「ち、串が足らねえ」

平穏を取り戻すかに思えた5日目の朝、わたしもみたらしくんも揃って開店したと思いきや、また新たな問題が発生したらしい。まだひともまばらな午前9時、父親の低い声がお店の裏で響いた。



day 5



「な、なな、何本ぐらいですか!?僕急いで買ってきむがっ」
「焦りすぎ。ほら、父さんはそこまで心配してないみたいだし」


わたしがみたらしくんの口を片手でふさいで、父親のほうを見ると、少しだけ唇をへの字にした父さんがわたしに向かってうなずいた。


「あァ、すぐに無くなってやべえってほどでもねえんだが、昨日一昨日の調子で売れるとなると、終わりあたりはちょっとあぶねえかもな」
「なら、いままだお客さんが少ないうちに用意しておいたほうがいいね」
「なっなら僕、行ってきます!」
「だから、みたらしくん焦りすぎ。わたしが頼みに行ってくるから平気よ。大体、どこに行けばいいかわかんないでしょう?」
「あ………」
「だからわたしが今回は行くから、ね?」
「…でも、病み上がりなのに大丈夫ですか?」
「大丈夫。走らなくてもまだ大丈夫みたいだから、歩いて行くし。そんなに重くもないから」
「……わかりました」
「うん、じゃあ、お店よろしくね」
「…はい」
「父さん、じゃあ行ってきます」
「あァ、気ぃつけろよ、なまえ」


しゅるり、と三角巾を頭から外して、わたしはまだ眩しい朝の日差しの中に足を踏み出して行った。わたしは、この日に起こる出来事を知る由も無く、ただ足を速めて京都の町を歩いた。わたしは、忘れていた。大切なことだった。わたしが『生きて』いくために。断ち切るために。もうどう仕様もなくなった想いも、全て。けれど。

それさえ忘れるほどに、わたしは今が大切だった。
『生きる』意味も、全てが変わった。
あの日握りしめた手は苦しいくらいに、あたたかかった。



_


団子屋の午前は、大抵暇である。朝から団子など、僕は毎食でもいけるクチなのでどうということもないが、世間一般では僕の常識はあてはまらないらしく、卓を拭いたり掃除をしたり、材料の仕込みを手伝ったりと給仕の仕事はほぼせずに過ごす。今日も御多分にもれず、お皿をきゅっきゅ、とふきんで拭いていた。珍しいお客が来たのはちょうど、一山お皿を拭き終わった時だ。ごめんください、とそう告げて、暖簾をくぐったひとは、団子を注文するでもなく、席につくでもなく、立ったまま、ただふわりと笑顔を浮かべて言った。


「なまえちゃん、いるかな」


いらっしゃいませと声を上げた直後、突然の問いに僕は一瞬言葉を失う。はっと気づいてふるふると頭を振った後、付け加えるようにして今出ていることを告げた。


「そう、……じゃあ今日はおいとまさせてもらおうかな」
「……はあ、」
「あ、なまえちゃんに、お大事にって言っておいて貰えますか?」
「…え、あ、はい、わかりました」


じゃ、とひとこと言い置いて彼が踵を反したちょうどそのとき、僕の様子を不思議に思ったらしい親方が、ひょこりと店内に顔を出した。おいどうした、と言い終わるまえに、親方は彼の存在に気づいたらしく、驚いた声を上げて彼の名前を口にした。


「おいどうし、……彦一?」


『彦一』らしい人物は、親方のほうを振り返って、ふわりと笑顔を見せた。


「あ、お父上…。お久しぶりです」


僕の中に、もやもやとした何かが広がっていくのを感じて、思わず僕はぎゅ、と自分の胸元を掴んだ。なぜだか苦しくて、呼吸が上手くいかない。父上、という言葉が、頭の中でぐるぐるとまわった。

近づく、足音。何の足音なのかは、自分でもこころのどこかで理解していた、はずだった。けれど。止まらないそれを、いつまでも僕はみないふりをして、拒んで、あわよくば、消えてしまえばと、どんなに思ったか知れなかった。



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