土埃がグラウンドを舞って、視界に入る生徒が瞼を伏せるのが見えた。今日一日で土埃にまみれてガシガシになった前髪を掻き上げ、朝礼台の上で私は一礼した。


「只今をもって、今年度の体育大会の全てのプログラムを終了致しました」

「息の詰まる熱戦、一丸となった応援、全てがいままで私達が準備を重ねて来た集大成となり、こうして結実したことを、体育大会準備委員長として、大変嬉しく思います」

「一年生にとっては初めての我が校での体育大会、二年生は自分達で考えたオリジナルの競技を行い、三年生は華となる競技で存分に力を発揮しました」

「いま此処に居る私達生徒でひとつの大会を作り上げるということは、もうこれから先何年経っても無いでしょう」



ふう、と息を吐いて空にさ迷わせていた視線を全校生徒に向ける。土埃に汚れたジャージや絆創膏の貼られた頬が目に入った。でも、皆いい顔してるなあなんて、オジサンみたいな事が頭に浮かぶ。思わず顔が綻んだ。もう日が暮れはじめた中でさえ、キラキラと一瞬一瞬が輝いて見える。
………いけない。なに感傷に浸ろうとしてるんだあたしは。緩んだ口元を引き締めてもう一度前を見つめ、続きを言おうと唇を開いた。そして、

……………。



……やばい。続きなんだっけ。嗚呼さっきので何処まで言ったかも思い出せない。えっと、何だっけ。……まずい。空に視線をさ迷わせて必死に記憶を手繰り寄せようとするも、分からない。嗚呼、やっぱり手にカンペ書いとけば良かった。どうしよう。皆の視線がぐさぐさと体中に刺さる。日が傾き始めているのに、新たな汗が背中から手から吹き出す。どうしよう。嗚呼助けて、誰か。ちらりと朝礼台の脇に控えている園田くんに視線を合わせれば、必死に口を動かしている。けれど、何て言っているのか聞き取れない。え、何て。分からない。聞こえない。そういえばどうして、何にもおとがしないんだろう。自分の呼吸する音が、聞こえない。



「………なんで、」
「お前はナンデ少女か」


その言葉で一瞬世界が途切れて、瞼を開ければ抑えられた蛍光灯の光が脳を射した。白い光を直視して少しくらりとしたけれど、瞳だけを動かして回りを見渡せば自分が何処に居るかなんてことは直ぐに分かった。ということは、さっきの言葉は、


「やっと目え覚ましたかナンデ少女」


シャ、と少し白いカーテンがずれて、その隙間から浅黒い肌の男の顔が現れた。目覚めにこの顔はキツイ。


「お前に言われたくねー」
「すみません本音が」
「なまえ頭ん中だだ漏れはやめような?な?」
「……………」
「いまお前口調きめえって思っただろ」
「だだ漏れ回避不可能でした」


それくらい軽口叩けるなら大丈夫だな、とティキ保健医はカーテンを更に開けた。そこからすっと浅黒い手が伸びて来て、その先には紙コップが握られている。中を覗き込めばゆらゆらと揺れる透明な液体が目に入った。


「………毒?」
「ポカリだ」
「……アクエリアスがいいな」
「じゃ飲むな」
「飲みます飲みます」


ん、と差し出された白い紙コップを受け取って、口を付ける。夏ならではのほんの少し温い液体が体の中を通過していく。コップに口を付けたままちらりと保健医の方を見れば、湯気の立つピンクのマグカップに口を付けるのが目に入った。


「……先生ピンクですか」
「あ?……ああ、いつ何時でもピンクタイムってやつよ」
「さっぶ」
「うっせえ」
「いやーん思春期ー」
「うっぜ、てか思春期はお前の方だろ」
「なんでよ」
「いやそこは疑問持つなよ女子高生だろ」
「女子高生だからといって春が来るとは限らないんですよ先生」
「いや威張って言うなよ」
「女子高生だからといって旬だとは限らないんですよ先生」
「いやだから、………いーわもうめんどくさい」
「ちょっとちゃんとつっこんでください病人なんですから」
「つっこみ待ちの病人なんていねえよ」
「居ますよ此処に」
「………あーもーめんどくせーお前に思春期な情報を教えてやろうと思ったのにもうやーめた」
「ティキ先生が言うと卑猥にしか聞こえません」
「それ褒められてるって取っていいの?」
「超褒めました頑張りました」
「棒読みだなオイ」


それで、とティキ保健医が持つという思春期な情報を促す。するとああ、と面倒臭そうに頭に手をやってマグカップをテーブルに置いた。


「いやあな、お前みたいな奴でも人生で一度はお姫様だっこしてくれるひとが居たってこった」
「…………え」


にやついた保健医の顔を目の前に、私の頭の中は有り得ない様な想像で埋め尽くされる。まさか、そんな。


にやついた顔のまま口角を更に引き上げた保健医は言葉を紡ぐ。


「いま、誰の顔を思い浮かべた?」
「は?べ、べつに」
「オレだよオレ」
「…………は?」
「だーかーら、お姫様だっこしたの、オレ」
「はあ?!」
「はあじゃねーよ、オレを誰だと思ってんだよ」
「卑猥」
「まてまて卑猥ってのは人間じゃねーぞ?な?」
「変態」
「………保健医な保健医。可及的速やかにお前を重い思いして運んでやったんだ有り難く思えよ」
「何故そこでお姫様だっこの必要性が生じたんですか先生変態ですねそうですね」
「ちょ、おま、……大体お前だってお姫様だっこって聞いてにやついて妄想かましてたじゃねーか」
「ラビはナチュラルにやりそうなんでいいんです」
「へーえ、お前の妄想のお相手はブックマンJrか」
「なっ………!」


やられた。というより私がやらかしてしまった。この時直ぐに違いますよってそうごまかせば良かったのに、頭が上手く回らずに口をぱくぱくと動かす事しか出来なかった。嗚呼もう私の馬鹿ヤロウ。よりにもよってこんなどうしようもない人間にばれてしまうなんて。音の出て来ない口をぱかぱかと動かしてみるもののティキ保健医の記憶を抹消出来る訳は無く、私をちらちらと見ながらへーえだのふーんだのにやついた顔で呟く保健医へ、飲み終わった紙コップを投げる事しか私に残された抵抗の術は無かったのである。


「誰にも言わねーから安心しろ」
「言ったら東京湾に沈めるかんね」
「まあまあこれからお前に恋のレクチャーしてやるから期待しろ」
「セクハラしたら海の藻屑にしてやる」
「まーそうイライラすんなって」
「ベッド入ってくんなあああああ」



心強い味方のようなそうでないようなひとが現れたらしい

10/08/07
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