俺としちゃあラクで助かるんだけどさ。そういえば、一人目の天女様に命を救われたというあの人は最近どうしているのだろうか。

それにしても天女様という存在が現れてから俺の周りは奇妙なことだらけだ。そもそも空から人が降ってくるという時点で奇妙なのだから、当たり前だと言えばそれまでかもしれないが。

どうにかして俺のことを可愛がろうとする天女様たちも、天女様が帰るたびにわざわざ下級生に謝罪にいらっしゃる先輩方も、天女様にあえて冷たく接する土井先生も、やけに俺を心配してくる級友たちも。その全部が奇妙だ。奇妙だから、俺がちっともその心情を理解できないのも仕方のないことなんだろう。

そう、仕方ないんだ。

「アルバイト、私にアルバイトを紹介しろよきり丸くんよォォ…!」

「ひぃぃぃ、私は乱太郎ですぅぅッ!」

今、俺の目の前では最近やってきたばかりの天女様である衣織さんが何故か血まみれになりながら乱太郎に掴みかかっている。……うん、これは奇妙だ。この人の心情どころか行動の意味すら俺には理解できねぇ。

ちなみに乱太郎にきり丸ではないと否定された衣織さんは、心底驚いたような表情で「えっ」と呟いたあと、しばらく考えてから「じゃあきり丸はお前かァ!」と、しんべヱに掴みかかった。どうやら三分の一の確率に賭けて適当に声をかけていたらしい。そして二分の一の確率も外しちまったと。それなんて不運。

衣織さんの後ろから土井先生が演技ではなく心底怒った表情で走ってくる光景を眺めながら、俺は自分こそがきり丸であることを明かすか明かさまいか迷うのだった。とりあえず土井先生、いくらなんでも女の人の頭に出席簿の角を振り下ろすのは止めた方がいいんじゃないスかね。



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(俺の心の声など聞こえるはずもなく、土井先生は衣織さんの頭に思いきり出席簿の角を振り下ろした。南無三)


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