Novel | ナノ

「そういえば今回の天女も食堂と事務の手伝いを始めたらしいな。そちらの様子はどうだ?」

あ、流した。

いまだに遠い目をしている留三郎を放置して、さっさと話題を変えてしまう仙蔵。きっと慰めるのが面倒くさくなったんだろう。さすが忍術学園一冷酷…、じゃなくて、冷静な生徒だ。

「あの天女の働いている姿なら、私も何度か見かけた……」

「あ、うん。それなら僕も見かけたよ。衣織さんはちゃんと働く方の天女様みたいだね」

長次の言葉で思い出したのは、校門前でざかざか箒を掃いていた衣織さんの姿。「レレレのレ〜」と不思議な唄を歌いながら掃除する姿はやっぱり楽しそうだった。

そういえば食堂でおばちゃんの肩を揉んでいた時も楽しそうに談笑していたっけ。ひょっとしたら衣織さんには苦や哀といった負の感情なんてないのかもしれない。それにしても、あの時聞こえた「かぶき町のゴッドハンド鷹たァ私のこと。おばちゃんを気持ちよく昇天させてやりますぜ」という台詞の意味は何だったんだろう。異世界の言語ってまだまだよく分からないや…。

とにかく、今までの天女様の中には仕事もしない人もいたのだけれど衣織さんは違うみたいだ。どうにか穏便に済ませたい僕はここぞとばかりにそれをアピールした。みんなだって鬼じゃない。良い天女様だと判断すれば元の世界に帰るように促そう、とずいぶん前に決めているのだから。

「だからどうした」

けれど仙蔵はフンと鼻で笑って僕のアピールを一蹴してしまう。……せめて鼻で笑うのは止めてくれないかな、なんか地味に傷付くし。

「今までにも真面目に働いていた天女はいただろう。まぁ、こちらが色で惑わしてやればすぐに本性を見せたが、」

「いや…、真面目には働いていない。食堂で、注文されたものと違う定食をむりやり生徒に押し付けて何食わぬ顔をしている姿を見た」

「そもそも面倒をみてもらっているなら働くのは当然のことだろうに。その当然のことすら放り出して天女たちは学園内をかき乱すから……ちょっと待て長次、今なんと言った?」

ようやく自分の台詞と同時に長次が喋っていることに気付いた仙蔵が、目を大きく見開いて呆けたように長次を見た。僕も長次を見た。要するにみんなが長次に注目した。

「……校門前で掃除をしている姿も見かけたのだが、田村三木ヱ門を見つけるなり『げへへ、またユリコちゃんで遊ばせてよ三木ヱ門くーん』と言いながら追いかけていった。三木ヱ門は、泣きながら逃げていた。吉野先生も、小松田さんがもう一人増えたようだと、泣いておられた」

えぇー。

「また俺の後輩を虐めてんのかあの女!もう我慢ならん、今からあの天女のところに行って一言言ってやる!」

「おいやめろって、先生呼ばれるぞ」

わなわなと震えながら立ち上がった文次郎を慌てたように押し止める留三郎。彼も後輩には甘いはずなのに、安藤先生との一件が思ったよりも深い心の傷を与えてしまったようだ。

「………と、留三郎の言うとおり今はやめておけ文次郎。一年生ならまだしも田村三木ヱ門は四年生。もしかするとあの天女に取り入るための演技やもしれん」

「……仙蔵、もしかして関わりたくないとか思ってない?」

僕の問いかけに仙蔵は何も答えなかった。

「よし、それじゃ今回も今までと同じように天女様の仕事ぶりを誉めれば良いんだな!」

「今までの話を聞いていて何故そう思ったんだ小平太」

意気揚々と立ち上がった小平太に、留三郎が「ただのイヤミじゃねぇか」と呟く。真面目に働いていない人を『頑張ってますね』と誉める。……確かにイヤミだ。

「えー?でもさぁ、本人が頑張ってるつもりなら喜車の術も効果あるんじゃないの?」

「やめておけ…。喜車の術は、効かん」

首を傾げる小平太にそう言ったのは、彼と同室の長次だった。なんでも長次はすでに衣織さんの仕事ぶりを褒めていたらしい。本当に、僕の知らない間にみんな色々なことを衣織さんに仕掛けてるみたいだ。

「いつも頑張っているから休憩してボーロでも食べないか?と誘ってみたのだが……。『さっきまでサボってた私が頑張ってるように見えるなんて君ちょっと世間ナメてんじゃないの?もっと頑張ってる行動の基準を上げた方が良いよ?社会に出たとき困るのは君なんだよ?』と、なぜか私に説教を、」

「自覚あんのかよあの天女!最低だな!」

「その後ボーロだけ持っていかれた……」

「まだまだ最低じゃなかった!さらに下の行為があった!」

留三郎のツッコミを聞いていられなくて僕は思わず顔を手で覆う。いったい何してるんですか衣織さん……。

そんな僕の横で、しょんぼりしている長次を「仇は私がいけどんにとってやるから任せておけ長次!」と慰める小平太。穏便に、穏便に済ませたいのにみんなに闘志がわいていく…!

