あの時彼は、
「さよなら」と言った。



廊下に出て回りを見回しても、もう既にアレンの姿は無かった。それでも止まっている時間が惜しくて、左に決めて走り出した。完全なヤマ勘だけれど。でも、何故か不安は無かった。根拠の無い自信がわたしの中にある。絶対に間違ってない。そう思った。

まだ慣れない新しい教団の廊下を走る。はあ、はあ、と自分の荒い息遣いが耳に届く。嗚呼、わたしまた走ってるなあ。それでも、あの時のように苦しくは無かった。もう涙は止まっている、から。追いかけているから。あの手を、取るために。だから苦しくなんかないよ、アレン。



走る。走る。走る、

「………って言ってもね、」

足が、止まる。

「……此処どこよ!!」


はあ、はあ、と荒い息遣いは続く。やっぱりちょっと、ちょっとだけ苦しい、かも。膝に手をやって大きく息をする。

「大体、わた、わたしこんな、全力疾走してるのに、はあ、アレン足、はや、速すぎだっての!!」

「……貴女が遅すぎるんですよ」

「はあ!?わた、わたしこれでもねえ、足には自信、あるんだからね、はあ、」

「……貴女が迷いすぎなんですよ」

「ちょっとしつれ、い、」


勢い良く顔を上げれば、斜め前で全開になっているドアにもたれ掛かってわたしを見下ろす紛れも無い、あの人。

「……夜中に大声を出すのは止めて頂けますか迷惑なので」

「……………」

「…無視ですか何様ですか」

「なっなにおう?!アレンこそ、アアアレンだって部屋の電気も付けないでばかじゃないのネクラかぐぇっはっほっ」

「…むせすぎですよ」

驚きと放心状態と走ってきた疲れで最初あんぐりと口を開けて黙っていたわたし。それでもわたしは憎まれ口には反応するんだ、なんてむせながら他人事みたいに考えた。考えても分かることじゃなかったけれど。

「げはっほっ……あのねえ、わたし、ア、アレンに物申しに来たんだか、ら」

「……はあ」

昔みたいに憎まれ口をたたき合っても、アレンの目は、変わらず冷たかった。何処を見つめているのか、何をその目に映しているのか、目の前に居ても、分からない。何だか、



……泣かない。絶対に、泣くもんか。

「…あのねえ、」

すう、と大きく息を吸い込む。呼吸を戻す。そしてもう一度大きく息を吸い込んで、言った。



「いつまでもいつまでも、悲劇のヒロインぶってんじゃないわよこのくそもやしがあ!!!」

アレンの目が、大きく見開かれるのが見えた。

「…ヒロインて「大体何?僕は"愛してる"なんてちっぽけな言葉に縋ってただあ?ばかじゃないのばーかばーか!」

「………馬鹿馬鹿言い過「そんなの、」



「…そんなのわたしだって同じだよ!!」



今でも思い出せるあの時のアレンの背中と、揺れる髪。小さく、それでもはっきりと耳に届いたのは、



「さよなら、が」


「…アレンのさよならが、わたしを動けなくしたんだよ」

あの日、アレンに別れを告げられた日。わたしに背中を向けて消えていくアレンから届いた、微かな、"さよなら"の音。

「誰かの言葉に縋って、依存して、動けなくなったのは、わたしだって同じなんだよ?」


「言葉なんて、目に見えないものに縛られて、踏み出せなかったのは、わたしだって同じなんだよ?
…アレン」


「……誰だって、言葉に依存してる」



だって、こんなにも苦しい世界で。こんなにも哀しい世界で。
こんなにも、こんなにも、ひとは、弱い。
皆みんな独りが、こわいよ。
確かなものがなきゃ、生きて行けないよ。

「…でもそんな"確かなもの"なんて都合いいものなんて、存在してなくて」

言葉は、ひとを繋いでくれるけれど。あったかくしてくれるけれど。皆が使える魔法だというけれど。



大切なものは目に見えないんだって、誰かが言ってたっけ。



「…どうして声は見えないんだろうね」

目に見えたら良かったのに。忘れられないくらいずっと、目に見えていたら良かったのに。いつだって、傍にあったら、良かったのに。

言葉は、空に浮かんでいてはくれない。

「見えないのは、直ぐ傍にないのは悲しい、…かなしい、けど、でも、だからこそ、大切なんだって、思える」


今なら。


大切なものが目に見えないんじゃない。きっと、目に見えないからこそ、大切なんだ。愛おしいんだ。
苦しいくらいに。


そっと、アレンの目の前に歩み寄る。そっと手を握れば、アレンは俯いていた顔を上げた。その瞳は確かに、光っていた。滲んだ世界で、その瞳を見つめる。ゆっくりと、アレンの背中に手を回した。きゅ、とその細い体を抱きしめれば、それに答えるように、髪の毛に感じたアレンの手の感触。アレンの匂い。懐かしい、頬に感じるアレンの髪の毛の、感触。


なみだが、こぼれた。


「見えないけど、」
「…………うん」
「わたしは、ここにいるよ」
「…………うん」


その儚さと大切さを忘れない限り、
言葉は、きっと傍に有る。
声は消えない。
想いは消えない。

だからわたしは言うよ。



さよならなんて
大嫌い



end

10/03/11
11/06/02加筆修正


言葉って哀しい、けれど愛おしい
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