Novel | ナノ

 


翌日。こんな状況でも見事に爆睡してしまった自分に自己嫌悪を感じつつも、私は朝日に照らされた襖をスパンッ!と勢いよく開いた。

「生きてるって素晴らしいィィィ!」

良かった!食べられてなくて良かった!目覚めたらデカい釜で茹でられてたり、まな板の上に乗せられてなくて本当に良かった!安心して布団で寝起きできることの素晴らしさよ!

じーん、と生の喜びを噛みしめている私の前でチュンチュン鳴きながら飛び立っていく雀たち。あぁ、彼らは常に食物連鎖の恐怖にさらされているんだなぁと急に親近感を感じてくる。菜食主義者にはなれないけど、これからは肉類はもっとよく味わって食べることにしよう…。

「あの、衣織さん?」

雀たちに手を合わせて拝んでいた私は、横からかかった声に顔を上げた。そこには深緑色の忍装束を着た見覚えのある少年―――善法寺伊作くんが立っていた。

「おはよー伊作くん。昨日は怪我の手当てとか色々ありがとうね」

「おはようございます。いえ、僕は保健委員として当然のことをしただけなので気にしないでください。ところで衣織さんは先ほどから何をしてるんですか?」

拝んだままのポーズの私に伊作くんは困ったように首を傾げる。先ほどからって、伊作くんはいったい何時から私の行動を見ていたのだろう。襖を開けて叫ぶ瞬間からとかだったら恥ずかしさで死ねる。生を実感したばかりなのにもう死ねる。

「気にしないで。ちょっとハシャいでただけだから…。それより伊作くんは何でここに?」

「衣織さんの包帯を新しい物に変えさせてもらおうと思って。昨日伝えるのを忘れていたので迎えにきたんです」

「……いや、べつに包帯はこのままでも構わないんだけど」

両手に巻かれた包帯は少し緩くなってはいるものの、とくに生活に支障がある程でもない。それに怪我自体が軽微なモノなのだから、このまま包帯が自然に外れるまで放っておいたって問題はないだろう。けれど伊作くんにとって、それは許されないことらしい。

「駄目です!ここは衣織さんのいた世界とは違うんですからね、軽い傷だって甘くみたら後々取り返しのつかないことになりますよ!」

「ま、マジでか……」

伊作くんの剣幕にビビった私はあっさりと包帯の巻き直しを了承した。べつに意地でも断るようなことじゃないし。

着替えと布団の片付けを済ませた私は昨日と同じように医務室で両手の手当てをしてもらう。てっきり伊作くん一人でこの医務室を担っているのかと思ったけど、ちゃんと新野先生という医師や伊作くん以外の保険委員もいるらしい。ただ今は新野先生は出張中で、他の保険委員は当番じゃないから見かけないだけなんだとか。

そんな話をしながらも伊作くんは私の手の平にちょいちょいと筆で傷薬を塗って新しい包帯を巻いていく。やっぱりその手際はスムーズで慣れたものだ。委員長の名は伊達じゃないぜ。

「はい、終わりましたよ衣織さん。血が固まるまではもう少しかかると思うので、また包帯が緩んだら必ず医務室に来てくださいね」

「ありがとー」

私は頷きながらも、自分から医務室にくることはないだろうなぁ、とひっそり思ってしまった。伊作くんには申し訳ないけど、やっぱりこの程度の怪我でいちいち手当てをしてもらうのは気が進まないし、ぶっちゃけ面倒くさい。そんな私の考えに感づいたのか、伊作くんはキッと眉を上げて口調を強くした。

「いいですか衣織さん?何度も言いますけど、ここは貴女の世界とは違うんです。何かあってからじゃ遅いんですから絶対に軽い怪我だと油断しないでください」

「お、おう。分かった、分かったってば」

へらへら笑う私に「約束ですからね!」と念押しして治療道具を片付ける伊作くん。純粋に良い子だなぁと思う。怪我をしたら薙刀を振り回してムリヤリ寝かせた挙げ句に暗黒物質を食べさせようとするどこぞの姉とかを知ってるから、余計にそう思う。

