Novel | ナノ

「善法寺伊作よ。最近、悩み事を抱えていたりはせんか?」

湯浴みを済ませて自室に戻る途中だった僕を呼び止めたのは、何故か深刻そうな表情を浮かべた学園長先生だった。

突拍子のない質問に「え?いいえ…」と戸惑いながら答える僕。いくら急だったとはいえ、目上の人に対してちょっと失礼な態度だったかもしれない。けれど学園長先生はさして気にされた様子もなく、心配そうな表情のまま頷いた。

「そうか。それなら良いのじゃが……、あまり心の内に溜め込むでないぞ?何かあれば周りの者に相談しなさい」

「あ、はい。分かりました、相談します……」

僕の方を心配そうにチラリチラリと振り返りながら去っていかれる学園長先生。「約束じゃからな?殺したくなる前に相談するのじゃぞ?」と最後まで念押ししてから廊下の曲がり角に消えていかれる姿に、僕はただ首を傾げるしかない。殺すって、いったい何の話なんだろう…。

まったくもって意味が分からないけれど、他でもない学園長先生に心配されてしまったのだ。いやでも気にならないワケがなく僕は腕を組んで考え込む。うーん、学園長先生にはそんなに僕が悩んでいるように感じられたのだろうか。もしもそうだとすれば大変だ。知らない間に後輩に心配をかけてしまっている可能性だってある。

「そうだ、留三郎に訊いてみよう」

考えた末にパッと頭に浮かんだのは、同室の留三郎の姿だった。今日の僕って端から見て悩んでるように見える?なんて訊くのもちょっと妙な話だけど、まぁ仕方ない。

そう考え、先ほどよりも足早に自室へと向かった僕は襖をスラリと開いて声を上げた。

「ねぇ、留三郎。ちょっと訊きたいことがあるんだけど……あれ?」

その瞬間、目に飛び込んできた光景に、僕の脳内から学園長先生のことはあっという間に吹っ飛んでしまった。

「……みんなで集まって何してるんだい?」

僕と留三郎の部屋で輪になって座る、六年生の見知った面々たち。なにこれ、何かの儀式してるみたいで怖いんだけど。思わず部屋の入口で突っ立っていれば、真っ先に振り返った仙蔵が呆れたような表情で輪に加わるよう促した。

「湯浴みから戻ってくるだけにしてはやけに遅かったな。まぁいい、早くお前も座れ」

「あのさ、……ひょっとして衣織さんの話?」

「察しが良いな伊作。今回の天女は今までとは随分と勝手が違うようなのでな、現状の整理と対策の話し合いをしようと集まったのさ」

「………そっか」

サラリと答えた仙蔵の隣に座りながら、僕は曖昧に頷いた。本当は他人を傷付ける話なんて、したくないのに。

「よし、全員そろったので話を始めるぞ。まずは現状についての確認だが……、どうだ?数日前に私たちに夕食の片付けを押し付けた挙げ句に四年ろ組の田村三木ヱ門と決闘し、虐め抜いて泣かせたというあの天女のその後の様子は」

「なんか仙蔵めちゃくちゃキレてない?」

「ふっ、何を言っているんだ小平太。私はいつだって冷静だ」

いや、どう見ても怖いよ仙蔵の笑顔……。

僕はその場にいなかったから知らないけれど、なんでも衣織さんは仙蔵・長次・文次郎の三人に夕食の片付けを押し付けて四年ろ組の田村三木ヱ門と決闘のようなことをしたらしい。ちなみに結果は衣織さんの勝ちだったというから驚きだ。

ただ、衣織さんがユリコを犯しただの土井先生の神経性胃炎を悪化させただの、色んな噂も流れていてどれが本当の話か分からない部分もあるけれど。まぁ、ユリコを犯したっていうのは確実に嘘だろうなぁ。

