07

本人は何の他意もなくそのことを口にしたのだろう。昨日までわたし達はいわば恋人同士だったわけで、今日はもう違うなんてそんなこと考えもしないだろうから、それを言うのは至極当然の事なのかもしれない。だけどそれでも、こんにゃろくそ巻き毛リナリーのスカート覗いてやるぞなんて理不尽な苛々がふつふつと沸き起こって来る。駄目だな、わたし。八つ当たりにもほどがある。



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冷たい空気が頬を刺すのを感じながら廊下を進む。こんなにも任務に早く出たかったのは初めてだった。何か、こころの中をそれだけで埋め尽くせる何かをしていないと昨日のアレンの言葉やモヤモヤした何かが溢れ出てきて、飲み込まれそうになる。声と、耳鳴り。冷たい空気をすう、と一杯に吸い込むことで喉元で揺らめくモヤモヤを胸の奥に押し込んだ。コムイさんの室長室へ向かう足も速くなる。走る。明日からの任務の追加資料を貰いに行く、ただそれだけの事なのに。走っている間なら無意識に息が止まるから。喉元まで上がってくることはないから。昨日に飲み込まれることはないから。




「失礼します」
「…あぁなまえちゃん、資料わざわざ取りに来てくれたの?」

ドアの前で荒れた呼吸を整えて数秒、わたしは室長室の重いドアを押し開けた。中にいるひとはそのアイデンティティとも言えるコーヒーのマグカップを手にこちらに向けていた背中側へと振り返った。眼鏡の奥で優しく笑う瞳にわたしも少しだけ口元を綻ばせて笑う。部屋の中に入りながら自分に向かってかけられた言葉にはい、と返事を返してドアを閉めた。振り向けばコムイさんは自分の白い巨塔・机をがさがさと漁っていて、数秒後にあった、という何とも凄く安心した声が聞こえて来た。またなくしてたのか。


「神田、追加資料なんてめんどくさがって取りに来なさそうだったので」
「そこまで重要な事じゃないからって前に神田くんに言ってあったからね。遅れてゴメンね」

今日言われた資料をもうなくす寸前にする恐ろしい白い巨塔のことは置いておいて、大人しくはい、と手渡された資料を受け取る。確かに薄い。すぐに目を通せそうなのでパラリとページをめくった。白い紙に散りばめられた黒い文字を追ってパラパラと紙をめくっていく。そしてもう少しで読み終わる、という時になって唐突に、本当に唐突に、彼は言った。


「アレンくん、今日の夜にも帰還するみたいだよ」


くしゃり、と紙が少し潰れる音がした。え、と無意識に漏れた声はコムイさんには届かなかったらしく、何時もの調子でコムイさんは話を続ける。アレンとリナリーが向かった街にはイノセンスは無かったらしい。云々。

「街に居るアクマを全て破壊したら戻って来るってさ。良かったね、なまえちゃ」
「えっとリナリーも早く帰って来るみたいなので良かったですねコムイさん」


コムイさんが言い終わる前に早口で言葉を被せた。よくよく考えてみればそんな事したらおかしいと気づく筈なのに、その時は頭が上手く回っていなくてただ思い付くままに言葉を塗り固めた。

「あ、そういえばわたし任務の日程早めて貰いたいなと思って来たんでした忘れてました!そうそう、それ、うん」
「…え、別に支障はないけど……どうかした?」
「あ、えっと何か体が疼いちゃって別に大した理由は無いんですけどへへへ」

今思い返してみると相当な早口で、ちぐはぐな答えだったと思う。けれどもその時のわたしにはそれが精一杯だった。頭を掻きながらへへへと笑い顔をへばり付けるわたしにコムイさんは少し眉を寄せたが、それ以上コムイさんは詮索をせずに言葉を紡いだ。


「……なまえちゃんと神田くんがそれでいいなら構わないけど、神田くんに聞いてみた?」


しまった、とそう思った。つい先程口走ってしまったことを思い出して後悔する。あの神田に頼みごとをするのは今からだって気が引けた。今神田は絶賛苛々増幅中男子だから、声をかけるのさえ命が惜しい。けれど。

「…えっと、今、聞いて来ます」

失礼しました、と言って素早くドアを開けて外に出た。バタン、とドアを閉めてゆっくりとドアにもたれ掛かるとその冷たさが肌に伝わる。その部分からすうっと体のほてりが引いていった。けれど。神田の苛々をこれ以上増幅させるのは怖いけれど。でも。離れたかった。顔を見たくは無かった。何でこんなにも焦っているんだろう。馬鹿みたいに慌てて、しどろもどろになって。大体どうしてわたしにそんな事報告するんだコムイさんのばか。ばーかばーか。リナリーのスカート覗いてやる。端から見たら恋人同士なのだから報告しても何のおかしい事も無いのに、お門違いな苛々を次々に発生させる自分に気づいて可笑しくて笑った。それでも。それでも、今アレンに会いたくないという気持ちは紛れも無く本当だった。だって今会ったら、顔を見たらきっと、泣いてしまうから。面倒くさい、呆れた未練がましい女の子にだけはなりたくない。そう思っている時点でアウトなのかもしれないけれど。もう今すぐに貴方に笑顔で会える程、わたしは大人じゃ無いみたい。ごめんね、アレン。冷たいドアから背中を離して、わたしは黒髪のあのひとを探して廊下を走り出した。



10/01/21
10/10/11加筆修正
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