「くそっ、しかし今回の天女は手強いな。今までの天女は外面だけでも善人ぶっていたというのに烏丸衣織という女は外面まで最低だ。まるで本性を隠す気がないとは予想外すぎる……」

「そんな最低な女に私たちはどうやって立ち向かえば良いんだろう?」

「いくらなんでも衣織さんが聞いたら殴られるよ二人とも…」

仙蔵や小平太だけじゃなくみんなが衣織さんのことを貶しているけれど、それでも僕は衣織さんのことを悪い人だとは思えなかった。

自分でも理由は分からない。ただ、ここまでみんなが術をかけているというのに引っかからないっていうのは、衣織さんが単純に僕らに興味がないからじゃないかとも思うんだ。それを伝えたとしても、きっと仙蔵に『最初は我々に警戒心を抱いていた天女なんて今までにもいただろう』と一刀両断されてしまうのだろうけど。

そして実をいうと、同時に僕は衣織さんに恐怖心も抱いていた。だって理由もないのに好ましいと思ってしまうなんて、もしかして僕はすでに天女の術にかかってしまってるんじゃ……。

「えぇい、忍者があんな女一人に取り入ることもできんでどうする!?喜車の術がダメなら別の方法でいくぞ!」

背筋に寒いモノを感じていた僕を、文次郎の声が引き戻した。

どうやらみんな、喜車の術や楽車の術は衣織さんには通用しないと判断したらしい。……あれ?通用しないなんてことあるのかなぁ?

「じゃあどんな方法でいくつもりだ?あれは田村三木ヱ門に凄まれても怖がらなかった女だ。そうだ、いっそ山賊の前にでも放り出すか?」

「ちょっと、いくらなんでも怪我をさせることは保健委員として見過ごせないよ」

僕の言葉に「冗談だ」と肩をすくめる仙蔵。今までも六年生のみんなは僕の意を汲んで天女様に怪我をさせることだけはしなかったから、本当に冗談なのだろう。

「逆に、あの天女に何かをしてもらうというのはどうだ?」

ふと思い付いたように留三郎が言った。

「あの天女に何か手助けをしてもらって後日その御礼をする。それをきっかけとして親密になっていく。どうだ?」

「禁宿に取り入る習いのようなものか。確かにそれなら警戒心も抱かれにくそうだ。……あぁ伊作、お前は嫌なら参加しなくて大丈夫だぞ。お前の性格では酷だろう。ただし邪魔だけはしてくれるな」

「………うん」

穏やかな微笑みを浮かべながら言った仙蔵に、僕は少し迷いながらも頷いた。みんな、いつも気を使って僕には何もしなくて良いと言う。天女様に魅了されなければ、それで良いのだと。

それなのに僕にも現状を把握させようと、こういう話し合いにだけは参加させるのだ。それはまるで『自分たちは天女様に魅了されていないから大丈夫だ』と互いに確認し合っている儀式のようにも感じられた。

「―――よし、それでは話もまとまったし解散するとしよう。留三郎、伊作、部屋を借りて悪かったな」

「気にするな仙蔵。それより早く部屋に戻って少しでも眠っておけ」

留三郎の言葉を皮切りにみんないっせいに天井裏や床下から自室へと帰っていく。……もう日の出も近いけれど僕も眠ることにしようかな。

留三郎に「おやすみ」とだけ告げて、僕は自分の布団に転がった。

それにしても、どうにも煮え切らない気分だ。例えるなら筆記試験でどこかの問題の解答を間違えてしまっているのに、どこが間違っているのか分からなくて困っている、ような。それは天女様に警戒心を抱き始めた時から続いている感覚で、僕は寝転んだまま溜息を吐く。もういいや、眠ってしまおう。

眠りに落ちていく意識の中で何故だか思い出したのは、一人目の天女様のことだった。あの天女様に命を助けられたという生徒は今の状況をどう思っているのかな……。



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(解答を示してくれる銀色の男は、まだいない)


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