「くそっ、あの後は俺も大変だった。しんべヱが土井先生のお叱りで団子をご馳走してもらう約束が反故になったと泣き続けるから、けっきょく俺が団子を買いに行くはめに…」

「ぬぁにぃ!?そこまで後輩を甘やす奴があるかバカタレ!せめて忍者食にしろ忍者食にッ!忍者が団子も我慢できんでどうする!」

「んだと!?お前だって田村三木ヱ門の石火矢の手入れを一晩中手伝ってやってたらしいじゃねぇか!そんなことする前にアイツの性癖どうにかしろよ!」

「性癖いうな!俺だって三木ヱ門の石火矢に対する扱い方にはちょっと引いてんだよ、でも天女に取り入る演技を手伝ってもらったんだから仕方ねぇだろ!?」

「いい加減にしないかお前たち。話が前に進まないだろう」

付き合いきれんわ、とでも言いたげな表情で留三郎と文次郎を見やった仙蔵は、ため息を吐いてから話を続ける。

「今のところ今回の天女に魅了されてしまっている生徒はまだいないようだ。まぁ、四年生は田村三木ヱ門以外まだ誰も天女と関わっていないらしいから今後どうなるかは分からんが」

そこまで喋ってから、ふいに「そういえば」と思い出したように仙蔵は呟いた。

「五年生は天女を恐れているようだったな」

「なんで?今回の天女ってそんなに怖かったっけ?」

「知らん。天女に取り入ってやりたいが家畜扱いされるのは後免だ、と揉めているのを見かけたんだ。しかし私も忙しかったのでな、その時は訊きそびれた」

「さっぱり分からん」

仙蔵の言葉にぐりんっと首を捻りまくって不思議がる小平太。僕にもさっぱり分からない。なんで相手に取り入る話で家畜という単語が出てくるんだろう…。

けれど仙蔵はこの話題にあまり興味はないみたいで、長次に「お前は不破雷蔵と同じ委員会だろう?機会があれば訊いておいてくれ」と頼むと、さっさと次の話題へと移ってしまう。……個人的に気になるし、僕も今度衣織さんに会ったら訊いてみようかな。

「私が知る今回の天女の現状はこれぐらいか。お前たちの方はどうだ?そうだ留三郎、田村三木ヱ門があれから天女に気に入られた件に倣って自分も喧嘩をふっかけてみると言っていたな。どうだった?」

「えぇ、留三郎ってば何時の間にそんなこと計画してたの……」

どうやら僕の知らない間にみんな衣織さんに色々なことを仕掛けていたらしい。途端に罪悪感が胸を支配したけれど、僕は頭を振ってそれを無視した。みんな今はまだ天女様には優しくする時期なんだから、大丈夫。まだ大丈夫。

「どうした留三郎、結果はどうだったんだ」

なかなか口を開かない留三郎に、仙蔵はもう一度尋ねた。

みんなに見られて気まずそうな表情をする留三郎に、僕はもしかして上手くいかなかったのかなぁ?なんて期待を持ってしまう。留三郎に対しては失礼な話だけど、できれば衣織さんにはこのまま何事もなく元の世界に帰って欲しい。

そう願うと同時に、衣織さんが『ぴーすぴーす』と言いながら可愛いこぶってる姿がポンと思い浮かんで僕はくすりと笑った。あの人はいつも楽しそうだ。

そんな、想像に耽っていた僕を留三郎の声が呼び戻した。

「……先生を呼ばれた」

「は?」

え、なになに?

思わず身を乗り出す僕らに、遠い目をしながら留三郎は、言う。

「あの天女にな、お前が気に入らねぇから勝負しろって言ったんだ。そしたらちょうど近くを歩いておられた安藤先生に『お宅の生徒さん、気に入らないってだけで他人に暴力を振るうみたいですよ。精神的に不安定な時期なのかもしれないし先生方が気をつけて見ててあげてくださいね』って言って」

「………それで?」

「安藤先生に『悩みがあるなら聞きますよ』って心配されてる間にいなくなってたよあの女……」

…………衣織さん。

どうやら留三郎の思惑は上手くいかなかっただけじゃなく、彼の心に嫌な思い出を残してしまったらしい。

一年い組の教科担当の安藤先生は天女に関する上級生の事情についてあまり把握していらっしゃらない。だから、ちょうど近くにいたのが安藤先生という時点で留三郎は不運だったとしか言いようがないのだ。それでも安藤先生に心配されている留三郎の姿を思い浮かべると僕らは同情の念を禁じえなかった。

せめて、せめて衣織さんがそのまま放置して立ち去らないでくれればまだ気分的に救われるモノがあったのにね……。衣織さんも素でやってるふしがあるから仕方ないんだろうけどさぁ。

どこか悲しそうに遠くを見つめる留三郎を慰めるために、僕らは必死で言葉を探すのだった。



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(被害者続出中)(気まずい空気のまま話し合いは続く)


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