Novel | ナノ

「初めましてお嬢さん。ワシがここの学園長をしておる大川平次渦正じゃ」

「……烏丸 衣織です」

通された庵にいたのは白髪のおかっぱ頭をした小さな老人だった。ちょっと緊張しつつも頭を下げれば「うむ」と頷いて微笑んでくれた。伊作くんが言ったとおり悪い人ではなさそうだ。

ちなみに伊作くんは庵の前で学園長に下がるように言われてしまったのでここにはいない。心配そうに私の方を何度も振り返りながら去っていった彼は本当に優しい子なのだろう。去って行く途中で何かに躓いてすっ転んだ挙げ句、落とし穴に沈んでいったのは見なかったことにしてあげた。

庵の中では正座する私の前に学園長こと大川平次渦正さんが座り、さらに部屋の隅には何人かの大人が控えている。全員がおそろいの黒の忍装束に身を包んでいるあたり、学園の関係者といったところかな。

「彼らはこの忍術学園の先生たちじゃよ」

「あ、そうなんですか」

私の疑問は学園長によってあっさりと解消された。なぜ私の考えてることが分かったのかは気になったけど、紹介されたからには無視するのも失礼かと思ったので「お邪魔してまーす」と軽く頭を下げておく。ちょっとフレンドリーなノリを醸し出してみたのだけれど教師陣から返ってきたのは静寂だけだった。泣きたい。何なのコイツら、何で正座したまま私のことひたすら見つめてんの。ガキ使の笑ってはいけないでもやって遊んでんのか。だったらこっちも全力で笑わせにかかるぞコノヤロー。

「ヘムヘム、彼女にお茶と茶菓子を出してやりなさい」

「ヘムヘム!」

すっかりいじけた私は畳に指で『の』の字を書きながら出された茶をすする。すすってから、勢いよく吹き出した。

「ぶふぉっ!?い、犬が!!犬が二足歩行しながら茶を出しただとォォォ!?」

「ヘ、ヘムー!?」

気付いた瞬間に私はその犬を捕まえようと飛びかかっていた。ちなみに吹き出した茶が学園長の顔に思いきりかかっていたけど気にしてる場合じゃないのでスルー。

「ちょっとアンタ、学園長に……じゃなくて、ヘムヘムに何しようとしてるんですか!!」

「離してください!!この犬はこんな場所で収まっていい器じゃないんです、今すぐ志村けんとコンビ組めるくらいの才能を持ってるんです!!プロデューサーァァァ!!誰かプロデューサーを呼んでェェェ!!」

後ろから教師の一人に羽交い締めにされつつも私は叫んだ。ちなみに他の教師は驚いた表情のまま固まっていて、ヘムヘムというらしい将来有望な犬は学園長の後ろでガタガタと震えていた。なんでみんなこんなにスゴい犬を捕まえようとしないんだ!

「と、とにかく落ち着いて!!ヘムヘムは普通の忍犬ですから!!なーんも珍しくないですから!!」

「嘘つけェェェ!!これが珍しくないってんなら志村どうぶつ園は視聴率とれんわァァァ!!」

「ってか、さっきから言ってる志村けんって一体誰ですか!!」

そんな激しい攻防の後に「ヘムヘムはどこにも逃げないから!ねっ!」と言い聞かせられた私はしぶしぶ暴れるのを止めて座り直した。ちなみに私を制止していた山田伝蔵というらしい教師はぐったりした表情で部屋の隅に戻っていく。他の教師がめちゃくちゃ同情するような視線を向けていたけれど、そんなに私の暴れ方は酷かったのだろうか。今さらながら恥ずかしい気持ちがわいてきたけど、それでも私は学園長の後ろに隠れるヘムヘムから目を離さないように努め続けた。

「………ふむ、今までの天女とは何かが違うようじゃのう」

「はい?」

ヘムヘムを血走った目でじーっと見つめる私を見て、不思議そうな表情をする学園長。どうしてそんな表情をするのか気にならないワケではなかったものの、今の私はすっかりヘムヘムの存在に夢中だった。

けれど学園長の次の台詞を聞いた瞬間、私は思わず顔を上げてしまう。

「おぬしは、ワシらのことを知らんのか?」

「………………」

その質問の意味は、つまり、私が、学園長のことを知っていて当然だということ―――質問の意味を解釈した瞬間、私の毛穴からはぶわりと冷や汗が吹き出した。やべぇ、全く覚えてないけど学園長と私は知り合いだったらしい。ひょっとして、めちゃくちゃ失礼な態度してたんじゃないの私。あぁ、だから教師陣も私に冷たい目を向けていたのかもしれない。『知り合いの顔忘れてるとか何コイツ』みたいに思われてたのかもしれない。今すぐ思い出せ私!これくらいの齢の老人の知り合いがいなかったか記憶を探れ私!

かぶき町の住人や仕事で関わった客、はては攘夷戦争時代の記憶まで引っぱり出した私はようやく思い当たるフシを見つけて声を上げた。

「あーっ!!」

学園長を指さして私は叫ぶ。その瞬間、なぜだか部屋の空気が厳しいモノに変わった気がしたけれど構わず私は言葉を続けた。

「多串くんのお祖父さんじゃないですか、懐かしいなァ!多串くんは元気ですか?じつは私、多串くんの金魚で釣りして遊んでたのバレてから音信不通になっちゃって!多串くんもう怒ってないですかね?」

ぶっちゃけると自信はあった。もともと私に老人の顔見知りなんて少ないから、一度だけ会ったことがある多串くんのお祖父さんに違いないと確信したのだ。でも、私の台詞を聞いた瞬間に教師陣はバタバタとずっこけるし、おまけに学園長の反応も薄い様子を見るに私は答えを間違えてしまったらしい。

「烏丸さん」

「………はい」

ふにゃりと指を下ろした私に向かって、学園長は静かに言う。

「ワシの孫はシゲという女子が一人だけじゃ」

「……あの、私が他人が飼ってる金魚で釣りしたことは黙っててくれませんか。今はもう反省してるんで」

「気にするのはそこじゃなかろう」



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(今までの天女は忍術学園のことを知っていたというのに)


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