02

僕は彼女に言わなければならないことがある。それは昨日から分かっていたことだ。そう、昨日から。



抑えられた光の中で皆自分の足元に出来た影ばかりを見つめていた。暖かい日中が無いようにさえ思わせる薄暗いホールは、時間が止まったかのように静かで冷たい。長官の話は要件だけを端的に述べているはずなのに、その声は厭に僕の鼓膜に張り付いて、同じ言葉だけを反芻し続けている。宿主、宿主、しゅくしゅ。

僕の中にはもう一人の人間がいるらしい。二重人格とでも言うのか。いや違う。時が経てば僕は侵食され、完全にノアの裏切り者、14番目となるんだかなんとか。そんなの知らない。知るもんか。僕は僕だ。だけど、それでも。そう言い聞かせても胸の中の真っ黒い何かが重い。もう気付いてしまう前にはどうしたって戻ることなんか出来やしなくて、どう綻びを繕おうとしたって自分の薄汚れた指先がそれをさせてはくれないのだ。


冷たい空気を震わせる声が止んだ。嗚呼これだけは、この続きだけは、誰かに言わせる訳にはいかない。その責を自分ではない誰かに負わせてはいけない。唇を開けは自分でも驚く程、滑らかに言葉が流れ出た。その時は僕を殺して下さい。そう口にしたら、この世の全ての悪が自分に起因しているかのようなそんな気がして思わず目を瞑った。でも。そんなことには、ならない。させない。僕が僕を止めてみせる。否、そうであって欲しかった。半ば乞うような願いだった。顔を上げても、焦点は何処にも合わせない。このホールの端っこの方に居るであろう彼女の姿を探すなんてことは一瞬たりともしなかった。出来なかった。



長官とコムイ室長の話が終わった後も不思議な沈黙が辺りを包んでいた。吐いた息はまるで糸の様に身体に絡み付いて何かを遺していく。脳の奥で師匠の言葉が音を立ててまた僕を侵食した。大切なひとを殺さなければならなくなる。誰が?僕自身が。僕自身の手でいのちをを終わらせてしまう。アクマの救済とは違う。生きたいのちを終わらせる。そんなの僕がまるで、僕自身が、アクマじゃないか。底の見えない怖さが足元を濡らす。怖い、怖い、こわい、こわいよ。瞬きを数瞬した後、初めて視界がはっきりと見えた。目線をぐるりと巡らせれば、思った通りホールの片隅に立つ彼女の、体の前できつく握りしめられた手が見えた。



嗚呼嘘だそうじゃない。違うんだ。僕が本当に怖いのは、本当に恐れているのは、君を傷付けてしまうことなんかじゃない。君を殺してしまうかもしれないことじゃない。もっともっと自己本位で、自利の為だけのきたない欲望が芽を出しただけなんだ。自分勝手でごめん。でももう分からないんだ。



瞼を閉じる。僕がすべきことは一つだけ。短く息を吐いて、目を開けた。そして、静かに唇を動かした。


「なまえ、話が有るんです」


彼女の顔は、見なかった。


10/01/06
10/10/02加筆修正
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