「ところで衣織さんも朝食はまだですよね?よければ一緒に食堂まで行きませんか?」

「あ、こちらこそぜひお願いしますよ。食堂の場所は聞いたんだけど利用方法を聞きそびれちゃったから入りにくいなって思ってて」

初めての場所って緊張して入りにくいんだよーとボヤけば、治療道具を片付けていた伊作くんはクスクスと笑った。

「でしたら、僕が説明しますから安心してくださいね。それじゃあ行きましょうか」

「はーい」と子供みたいな返事をして、医務室を出て行く伊作くんの後をついていく私。これからご飯を食べるのだと認識した途端に私の腹はぐうぐう鳴り始める。どんな朝食がでてくるのか楽しみだなぁ。

「それにしても、良い世界だねェここは」

「え?」

空を見上げながらしみじみと呟いた私に、前を歩いていた伊作くんは驚いたように振り向いた。

「そ、そうですか?でも衣織さんの世界みたいにすごい機械もなければ医療技術だって遅れてるらしいし、それに戦だってありますし、」

「いや、そんな自分の住んでる場所を頑張って貶さんでも。……私は良いと思ったけどね。親身に怪我の治療をしてくれる優しい子がいて、他人に温かい食事を出してくれる。素敵な人がいる良い世界じゃないの」

―――何より、ここの空には天人の船が一つもない。その言葉だけは飲み込みながら伊作くんの方を見れば、顔を真っ赤に染めてうろたえている姿があった。……え、場所を誉めたくらいで大袈裟じゃね?

「……え、なに、そんなに嬉しかったの?そんなに自分の世界にコンプレックスあったの?」

「いや!?ち、ちが、これは違うんです。今までの天女様は僕らの世界に批判的な人が多かったので、その、驚いたと、いいますか……」

「はァ?」

照れまくりながらゴニョゴニョ言う伊作くんの話を要約するに、今までの天女様は自分の住んでいた世界の自慢話をすることが多かったそうな。自分が身に付けていた物を見せびらかし、いかに平和な世界であったかを語る。それは、まるでこの世界を見下しているようにも受け取れる態度だったとか。

自慢、ねぇ。

「だから、すごく驚いてしまって…。すいませんでした、見苦しい姿をお見せして」

とりあえず恐縮しきった伊作くんの背中をバシッと叩いて「気にすんなって、朝は色々と溜まってるもんな!」と適当に励ましておく。そうしながら、私の頭は今までの天女様とやらについて意識を向けていた。

「ま、今どきの子は天人とか幕府とか気にしないか。でもさ、進んだ技術を手に入れた代わりに天人に支配されてるワケだし、そんなに誇れる世界でもないよ」

「衣織さんの世界にも色々あるんですね…。ところで、その“あまんと”っていうのは何なんですか?」

「…………ん?」

天人を、知らない?私は思わず足を止めて伊作くんの後ろ頭をまじまじと見た。変だな、私の世界のことをこんなにも知っているのに天人のことだけは知らないなんて。私の世界を語るのに、天人の説明は不可欠だ。だって空を飛ぶ船も遠くの人と話をする機械も全部天人によってもたらされた技術なのだから。なのに今までの天女様はみんながみんな天人のことだけ話さなかったとでもいうのだろうか。

「伊作くん、」

「食堂に着きましたよ衣織さん。あ、今日の朝食はサンマですね」

いつの間にか、食堂の前まで来ていたらしい。嬉しそうにメニューを見る伊作くんに私は開きかけた口を閉じる。

………ま、いいか。

伊作くんだって私の世界のことを完璧に知ってるワケじゃないんだろうなぁと自分を納得させた私は、伊作くんの後に続いて食堂の中へ入って行ったのだった。



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(どうせ数ヶ月後には元の世界に帰るのに、細かいことを気にする必要はないと思った)


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